水の宴・U
03
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 バーンは知っている。
 彼はアランの身に起きたことを知っているのだ。不意にアランの視線に警戒心が宿る。けれどそんな訝しげな視線に気が付いたのか、バーンはその瞳を見て小さく笑った。

「そう警戒するな。誰もとって食いやしない。ただ、ことの成り行きを聞きたいだけだ。それによってはあんたの身の振りを決めなくちゃならない」

 相手を探るようなアランの視線に苦笑いを浮かべながら、バーンはアランの枕元に置かれたサイドテーブルに手を伸ばすと、暗闇に溶け込んでいたランプに手をかけた。
 蝋燭を覆う硝子の筒をそっと外し、不器用そうな手で火打ち石を鳴らしてそれに火を灯すと、静かな闇に光が広がった。のんびりとした手つきで外した硝子の筒を戻し、バーンは揺れる炎を見つめている。

「あの……」

「あんた、魔法使だろう」

 沈黙に口を開こうとしたアランは、不意に話し出したバーンにその声を飲み込んだ。

「できれば今すぐこの村を出ていってもらいたい。だが、場合によっては嫌でも残ってもらわなくてはならない」

 ポツリと呟くようにそう言ったバーンは、自分に向けられていた突き刺さるかのような鋭い視線を見つめ返した。

「あんまりそんな目で見るなよ。俺が悪い大人みたいじゃないか。どうにもそういう目には弱いんだよな。うちの妹と同じ、人の内側も見透かすような目だ」

 真っ直ぐとしたアランの視線に些か身のやり場のない気まずさを覚えたバーンは苦笑いを浮かべた。そして逸らされることのないアランの視線から、逃れるようにゆっくりと目を伏せた。

「なにから話すか……」

 両膝に肘を乗せて少し身を屈めるようにして手を組んだバーンは、なにか思い悩むように俯き小さくため息をつく。
 その様子にアランが首を傾げると、バーンは顔を持ち上げてアランを見つめる。

「最近この辺りでは魔法使狩りが多いんだ。だからこの地域から近い場所で動いている魔法使へは、他の村や街の俺の同業者から近づかないよう伝達が成されている。あんた、どこの村や街にも立ち寄っていないところを見ると、今回初めて出てきたんだろう。……しかも、目印を外していやがる」

 呆れたような深いため息と共に、バーンの視線がアランの頭上にある壁へ向けられる。それを追い、アランが少しだけ身じろいでその方向へ目線を向けると、紺色のローブの裾が目端に映った。バーンの言葉とその様子に、アランはそれが自分の物であることがすぐわかった。

「おかげで誰も気づかなかった。俺も妹に言われるまで気づかなかった」

 バーンの声は独り言のように小さかった。まるで自分自身に語りかけているようで、その声には後悔や焦りが交じっていた。

「あんたが会った男は……」

 唸るように押し出した声でそう呟きながら、バーンは何度か瞬きを繰り返すと長く息を吐いてからゆっくりと口を開いた。

「魔法使狩りをしている張本人だ。今までアイツに出遭って生きていた者はほとんどいない。だが、あんたは生きていた」

「あの人の気配は……この村に、辿りつく前からずっと感じていました」

 バーンの言葉にアランは呟くように応えた。

 始まりはババルンで地図を広げた時。次にルイズへ向かう馬車の中。そして村をメレイと歩いていた時だ。

 それは光の中に闇が紛れる奇妙な違和感。目に見えぬ視線や重たく暗い思念を心に感じ、気が付けば身体が竦み上がっていた。そして村に入った時から更にそれが強くなった。
 メレイの後ろ姿を見つめながら感じたもやもやとした言葉にできない胸騒ぎは、今思えば内側へと侵食しようとする闇の気配を知らせる警告だったのだろう。

「あの人はまるで闇の塊のようだった」

「やっぱり目を付けられてたのか。息を吹き返した時点でなんとなく予想はしていたが本当にそうだったとはな。……あんたにはこの村に残ってもらう」

 アランの言葉を聞きバーンはそう言って勢いよく立ち上がった。突然動いた気配に驚いたアランがバーンを見上げると、どこか苦い表情を浮かべた彼が自分を見下ろしていた。

「待ってください」

 シンとした部屋の中にアランの声が響く。不意に顔を背けてその場を立ち去ろうとしたバーンの腕をアランはとっさに両手を伸ばし掴んでいた。
 急に動かした身体は激しい痛みを伴い、バーンの腕を掴むアランの肩が痛みを堪えるように小さく震える。けれど痛みよりも強く広がった不安は、アランの手に更に力を込めた。

「お願いします。待ってください」

 思いがけず強い力で掴まれた腕を見下ろして、バーンは追い縋るような視線に奥歯を噛み締め口を引き結んだ。

「やっぱり俺は悪い大人だな。なにも知らないあんたを利用しようとしてる」

 アランの困惑した瞳がバーンの目に映る。その瞳に見覚えがあった。

 ――待っていかないで!

 不意にバーンの脳裏を掠めた声。
 その声は急激に身体中の血の気を奪い、鼓動を早めた。バーンはその感覚に焦りを覚えて、思わずアランの手を振り解いてしまった。

 突然バーンに振り払われたアランは、抵抗する間もなく軽く身体を後ろに弾き飛ばされる。

「わ、悪い、大丈夫か?」

 瞬きを忘れたように動かないアランにバーンは慌てて手を伸ばすが、それを遮るようにアランはゆっくりと身体を起こし口を開いた。

「あの人は一体なにをしようとしてるんですか。僕はなにに巻き込まれようとしているんですか」

「え?」

「闇にも囚われない魔力が必要なんだと、あの人は言っていました。……僕はそんなもの、知らない」

 突然話し出したアランに戸惑いながらも、バーンは紡がれる言葉に唇を歪めて大きく深いため息をついた。

「あれは……魔物、闇の塊さ。力と器を求めて彷徨っている。そして今、この村を喰らい尽くそうとしているんだ」



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