紺野さんと僕
1
鈴凪荘――築六十年。
木造二階建てのレトロな雰囲気のアパート。周りは緑に囲まれ、喧騒もなく時折小鳥のさえずりが聞こえる静かな環境――なんて格好良く言うと聞こえは良いが、ここはただのボロアパートで、もはや廃屋並み。現に六世帯入るこのアパートに、住人は今やたった三人しかいない。いや、最近大家のお婆ちゃんがぎっくり腰で入院中なので、正しくは二人。
そう、このアパートには、僕とあの人の二人っきり――。
「紺野さーん。生きてる?」
ギシギシ鳴る鉄階段を駆け上がり、三つ並んでいる扉の一番手前で立ち止まると、僕はその扉に向かい大きな声でこの部屋に住む人の名を呼んだ。そしてそれと共に薄いベニヤの扉を遠慮なしに叩けば、扉は痛々しいほど激しく軋みながら鈍い音を立てる。
しかし扉の向こうに耳を澄ましてみても、全く物音は聞こえてこない。仕方なしに僕は、徐にドアノブを捻った。
「お邪魔しますよーっ」
勝手知ったるなんとやらで、返事も待たずに僕はずかずかと室内に足を踏み入れる。そしてなんの躊躇いもなく真っ直ぐと台所を抜けて、縦に二間続く部屋の一番奥、その襖を勢い良く引いた。
「うわぁ、相変わらずカオス」
六畳間の真ん中に敷かれた布団は掛け布団が盛り上がり、そこに人がいることを示す。しかしカーテンが締め切られた薄暗い室内で、その人は身じろぎ一つせず布団から出てこない。
「そろそろ起きて。園田さんが来てからもう二日は経ったよ」
足の踏み場もないくらいに物が散乱する部屋の中を、僕は足元に気をつけながら横断する。そして二日間締め切られていた部屋のカーテンを開いた。
「紺野さん起きて、天気が良いから万年床をいい加減天日干しよう」
遮光カーテンに遮られていた光が燦々と射し込み、室内がぱぁっと明るくなる。僕は眩しさに目を眇め振り返ると、少し乱暴に布団を揺すった。
「うー」
「ほら、うーっじゃないから起きて。人間は寝溜め出来ないんだよ。その前に紺野さんは餓死するから」
もぞりと動き、呻き声を発した部屋の主――紺野さんにため息を零しながらも、ひたすらに僕は肩の辺りを揺すり続けた。
「煩い」
「あ、起きた」
「まだ寝る」
「いやいやダメだよ。もうお天道様も天辺にくるから」
布団の端を握りしめ丸まった背中から、僕は無理やりそれを剥ぎ取った。
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