課題から解放されたマリアは幸せな気分でベッドに沈んでいた。

夢と現の間でその微睡に甘える。

なんて幸せな時間なのだろう――。


「姉さん!」


幸せな時間というのは、案外脆いものである。

とっくに気づいていた現実を改めて見せつけられた。

姉弟とは言え、ノックもなしに部屋に踏み込んで来る弟というのは、どういうものだろう。

膨れかけた不満は、相手がヒューバートだったといういつもとかけ離れた現実を前に萎んでしまった。


「ヒューバート? 私、アスベルだとばかり……」

「ああ、ノックを忘れていました。すみません。それより!」


ヒューバートが一枚の葉書をマリアの前に突きつけた。

遠い国の夕焼け写真。

思わず見惚れてしまうような綺麗な瞬間を切り取った絵葉書に飲み込まれそうになる。

が、そこに加わった汚い字(汚い訳ではなく雑なだけなのか)で頭を殴られる。

見ようによっては、否、そうでなくとも愛の告白に見える文章だった。

ヒューバートの手からそれを引っ手繰る。

宛名を確認。

マリア、確かに彼女の名前だ。

差出人を確認。

レイモン・オズウェル。

ハトコの名前だった。

ほとんど交流のない人物からの愛の告白のような内容の葉書に驚きを隠せない。


「……えと、ドッキリ? あれ、エイプリルフール?」

「姉さん、現実逃避はしないでください。ぼくだって、本当は……」


ぶつぶつと小さく呟かれれば、それを拾うことはできなかった。


「えと、レイモンとはしばらく会ってないよね?」

「しばらくどころの話じゃありませんよ。10年近くになるんじゃないですか?」


その見知らぬ10年の間に突然意味不明な手紙を送りつけるような人物になってしまったのか。

過去へ遡ってみると、レイモンの泣き顔が浮かんできた。

わりと勝気だったマリアは彼をよく虐めていたような気がする。

男の子が女の子にするような可愛らしい悪戯を繰り返していた気がする。


「……復讐?」

「いきなり何ですか」

「だって、それ以外考えられないでしょ。あの泣き虫レイモンがこんな変な悪戯するなんて」


悪戯だろうかとヒューバートは思考を働かせる。

彼の優秀な頭脳はそれが正解だとは導かない。

何度繰り返しても行きつく先は同じ。


「姉さん、付き合ってください」

「え? どこ行くの?」

「嫌な予感がします。どうせ、ここへ来るつもりなんでしょうね」

「え?」


ヒューバートの言葉についていけない。

視線を定めることができずにオロオロしているマリアの手を強く引っ張る。


「行きますよ」

「だから、どこへ?」

「取り敢えず、悪魔から身を隠せる場所ですね」

「悪魔? それって誰――」


声は途切れてしまった。

幸せな微睡を返してほしいと叶わぬ願いを弟の背中に視線だけでぶつけてみた。


「ほら、早く靴を履いてください」

「子どもに接するみたいな言い方はやめてよ」

「先日一目惚れだと買った靴があったでしょう? せっかくですから、それを履いて出かけませんか?」


そんな単純な言葉に心は踊る。

箱の中で眠るソレを取り出して暫し眺める。

そして、履いてみた。

新しい靴独特の微妙な違和感とともに湧きあがる高揚感。


「行きますよ、姉さん」

「うん。で、どこへ?」

「そうですね……」


玄関先で悩むこと数秒。

ヒューバートは再びマリアの手を取り、足を進める。

優しい強引にマリアは時を委ねてもいいかと微笑んでいた。



たいやき王子と空中飛行



2016/08/09



 

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