羽ばたける場所
紅茶の入ったカップを包み込むように握っているオヒメサマは深い溜め息をそこに落とした。
「アリーシャ様、お気に召しませんでしたか?」
わざとらしい意地悪だったと思いつつ、その言葉に後悔はない。
ほんの少し眉尻を下げ、表情を作り上げる。
彼女の言葉をこの身に受けるために。
「違――違うんだ、ディオ」
「お口に合わなかったわけではないのですね」
「ああ。とても、美味しいよ」
柔らかな微笑みが向けられた。
ディオの為だけの笑顔。
なんて贅沢な瞬間なのだろう。
これ以上の幸せをディオは今知らない。
「ディオ?」
「失礼致しました。何かお悩みがあるようですね。私は誰かに告げ口をするような趣味はございませんので、よろしければお聞かせ願えますか?」
アリーシャは顔ごと視線を落とした。
見つめている先は己の両手かそれとも。
楽しくないことを考えていることは容易に想像できた。
彼女は意外と判り易いのだろう。
「アリーシャ様、世界は広いですよ?」
「ん? ああ、そうだな」
「違います。ご自身の足で歩んでみては如何ですか?」
「……自分の足で歩く?」
アリーシャは自らの足元に視線を落とした。
それから力なく頭を振った。
「助言感謝する、ディオ。けれど、今はその時ではない」
「……お言葉ですが、いつになったらアリーシャ様は――」
アリーシャの人差し指がディオの唇に触れる。
黙ってくれと訴えられた。
ここは素直に黙るのが正解だろう。
だが、ディオに正解は必要ない。
アリーシャの手首を掴み、その指を自身から離した。
「アリーシャ様。私は愚か者ですので、言葉を放つ時と場所を考えられません。失礼を承知で申し上げているのです」
「ディオの言葉は力強いな。心に勇気が湧きあがるようだ」
「そのお言葉が嘘でなければ、身に余る光栄です」
アリーシャの手首を離すタイミングを見失ってしまった。
いつまで掴んでいればいいのだろう。
いつまで触れていていいのだろう。
「ディオ、その、手を……」
「し、失礼致しました!」
ぱっと手を離して、それから深々と頭を垂れる。
赦しの言葉を頂けるまで頭を上げない覚悟だった。
二度と彼女の美しく愛らしい顔を見られないかもしれない。
そんな恐ろしい一瞬先の未来が過った。
「ディオ、顔を上げてくれ」
「……アリーシャ様?」
「ディオは私のことを考えていてくれるのだな。見ていてくれるのだな」
その言葉に心臓は大きく跳ね上がった。
その柔らかすぎる眼差しに心臓は形を変える程掴まれてしまった。
今は呼吸をする方法を教えてもらいたい。
「いえ、その……」
「とても、貴重で有難い存在だったんだ。今まで気づかずにいてすまなかった」
「そんな、アリーシャ様! お、れ……私は!」
アリーシャは口元を隠して笑った。
その仕草、その声に、こんなにも捕えられてしまう。
「ディオとはもっと対等な位置に立ちたい」
「は、い……?」
「ディオは私の背中を押して欲しい。迷った時に背を押して、間違った時には叱って欲しい。そんな存在がきっと必要なんだ。君が居れば、私は世界を羽ばたける」
有り難すぎる言葉に何の返事もできなかった。
きっと愛する人からもらう愛の告白とはこういうものなのだろうと、違うことを考えてしまった。
羽ばたける場所title:icy
(2016/09/04)