始まりの風
06
しばらくメレイは不思議そうな顔をしたが、アランに微笑み返すとからかうように指先で彼の鼻をつまんだ。
「馬鹿ね、あたしがあんたを守ってあげるから。誰もがみんなあんたに背を向けたって、あたしはずっと傍にいるから。あんたは変わらずあたしを抱きしめてくれればいいの」
「……メレイ」
「あたしはこの手を離さない。すべてを手放しても、あたしの手だけは離さないで」
驚きを露わにして目を見開いたアランの両手を、メレイは包み込むように握り締めて唇に寄せた。
祈るようなその仕草はなぜかひどくアランの胸を締め付けた。
普段は絶対に人前で流すことがないメレイの涙をアランは知っている。小さな頃から気も強く負けず嫌いで、自分より大きな子供を負かしてしまうほどだった彼女の本当の弱さをアランは知っている。
「僕はメレイの役には立たない?」
だからこそ自分がメレイを守りたいとアランは思っていた。
「ホントに馬鹿ね」
アランの不安げな瞳に、メレイはため息をつきながら肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「……そんなこと、あたしは一度も思ったことないよ。アランは弱くない。いつだってあたしを守ってくれた」
戸惑うアランの表情に満面の笑みを浮かべて、大きく広げた両腕でメレイは彼を抱きしめた。
「あんたがいたから暗闇も怖くなかった。だからあたしは今までも、これからもこの世界でも生きていけるんだ」
このまま暗闇に閉ざされた世界でなにもかも見ぬ振りをして、耳を塞ぎ生きていくことはとても簡単で楽なのだろう。きっと二人で寄り添い、身を潜め生きていける。
――でも。
どうせ二人で歩くなら明るい世界が良い。寄り添いながら笑って生きていける、そんな世界が良い。
アランは自分を見上げるメレイを抱き返して、力いっぱい引き寄せた。そして、驚く彼女を逃さぬように、柔らかな髪に顔を埋め小さく耳元に囁く。
「どうしても帰りたくなったら僕に相談してね」
一人じゃ決して踏み出すことができなかったこの始めの一歩を、そっと背中を押してくれた彼女と共に歩いていこう。
いつの間にか自分よりも小さくなっていたメレイの身体を抱きしめて、アランはそう心に決めた。
「僕は魔法使としてはすごく未熟で、誰かの力を借りなくてはなにもできないけど。僕はここに誓うよ。神様から貰った証しに誇りを持てるように、メレイをちゃんと守れるようになるって」
強く抱きしめられて、目を丸くしているメレイの右手を取りアランは自分の左胸に添えた。心音が響くそこは暖かく、ほんのり熱を帯びているように感じる。
神様からの贈り物。大輪の華が咲き誇る場所に、アランは自分の運命に立ち向かうことを誓った。
「風の精霊アーク・アルジャイル。アラン・フィースが願い請う。テンイルの障壁を越え北の大地にわが身を導け!」
アランの声と共に風が足下から吹き上がる。二人を包み込んだ風は竜巻のように天高く舞いあがり、静かな村に広がる見えない壁を突き破った。卵の殻が割れるように無数にヒビが入った壁は音もなく崩れ落ち、光の粉となって頭上に降り注ぐ。
アランは光の粉を静かに見上げた。ずっと自分を閉じ込めていたこの殻を。
「さよなら、テンイル」
いつかきっとまたこの場所に戻る日まで、この景色は懐かしむ思い出にする。
二人を覆い尽くした風を強い光が包み込んだ。光は四方に散り、木々の合間を抜け、すべてをすり抜けて、静かに息を潜めていた森を覆い尽くした。そしていつしか、村全体を覆い尽くした光にすべての者が気が付いた。
「魔法使が逃げたぞ!」
誰もいない静かな木々の合間。
風に舞いあがった花びらがヒラヒラと舞い、真っ白な墓石に降り積もった。
始まりの風・完
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