始まりの風
01
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 木々が芽吹き、花たちが眠りから覚め始める季節。
 バルトニアの最北端テンイルの村ではやっと雪解けが始まり、春の足音が微かに近づいていた。冬が厳しいこの地もこの時期には陽射しが柔らかさを増し、木々の間を通りぬける風も心地よくなる。どこからか鼻唄でも聞こえてきそうなそんな陽気。

 そんな中、両手で抱えきれないほどの花々が、横たわる真っ白な墓石を彩っていた。季節の足音が聞こえ始めたばかりのこの村では、まだ目することができない花の彩り。その光景はどの場所よりも陽射しが暖かく、木漏れ日が広がるこの場所に一足早い春が訪れているようにも見えた。

「ねぇ、もうすぐ春だよ。お父さんの好きな季節だね」

 その場所に眠っているであろう魂に語りかけながら、少年が一人地に花を丁寧に敷き詰めていた。花たちの柔らかな色彩と煌めきに、冬の寒さで剥き出しになっていた地面が少しずつ息吹を取り戻しているのが感じられる。

「アークが花の咲いてる場所を教えてくれたんだ。綺麗でしょ、ちょっと早いけど春を満喫してね」

 柔らかな光を宿す新緑の瞳を細め、少年は花壇のように華やかになった目の前の墓石を見つめた。

 しばらく放心したように少年がそれを見つめていると、ひんやりと心地よい風が優しく吹き抜け、少年が着ていた裾の長い紺色のローブと、肩先で少し跳ねる赤茶色の髪を揺らした。

 その風に我に返った少年は、額にうっすらと浮かんだ汗を拭い、木々の合間から見える青空を見上げた。

「ありがと、アーク」

 そっと髪を梳くように流れる風に礼を言うと、少年は持参していた果実酒の入った瓶を墓石の前に供えた。これは春の花同様この場所で眠る人が好きだったもの。

 少年は毎年春が来ると繰り返していた。彼の好きな花を飾り好きな酒を供える。それが少年にとっての季節の始まりだった。

「そろそろ皆も目が醒める頃かな? 今年は少し冬が長かった気がするよ。……そういえばお父さん寒いの苦手だったよね」

 そういって少年は小さく笑うと墓石の前に座り込み、ひんやりとしたそれを暖めるように優しく撫でた。

 少年の記憶にある彼は、毎日笑みを絶やさぬ優しく温かな人だった。
 和やかに笑っていた彼の周りでは、昔語りも現実のものとしてすぐ傍にあった。人の笑い声に妖精や精霊たちの笑い声も混じり、地には温かな光が降り注ぎ、闇さえも優しい帳を下ろしていた。絵本の世界が彼の隣にはいつもあったのだ。誰からも好かれた彼は、人だけでなく人ならぬ者たちにもよく好かれた。

 けれど、彼のいなくなった村では今やその面影も翳り、皆なにかに怯えるように身を潜めている気配すらした。その証拠に、村人たちはいつもどこか苛々とした様子を見せ、些細なことで起こる諍いが絶えることはなかった。

「お父さんの替わりに来た神官の人は良い人だけど……彼も最近少し変なんだ。どこが変なのかよくわかんないんだけどさ」

 寂しそうな表情を見せ口を尖らせた少年は、長くため息をつきながら墓石の傍らに置いた肩掛けの布袋に手を伸ばした。
 そこから分厚い本を取り出してパラパラと頁を捲ると、更に大きなため息をついて少し縋るような目つきで墓石を見つめる。

「それと、相変わらず僕才能ないみたいなんだよね。どう思う?」

 少年が手にした本は魔法書と呼ばれる物で、そこにはびっしりと文字が書き込まれていた。
 魔法使として生まれた者が、その力を正しく操ることができるよう教えを説いた教本だ。少年は父親の形見でもあるこの本を毎日この場所で開いては、毎日同じ愚痴をこぼしていた。

 いつものように本に書かれた文字を指先で追い小さく口の中で言葉を紡ぐと、少年の目の前で一瞬だけ光が弾けたように火花を散らし、次の瞬間何事もなかったように掻き消えた。
 
「……やっぱりお父さんのようにはいかないよね。いまだに火を灯す初歩の初歩もうまくできないんだ」

 がっくりと肩を落として開いた本を閉じた少年は、それを傍らに置きまた墓石を見つめる。真っ白な墓石の先でしょげた自分を彼が笑いながら見ているように思えた。
 彼はいつも、昔からなにをやってもうまく魔力を使いこなせない少年に「力加減がわかってないんだよ」そう笑って口を尖らせる少年の頭を撫でた。

「僕もお父さんみたいに魔法使で、神官になれるくらいになりたいなぁ。このままじゃ、お父さんから貰ったこの魔法使のローブも伊達だよね」

 少年は自分の着ているローブの裾を持ち上げ大きくため息をついた。襟もとにバルトニアの紋章がついたこの紺色のローブは、都にある魔法学校に通い、バルトニア国王に魔法使として認められた者だけが袖を通すことができる代物。
 都にすら行ったことがない少年には、本来ならば袖を通すことができないローブだが、いつか都へ行く少年のためにと父が特別に国から授かったものなのだ。

「宝の持ち腐れ……だよなぁ」

「馬鹿ねぇ、諦めてどうするの? そんなの頑張ればいいじゃない」

「え!?」

 呟いた独り言に応えた声に、少年は身体を飛び上がらせるほど驚き慌てて振り返った。そして、後ろで自分を見下ろしていた姿に目を丸くした。



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