春のおわりに僕らは立ちすくむ


目覚まし時計よりも早く目が覚めた。

上半身を起こした真琴は時計の針を確認した。

彼女との約束よりも二時間以上早い。

時計を眺めて一人にっこり微笑む姿は、怪しいかもしれない。

かもしれない、ではなく、怪しい。

今は人目なんて気にしなくていい。

杏樹と一緒に出掛ける約束は彼女と会わなくても心が満たされる。

これを『幸せ』と呼ぶのだろう。

十分にこの感覚を味わった後で真琴は用意を始めた。

服を並べて悩んでいたのは昨夜のこと。

杏樹の隣に立つに相応しい服装をと悩んだのもいい思い出だ。

……その思い出は現在進行形だったりするけれど。

いつもと同じように身支度を整え、真琴は家を出た。

それは約束の半時間前。随分早い。

それなのに駆けだしてしまいそうな足を叱り、ゆっくり足を進めた。


「杏樹!」

「そんなに大きな声で呼ばなくても聞こえるから」


右手を口元に添えクスクスと笑う。

彼女の癖だ。

嬉しくて、ちょっと照れくさくて、けれど幸せな時にそんな風に笑う。

真琴が好きな杏樹の一つ。

そんな風にずっと笑っていてほしいと願う。自分の隣で。


「今日はどこへ行く?」

「んー、服見たい」

「服?」

「うん。真琴に一緒に見てほしい」


彼女が望むならと真琴は快諾した。

一緒に服を買いに行くだなんてかなり仲良さげだなとふわりと笑ってしまう。


「真琴?」

「ひゃい」

「何にやけてるの? 何考えてるの?」

「何も考えてないよ?」

「嘘。顔に書いてたもの」


一体自分の顔にはどんな言葉が浮かんでいたのだろう。

ただ彼女と一緒で嬉しい、という類のものでないことは確かだ。

頬を膨らませるという子どもっぽい仕草で不満を表している杏樹を見ていればわかる。

わかる、ということが嬉しくてまた笑ってしまいそうになり、慌てて口元を隠した。


「もうすぐ、夏だね」

「うん。『ハルくん』が喜ぶ季節でしょ?」

「そうなんだけど……。杏樹がハルの名前を口にするのは何だか複雑かな」

「ヤキモチ? 最初の頃、ハルハル言ってたの真琴だよ?」


会うたびに『ハルがハルとハルの……』などなど、エトセトラ。

一日二日で酷い耳タコ状態だったと告げる。

そんなつもりはなかった、というか記憶にない。

杏樹と会話を繋ぐために出した話題が遙だったのだろう。

緊張していたのだ。

大好きな彼女と同じ時間を過ごせる夢のような現実に。

これもまた大切な思い出だ。


「真琴!」


勢いつけて背伸びして、頬に唇を寄せる。

身長差から掠める程度のキスだったが、きちんと届いた。


「杏樹!?」

「大成功!」


にっこり笑って幼く見えるピースサインを一つ。

ああ、可愛いななんて頭と心の片隅で感じながら、けれど隠しきれない驚きが態度に出る。


「ちょっ、杏樹。今、ここ、人……」

「真琴、動揺しすぎ」

「だって、杏樹がこんな行動とるなんて……」

「うん。たまには、私から愛情表現したかったの。いっつも真琴からもらってばかりだと悪いでしょ?」

「俺から?」

「ばれてないとでも思った? 私そんなに鈍感じゃないよ。ちゃんと愛されてるって伝わってるから」


にっこりとそれは天使に思える微笑。

と同時に熱が温度を上げる。


「真琴、真っ赤」

「杏樹、反則」

「勝ちは勝ち。次は真琴が勝てばいいよ」


何の話になっているのだろう。

それでも、彼女が満足そうだったから、嬉しそうだったから、ほんの少し恥ずかしそうだったから、どうでもよくなった。



――季節は変わる。僕らの日常を連れて。



春のおわりに僕らは立ちすくむ



title:icy



(2015/09/03)


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