水の宴・T
01
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 エリンティタ大陸の上半分を占めるバルトニアには、東西南北に抜ける大きな街道があり、広い国を繋ぐ街道では毎日多くの人々が行き交っていた。
 中でも街道を多く行き来するのが物流を行う商人。商人たちは様々な村や街の情報を交換し合いながら旅を続けているので、彼らに聞けばこの国の情報も端から端まで、大体のことがわかるという。

 そんな情報の流通路でもある街道には、長旅を続ける人々の足を休める休憩所がいくつも点在し、その周辺には宿や食堂も数多くあった。
 北の端に一番近い休憩所ババルンでは、今日もたくさんの人々が旅の疲れを癒やし休息をしていた。

「やぁ、ラデル久しぶりだな」

「あぁ! どうもお久しぶりです」

 厩に馬と荷車を預け一息ついていたラデルは、同様に次々とやって来るほかの商人たちに頭を下げた。
 今の時期は雪深さや寒さが厳しかった冬の気配も薄れ、身動きが取れなかった商人たちが一斉に動き出す。道行けば見慣れた人たちに出会う頃だった。

「見ないうちにまた大きくなったなぁ」

「もうそんなに大きくはなりませんよ」

 商人歴五年。今年二十五になったばかりのラデルは、商人たちの中でも一際若く、まるで息子のようだと、顔を合わせるたび彼らに歓迎を受ける。
 それはただ若いからだけではなく、真面目で人の良い性格が滲み出ているからだろう。決して大柄ではないが、しっかりとした体つきと日に焼けた茶色の髪は働き者な証拠。いつもニコニコと笑みを絶やさない彼は、目許に笑い皺ができるほどで、バルトニア特有の灰茶色の柔らかい眼差しにとても好感が持てた。

 馴染みの商人の一人に促され食堂へ入ると、厩にほど近い場所で空いたテーブルを見つけて、ラデルはやっと腰を落ち着けた。
 ラデルと向かい合わせに座った彼は、早速片手を上げて店の女の子に酒を注文していた。

「今回はどこに行くんだ?」

 注文を終えてラデルを振り返ると、彼は皺の多い顔をくしゃりとさせながら人の良い笑みを浮かべる。ラデルの父親よりもずっと年上であろう彼はひょろりと痩せた印象だが、人一倍元気がよく面倒見も良いため、商人仲間のあいだでは『親父さん』と呼ばれ親しまれていた。
 ラデル自身も彼に会うと何故だかほっとした気分になる。

「ルイズです。これから花祭りがあるので、人の出入りが増えて食料が足りなくなる前に届けに行くんです」

「花祭りか……もうそんな時期なんだな」

 ラデルの言葉に彼は眩しそうに目を細めた。
 このババルンよりもほんの少し南下した場所にある村、ルイズの花祭りは春先に行われる有名な祭りで、冬を乗り越えまたこれから実りの季節を迎えられることを願い祝う、大地の神への感謝祭。各地から毎年多くの人が訪れるこの祭りは、冬を終えた商人たちにとってもその年最初の一大イベントだ。

「今年の恵みも水の女神様に感謝だなぁ」

 そう言って彼は少し先の窓から望んだ木々をしみじみ見つめて、首から提げた首飾りを額に翳した。温かな陽射しの下では春に向けて準備を始めた木々の芽吹きがあった。

「この辺りも水の女神の信仰が強いんですね」

 彼が手にした水の雫を模した銀製の首飾りは、大地の神の一人である水の女神を信仰する証しで、商人の多くが常に身につけ持ち歩いていた。

「商人にとっては大事な神様だ。商売に使う品のほとんどが水を必要とする。水は生き物にとって生命の水だからな」

 不思議そうに首を傾げたラデルに優しく目を細めると、彼は首に下げた首飾りを外し目の前に差し出した。

「え?」

 その行動に驚き、目を瞬かせているラデルの目先に更に首飾りを突き出すと、彼はなにも言わずにラデルの右手を取りそれを乗せた。

「お前にも女神様のご加護があるように。ルイズは水の女神様の村だ、持っていけ」

「けど、これは」

「まぁ、俺のお古で悪いがな。お、ちょっと悪いな、また今度」

 手にした首飾りを持って困ったように眉を下げたラデルに、ニヤリと笑みを浮かべると、彼は他の商人たちの声に応えて片手を上げながら席を立った。ポツリと残されたラデルはますます困ったように手にした首飾りを見下ろした。

「水の、ご加護か」

 エリンティタ大陸には三つの国があるが、その中でもバルトニアは神々への信仰が強い。それは昔、隣国や海を越えた国々に魔法大国、神々の庭と呼ばれていた頃からの名残だろうか。広い土地に街や村は少なく、森が大半を占めるこの国には、大地の神々が住まうと言われていた。

 すべてを統べるのは森の神。
 それを取り巻く光と闇の神。森を包み流れ行くのは水と風の神。神々は精霊や幻獣たちを従え、この大地に生きる命を護っているという。

 そしてその神々が唯一愛した人間がこのバルトニアの創始者であり、初代バルトニア国王。彼の築いた国では人も人ならぬ者たちも、共にこの地で助け合い生きていたという。彼を愛おしく思った神々が、自らの力を分け与えたのがそのすべての始まりと言われている。

 不意にラデルの脳裏に浮かんだそれは、寝しなに祖母に聞かされた昔話だった。あの頃はまるで絵本の作り話のようで、その話を聞くたびワクワクしたものだったが、所詮は昔語り。大人と呼ばれる歳になりいつしか記憶から薄れていた。

 今まで深く考えたことのなかった信仰という存在に、ラデルは戸惑ったように眉を寄せるが、なんとなく彼がしたように首飾りを額まで持ち上げ光に翳してみた。
 目の前で光を受けて鈍く光る雫はまるで本物の水のようで、透けるはずのない銀が光の中で波打つように揺らめいて見えた。

「もっと色々勉強しなくちゃだな」

 幻想的な光景にまだ見ぬ自分の世界を感じたラデルは、首飾りを首に下げるとそれをそっと服の下へ仕舞い苦笑いを浮かべた。

「さて、仕事に戻るか」



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