追いかければ消えてゆく


手を貸してと幼い杏樹は笑う。

そんな彼女に負けないくらいキラキラした笑顔で幼い凛は手を差し出す。

小さな二つの手が重なり合い、放さないと言うようにぎゅっと強く握った。

一緒に歩いて行こうと誓うように。



***



懐かしい夢を見ていたような気がする。

未だ夢の淵に重心を置く頭に手をやる。

夢を見ていた。

どんな内容だったか忘れてしまったけれど。


「杏樹!」


母親の声が聞こえる。

そう言えば、先程からアラームが鳴りっぱなしだ。

携帯画面を操作して、それから起き上がった。

大きな欠伸を一つ。

窓の外は、今日も暑くなりそうな青空だった。

胸が締め付けられるような、青空だった。

泳ぎたくなる様な空の下、杏樹は学校へ急いでいた。

夏休みまではまだまだ時間があるし、その前には憂鬱なテストだって待っている。

嫌なことを思い出してしまった。

テスト発表はもうすぐだ。

部活は休みに入るし、そこそこ真面目に勉強しなければならない。

杏樹にだって気にする将来の夢があるのだから、努力しなければならない。

踏み出す為の準備を怠る気は無い。

といっても、サボり癖はなかなか抜けないのだけれど。

その日の放課後。

杏樹は鮫柄学園にほど近いカフェで彼を待っていた。

凛との久しぶりの待ち合わせ。

テストが始まるから、また暫く会えないだろう。

今のうちに充電しておくしかない。



***



「杏樹」


名前を呼ぶ。

何度呼べば、彼女をこの腕の中に閉じ込めておけるのだろうか。

何をすれば、彼女は自分の傍で笑っていてくれるのだろう。

答えはどこにもない。

きっと深く考えてしまってはいけない部分だと凛は頭を振った。

暑さの所為か、随分おかしなことを考えてしまっている。

何か冷たいものでも飲んだ方がいいだろう。


「杏樹、何か飲みたいものあるか?」

「飲みたいもの……? じゃあ……コーラ」

「……。わかった、レモンティーだな」

「!?」


彼の言葉に驚きを隠せない様子だった。

そこまでわかりやすいリアクションをされた凛は笑う。


「お前、コーラなんてほとんど飲まないじゃねえか。いつもレモンティーだっただろ?」

「……凛がそんな昔のことを覚えているなんて、ホントに驚きなんだけど」


杏樹は凛のことを何だと思っているのだろう。

彼の中で彼女の存在はこんなに大きいというのに。


「俺だって覚えてることはある。……忘れたいこともあるけどな」


彼女と距離を置いたこと、そんな後悔は忘れ去ってしまいたい。

けれど、覚えておかなければならない。

同じ過ちを犯さないために。


「……凛?」


杏樹の心配そうな声が耳に届いた。

今の自分に彼女のそんな声音を受ける資格はない。

へらっと笑って見せてから、注文した。

運ばれてきたソレに杏樹は口をつけない。

何を考えているのかと彼女の視線を追えば、壁に飾られた一枚の絵があった。

タイトルが添えられている。


「……6月の花嫁?」


思わず凛が口にしたのが、その作品の題名だった。


青い空と人々が生活する町が白いヴェールで覆われているような絵。


「……6月に結婚すると本当に幸せになれるのかな?」

「ヨーロッパでの話だろ? 実際6月だろうが、何月だろうが、別れる夫婦も……」


無意識のように口から飛び出していた言葉に凛は後悔した。

目の前にいる杏樹の表情が泣き出しそうなものに変わったから。


「杏樹、悪い」

「何で、謝るの?」

「……消したくないから、だろうな」


悲し気な顔は疑問符まみれのソレに変わった。


「凛?」

「つまらねえ話は終わり。夏休みの予定でも立てようぜ」



追いかければ消えてゆく



title:残香



(2016/06/30)


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