さよならするにはあまりに美しすぎる夜
自分は吸血鬼だ。
改めて確認することでもない。
己の血を武器に戦っている。
否、吸血鬼と名乗っているが、これでも一応天使の端くれだったりする。
便宜上吸血鬼と自称しているだけだ。
戦いとは程遠い場所で穏やかに過ごしたいなという夢を持って結構経つけれど、そう上手く行かないのが人生である。
何故『聖戦』に関わっているのだろう。
こんなもの自分とは無関係なはずなのに。
関わって得なことなんて何一つない。
女の子が自分から体と心に傷を作って何が楽しいんだ。
得なこと……ではないかもしれないが、彼と知り合えたことは、自分の人生の中でもかなり意味のあることだと思っている。
「尚」
「ん?」
床に座り込んで何やら書き殴っていた彼が顔を上げる。
その顔がへらりと意味あり気に笑った。
杏樹の顔を見て柔らかく笑った。
「……何を考えているのかすごく気になるんだけど」
「まあ、君を利用しようとか思ってないって」
「……」
「本当だよ。今のところ、そんなに利用価値のある所にいないし」
「酷い言い方。まあ、事実だけどね」
尚に協力したい――言い換えれば、利用されたい、そう思ってしまったのが、何かの間違いのようで運命のようで、よくわからない。
けれど、彼のためにこの力を使えるのならば、それはわりと幸せなことなのだ。
役に立ちたいと自分から思える。
望まぬ戦に巻き込まれたのなら、せめて自分という駒の位置は自分で決めたい。
ただ神の運命盤の上で愚かに踊らされるだけだなんて御免だ。
滑稽すぎる。
「杏樹ってさ」
「ん?」
「馬鹿だよね」
「酷い言い方。これでもわりと協力的なのに、何の不満があるの?」
「不満、か」
意味深長な言い方だ。
どうやら、不満があるらしい。
それを聞くことに不安はあるが、今後のために聞いておくべきだろう。
「特別に聞かせてもらってもいいわよ?」
「そんな言い方で来るか? じゃあ……」
尚が言葉を続けようとした時だった。
胸を押さえ、体を縮こまらせた。
「尚!」
発作で苦しむ彼の傍に跪く。
そっと背中に手をやる。
撫でたところで意味があるはずない。
それでも、何もできない自分がもどかしくて許せないから、何かしたくてこうしているのだ。
自己満足。
「尚、ゆっくり呼吸できる?」
「……っ」
上手く息をすることすら叶わず、脂汗を流している。
自分には完全に理解できない痛み。
それを少しでも分かち合いたいと思う。
自分が泣きそうになっている場合ではないと杏樹は自身を叱った。
こういう時、純粋な魔族だったら良かったのにと無意味な仮定をしてしまう。
彼の為に命を捧げるなんて、なんてドラマチックな最期なのだろう。
「大丈夫。ありがと、杏樹」
ようやく呼吸の落ち着いた尚がそう言って笑った。
へらっと、いつものように。
それが本当に苦しくて、杏樹の瞳から涙がこぼれ落ちた。
ぽつりぽつりと。
「杏樹?」
「ごめっ、こんな、つもりじゃ……」
構ってほしいと言っているみたいで酷い自己嫌悪に喉が締めつけられた。
止まらない涙を彼は指先で拭った。
「杏樹、行ってくる」
決意の一言だと思う。
「もしも戻って来れなかったら……」
「そんな話は要らない」
「聞いて、杏樹」
尚は杏樹の両手を包み込むように握った。
言い聞かせるように瞳を向けてくる。
耳を塞ぎたくても、それができない。
「……言って、尚」
「うん」
尚は杏樹と額を合わせた。
こつんと優しい痛みが一つ。
「俺は仲間を裏切りたくなかった」
「……うん」
「仲間を見捨てて生き永らえることが、ツラい。苦しい」
「……うん」
「だから、戦いに行く」
聖戦は間もなく次の戦いを始める。
アルカナや神葬、たくさんの人の思惑を乗せて。
尚におかえりなさいと声をかけることは、きっとできない。
尚の決意は誰にも覆せない。
だから、笑う。
「行ってらっしゃい、尚。貴方の道が輝きに満ち溢れたモノでありますように」
それは下手な祈り文句。
最初で最後の口づけも随分幼稚な物だった。
さよならするにはあまりに美しすぎる夜title:icy
(2016/05/15)