第一章
01
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 夏の陽射しがそろそろ厳しくなってきた七月の初め。
 立川和美は唖然としながら道の真ん中に立ち尽くしていた。

 駅から徒歩十分。
 一本道で続く賑やかな商店街を抜け、目印である昔ながらの煙草屋の角を曲がり裏道に入る。

 突き抜ける青空の下。目の前に浮かび上がる黒ずんだグレーの建造物は、一瞬廃屋かと見間違えるほどの年季の入りようだった。
 細長いその建物脇の鉄階段は雨ざらしで錆びれ、なんとか丈夫さのみでそこにある。そしてAngels Gardenそう書かれた看板は見事に傾き、どこをどう見ても天使どころか悪魔さえも近寄ることをためらいそうな場所に思えた。

 和美は恐る恐る顔を上げ、何度も手元の紙切れとそれを見比べる。
 周りを見渡しても、空き地や駐車場が点在するばかりでそれらしいものは他になかった。どこか諦めたように和美はため息をついて肩を落とした。

 そして人気の少ないこの場所でいつまでも立ち尽くしている気にはなれず、重い足取りで目の前にあるマンションの最上階を目指す。

 古びた建物は人が住むマンションとして一応機能しているようで、階段脇の郵便受けにいくつか名前が見受けられた。

 鉄階段が軋む音に何度も肩を跳ね上げながら、和美はゆっくりと階段を上っていく。そしてしばらくすると上へ続く階段が五階で途切れ、鉄扉が彼女を出迎えた。その扉にはステンレス製のプレートがぶら下がっている。
 光を反射する銀色のプレートには、郵便受けで見かけた文字が刻まれていた。

「杉崎、探偵事務所」

 その文字を確認し和美は手に握り締められた紙切れを見下ろす。そうしてなぜか大きく深呼吸をしてから恐る恐るインターフォンを押した。

 扉の向こうで間延びしたチャイムが鳴っている。だが、しばらくそのまま様子を窺い待ってみても反応がない。

 急に言い知れぬ不安が胸の奥から湧き上がり、和美は焦ったようにチャイムを何度も鳴らした。

 予め電話をしていなかっただろうか。時間を間違えてきてしまっただろうか。頭の中で昨日のことを思い出そうとするが、全く思い出せない。

「どうしよう」

 終にはポツリとそう呟き和美はその場に蹲ってしまった。

「どうかしましたか?」

 途方に暮れ、膝に顔を埋めて小さくなっていた背中へ訝しげな声がかかる。
 その声に肩を跳ね上げ和美が振り返ると、両手に買い物袋を携えた男が首傾げて立っていた。

 夜に道で出会ったならば暗闇に紛れてしまいそうな出で立ち。
 上下黒で統一された服装の中で、寛げたシャツの隙間から見える白い首元が眩しい。

「あ、もしかして立川様ですか?」

 男は顔を持ち上げたまま沈黙している和美の返事を待っていたが、自分と和美の間にある違和感に気がついたのか、慌てた様子で買い物袋をひとまとめにして持つと、ズボンの後ろポケットに片手を突っ込んだ。開いた携帯電話と左腕の時計とで時刻を確認して、男は小さく舌打ちをする。
 どうやら双方の時計に些か誤差があったようだ。

「お待たせして申し訳ありません」

 携帯電話をポケットへ戻しながら男は不意に頭を下げ和美を見つめる。

「え?」

「所長の杉崎亮平です」

 目を丸くした和美の前で男は――杉崎亮平は柔らかな笑みを浮かべた。



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