新しい黒猫いりませんか?
8

 胸元に寄せて両手で抱きかかえたまま、黙ってこちらを見つめてくる寡黙な人に歩み寄る。そして目の前にまで行くと、僕は窺うように見上げてから手の中でジタバタするその子を差し向けた。ちっちゃな声でみっと鳴く子猫に視線を落とした彼は、なにも言わずにじっと見つめている。

「あ、あのね、里親を探してるんだって。この子、アパートで飼ってもいい? 可愛いでしょ? 僕みたいに真っ黒だよね。だから、あの、新しい黒猫、欲しくないですか?」

「……猫が猫を飼うのか」

「え! んー、僕の兄弟みたいでしょ?」

 三毛猫の子供たちはサバトラ、茶白、キジトラ、そして僕がいま抱いている真っ黒けな黒猫。一目見た時からほかの子より身体が小さめのその子が僕みたいだな、なんて思った。誰よりもみーみー鳴いて自己主張が強くて、誰よりも寂しがり屋でずっと誰かの傍にいる。

「まだもう少しお母さん猫と一緒にいさせるから、迎えるの来週くらいだけど。お世話ちゃんとするよ! 美代子さんは、いいって」

「ばあさんがいいって言うなら、いいんだろう」

「で、でも! あのアパートに住んでるの僕たちだけだし、紺野さんに迷惑だったら困るし」

「……好きにしろ」

 素っ気ない物言いでぽつりと呟いた言葉に僕は目を輝かせる。やっぱりなんだかんだ言ってもこの人は優しいのだ。僕のお願い事はいつも最後の最後には聞いてくれる。居候の僕が穀潰しになっていることを気に病んで、なにかできることはないかとお伺い立てた時も、美代子さんの提案したことにあれこれ言いながら最後にはこの言葉を呟いた。

 ぶっきらぼうで端から見れば丸投げするような言葉に聞こえるけれど、これはたぶん不器用な彼の最大限の優しい言葉なんだと思う。

「ねぇねぇ! じゃあ、名前なににする? なにがいいかなぁ。可愛い名前」

「……クロだな」

「え? くろ? クロって名前? えー、単純っ」

 ぽつんと呟いた彼の言葉に僕はなんて安易な名前だろうと思ったが、真っ黒けな毛玉を抱き寄せてそっと頬に寄せる。相変わらずみっみっと鳴きながらも、その子は僕の顔をぺしぺしと触ってきた。
 小さいけれど温かいぬくもり、一生懸命に生きるその命の輝きがとっても愛おしく思えた。君はきっと僕がここにいる証しになるよ。

「お前の名前はクロだって、よろしくね、クロ」

 呼びかけた名前を認識したわけではないのだろうけれど、クロは可愛らしい声でみぃーと鳴いた。そして僕の鼻先をペロッと舐める。くすぐったいその感触に思わず笑ってしまった。

「あ! 紺野さん待って! 僕も帰るよ!」

 ふいに来た道を帰ろうとする彼を引き止めるために声を上げる。けれど僕の声で立ち止まったことは一度もない。慌ただしくクロを有希さんに預けて礼を伝えると、挨拶を済ませて僕もアパートへの道を駆け出す。

 夏の雨空はいつの間にか通り過ぎていて、雲間に青空が戻ってきていた。雨上がりの空気はちょっと湿っぽくて、じんわりと汗が滲む。けれど全力で走った僕はなんとかいつもの背中に追いついた。
 そして彼の隣に並んで今日も暑いね、なんて言いながら歩く。ふと空を見上げたら大きな虹の橋が見えて、その先を指さして僕ははしゃぐ。けれどそこにほんの少しだけ視線を向けただけで隣の彼はまた前を向いた。

「紺野さん、心配かけてごめんね」

「別に」

「原稿終わった? 昼間に園田さんに会ったよ。でも心配しているようでしていない顔をしてた気がする。長い付き合いだからこそかな」

 仕事だからやって来たけれど、でも大丈夫だろうってどこか確信があるような顔だった。なんだかそういう関係も素敵だなって思って、僕もそんな風になれるくらいこの人の傍にいられるだろうかって思った。

「……紺野さん、僕を心配して飛び出してきてくれたんでしょ? 有希さんが言ってた。僕に連絡がつかなくなったって聞いて、雨降りの中、傘も差さずにびしょ濡れで店に飛び込んできたって、さっきみたいに。僕、嬉しかったよ。心配かけちゃったけど、嬉しかったよ」

 横顔を見つめるけれどいつもと変わらない素っ気ない顔。眉を動かすでも、唇を動かすでもない。ただまっすぐに前を向いている。だけど少しだけ耳が赤い気がする。だから僕はぴったりと横にくっついて、そっと隣にある手を握った。
 包帯を巻かれた僕の手に触れた彼の手はほんのちょっとだけ震えた。でもぎゅっと握ったら握り返しはしないけど振り払いもしない。手のひらはじんじんとした痛みがあるけれど、彼の体温が感じられてなんだかすごく胸がときめいた。

「今度お休みの日にクロのお迎えの準備しなくちゃ。紺野さんも買い物手伝ってね。あ、今度花火しようよ。夏っぽいことしよう」

 あれこれと騒がしい僕の隣で黙々と歩く彼は一瞬だけ笑ったように見えた。光の加減? そんなことも思ったが、基本ポジティブ思考な僕はいい気分になってますます声を弾ませた。
 どうしてこんなに彼の傍にいるのが楽しいのだろう、嬉しいのだろう。初めて会った時から胸に湧いた気持ち。その答えはよくわからないけれど、わかっていることは一つだけある。この無口で不器用な優しさを持った、紺野文昭さんが大好きだからだ。

「今夜の晩ご飯なんだろう」

「しょうが焼き」

「え! しょうが焼き? やったぁ!」

 道の先に見えてきたのは築六十年の年季の入ったボロアパート。いまここに住んでいるのは大家のおばあちゃんと、僕と大好きな紺野さん、三人だけ。でもこれからは三人と一匹だ。
 このなにげない日常、それがあるだけで僕は幸せだって思うんだ。


新しい黒猫いりませんか?/end


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