第一章
02
「こちらへどうぞ」
促され足を踏み入れた室内は想像とは異なった。古びれた外観とは違いその内側は思った以上に新しく清潔だった。
入り口から目の前に伸びる二メートル程度の廊下を歩きながら、和美は辺りを見回した。
住居も兼ねているのか廊下には目の前の扉以外に三つの扉がある。一般的な間取りであれば水周りや客間だろう。ワンフロア一室のこの建物を考えると二LDKはありそうだった。
そして和美がぐるりと首を巡らし最後に目を留めたのは、先程自分に名刺を差し出した亮平の背中だ。
この事務所の所長と名乗った男はよほどの童顔でない限り、二十歳そこそこではないだろうか。間違いなく今年四十五になる自分よりもニ回りは歳が離れているはずだ。そう思い、顔を窺おうと横顔を見るが、些か長い前髪がその奥にある表情を隠す。
だが、陽の光に透ける薄茶色の髪や人形のように細く、背の高いすらりとした体躯は今時の若者だ。どうみても三十路近くもそれ以上にも見えない。
「杉崎さん」
「はい?」
突然の呼び声に亮平はほんの僅か、戸惑ったように和美を振り返る。
「いまおいくつですか」
和美の言葉に亮平の目が一瞬細められた。
「あぁ、今年二十二です」
だが、肩をすくめてそう答えた亮平の表情は初めに見せた柔らかな笑みだった。
「ごめんなさい。あまりにお若いから、他に従業員の方はいらっしゃらないの」
「よく言われます。臨時で手伝いに来る者はいますが基本自分一人ですね」
「そ、そう」
昨夜電話をした時は気が動転していて、相手のことなどあまり気に留めていられなかったが、些か早計だったと今更ながらに和美は後悔していた。
自分の娘とそう変わらない亮平の背中を和美は不安げな面持ちで見つめた。
「どうしました?」
再び視線を感じたのか亮平が振り返る。その声に飛び上がりながら和美は反射的に首を横に振った。
「い、いえ……あっあの、お手洗いをお借りしても良い?」
唐突なその問いかけに亮平の表情が怪訝なものに変わる。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
亮平の反応に和美は僅かに逡巡したが、落ち着かない気持ちを一蹴するように、亮平の示す扉に飛びつきその内側に身体を滑り込ませた。
扉を閉めしばらくすると、背後で靴音が響き次第にそれはこの場から遠ざかっていった。和美は扉に背を預けながら小さく息をつく。
「本当に大丈夫なのかしら」
握り締めたままだった紙切れに視線を落とした。
そこには事務所の住所と電話番号が書かれている。困ったことがあればここへ相談するといい、そう言って知人に渡されたものだ。しかし――相手は予想外に若過ぎた。
ため息と共に和美は大きく肩を落とした。
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