女主人に従僕が額ずいているようじゃないか。

 これはこれで絵になるな、なんてアレスは柄になく思う。
 背凭れのある椅子に座ったアプロディテは片足を脚置きに投げ出して、その足元で膝をついたまま自分の足に触れるヘパイストスを楽しげに見ている。彼女の取り巻きであるカリスたちもそれを眺めていた。
 奢侈な、というと主との釣り合いが取れていないようなのでやや語弊があるようだが度を越えて優雅に設えられた邸の一室。木の質感が優しい大きな窓の前には椅子が二脚と長椅子が一脚据えられている。窓枠に切り取られた初夏の乾いた空が明るい。長椅子にはカリスの三姉妹が思い思いに寛いでいるので、自然とアレスは空いている椅子に足を向ける。アプロディテの椅子と対になっている椅子だ。

「何やってんだよ」
「あらアレスいらっしゃーい」
「アプロディテ、動かないでね」

 ヘパイストスは顔も上げずに言った。よく見ればいくつもあるカラフルな小瓶からその液をとって小さな刷毛でアプロディテの足の爪に塗っている。

「何やってんの?」
「ペディキュア。ていうかネイルアートかしら」

 爪の装飾を表す言葉がなんでいくつもあるんだ、これはマニキュアとは言わないのだろうか。アポロンが以前『言葉の多さはそれに対する関心の高さを表すんだ』とか、続けて自分やアルテミスの持つ異名の多さを語っていたような気がするがつまり女にとって爪を彩るのはそういうことなのだろうと、アレスは思ってふうんとだけ言って椅子に腰かけた。

 そうしている間にもヘパイストスは手を休めず、色と装飾を重ねていく。
 真珠のように白。花びらのように薄紅。グラデーション。貝のように揺れる煌めき。イミテーションのクリスタルと小さな花。それは少しばかり足の甲にも。そして足首には別の液剤で足飾りを。

 海の輝きと瑞々しい花を思わせた。
 アプロディテがキュプロス島に始めて足を着けた時、彼女の爪先が触れた大地から柔草が萌え出でたという。
 アレスは見たことがないが、ヘパイストスが彼女に与えた装飾はそんな光景を再現していた。
 アプロディテもご満悦な様子で頷く。

「うん。いいわね」
「どうも」
「やっぱりあなたに頼んでよかったわ。今度も頼もうかしら」
「あのね、私の本分は鍛冶と工芸なの。こういうのは姉様たちの仕事の内だと思うんだよね。まぁ、私の方が巧くできるかもしれないけど」

 アグライアに手伝われながら道具を片付けつつヘパイストスは言う。

「ずいぶんと可愛くないことを言うようになりましたのね、ヘパイストス様」

 カリテスのひとり、次女のエウプロシュネが眉根を寄せる。彼女の言い分も尤もで、カリスたちは優美さを司り芸術や技術も彼女らの領分だ。この手のものもヘパイストスのそれより範疇に入るだろう。

「可愛くなくて結構」
「本当に可愛くないですわね! その上図体まで可愛くなくなちゃって!」
「昔はアグライアかテティスの後ろに隠れてちょろちょろしてたのにねぇ」

 長女のタリアが懐かしそうに笑えば当のヘパイストスは苦い顔をしてアグライアは少し困ったように姉とヘパイストスを交互に見る。
 カリスたちとヘパイストスは昔馴染みだ。というのも、ヘパイストスは幼少期、彼女らの母であるエウリュノメと先程名前の出たテティスという海の女神たちに育てられた。ヘパイストスがカリスたちを姉と呼ぶのはそれが理由らしい。
 実際、自分より余程“きょうだい”してるじゃないか、とアレスは思ってしまう。

「なぁ、ところでさ」
「うん?」

 話題が逸れると安堵したのかヘパイストスはようやくアレスに視線を巡らせた。
 アレスはにんまり笑う。

「あんたその位置って見えてたんじゃねぇの?」
「………………見てないよ」





「見てない。つまり見えてたんだな」
「………」
「あらら」
「すっかりむっつりに」
「ちが」
「男の子だもんねぇ」
「だから見てないって」
「見てもよかったのよ?」
「!」



<2012/06/24>



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