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 薄紅色のそれを乾いた男の白い指先が摘まむ。
 ひとひら。
 また、ひとひら。
 それを摘まみあげて、男はそれをひとつの形にしていく。或いは在るべき形に戻しているのだと言えようか。
 やがて男の手にはひとつの花が出来上がった。

 男――ヘパイストスは“花”をクッキングペーパーの敷かれたバットに置いた。そこには完成品の“花”がかなりの数出来上がっていて、さながらフラワーベースに活けた花々のようだ。
 黙々とヘパイストスは“花”を増やしていく。ひとひら。ひとひら。薄紅色の“花弁”。時には白のそれ。自然にはない一片だけ色の異なる“花”。
 丁寧な手つきで、迷わぬ指先で、ヘパイストスは“花”を造る。
 またひとつ完成したそれを置こうとしたところで、柔らかな女の指がそれを取って口に入れた。

「美味しい。んー、やっぱりチョコの味なのね」
「材料がチョコレートだもの」
「あんまり花っぽいから別の味がするかもって思ったのよ」

 作業を中断させられ、ヘパイストスはひとつ息を吐いた。
 そもそも鍛冶神たる彼が何故、キッチンでふりふりのエプロンを着てチョコレート菓子作りに勤しんでいるのか。
 その解はこの女、ヘパイストスの元妻であるアプロディテにあった。

 この何年か前からヘルメスの持ち込んだ極東の文化により、本来は彼らにも関係の深い異教の祭日は女性から意中の男性にチョコレートを贈る日になった。それから義理のある相手へ、家族へ、友人である女性へ、そして男性から女性へと変化し、想いびとにという意味合いは年を追うごとに薄まっている。
 しかし、このアプロディテは愛欲を司る女神であればこそ、その意味は専ら初めの意味しかない。

 ならば何故、ひとりの分とは思えない大量のチョコレートを用意しているか。答えは至極単純。彼女が贈る相手は多い。しかもただひとつの義理チョコもない。全て本命。ただそれだけだ。
 そして何故、元夫であるヘパイストスが作っているのかということだが、それも単純に彼女が知るうちでこうしたことに協力するのが彼だけだという話。多情な彼女を快く思う女神は少なく、彼女に秋波を送る男神ではいっそう協力を望めない。他の男にも彼女からの贈り物をやることになるのを見過ごせる男は稀有だ。その稀有な存在こそヘパイストスだったのである。
 では何故、ふりふりのエプロンかというとアプロディテの私物で、ヘパイストスは着るものに拘泥はしなかった…訳ではなくやはりフリルは抵抗があったのだが押しの強いアプロディテに押しきられたというか言いくるめられたというか、アプロディテのお願いを断れる男なんてそうそういないものでヘパイストスも例外ではない。

「数ってこれくらいでいい?」
「十分だわ。多すぎるくらい」
「え?」
「え? って何よ。あたしを何だと思ってるのよ!」
「……ラッピングする?」
「ええ」

 ヘパイストスは使わないクッキングペーパーやらボウルやらをシンクに持っていって、テーブルの上を片付ける。アプロディテはラッピング用の袋とリボンの入ったバスケットをテーブルに置いて、自分はヘパイストスの正面の椅子に腰かけた。
 ふたりで向かい合って、緩衝材の入った透明の袋に花を三つずつ入れてリボンをする。アプロディテが色とりどりのリボンから二色を迷いながら選んで一つ結ぶまでの間に、ヘパイストスは手際よく二つ完成させて三つ目の袋を手にしていた。

「ねぇ、ヘパイストス速くない?」
「貴女より器用だもの」
「そうじゃなくて、リボンてきとうに選んでない? ちゃんと渡す男[ひと]のイメージに合わせてる?」
「……何故私が貴女の恋人を把握してると思ってるの?」

 着々とラッピングを済ませていくヘパイストス。アプロディテもああは言ったが、ヘパイストスのセンスを疑ってはいない。リボンの種類や色をいくつも変えて多彩な組み合わせ。そこには当然恋人への想いなどは微塵も込められていないが、より美しく飾ることへの拘りが見てとれた。けしてぞんざいな扱いではない。アプロディテは満足したように頬杖をついてその作業を見詰める。

「ねぇ、ラッピングくらいはするんじゃなかったの?」
「うん。けどあなたに任せた方がよさそうだわ」
「……私はいいけどね」

 ヘパイストスは呆れたような諦めたような声音で言った。ただそこに冷たさだとか嫌悪は混じっていない。黙々と作業を進めるヘパイストスと見守るアプロディテ。特に会話が弾むわけでもなかったが、沈黙が重いわけでもない。穏やかな時間が少しばかりあった。

「そんなところでいいわ。ありがとう」
「え、もういいの?」
「だから何でそんな意外そうなのよ!」

 もう、とアプロディテは口を尖らせる。

「だったら結構余りそうだけど」
「いいわよ。あたしも食べるし」
「ふぅん」
「そこは驚きましょ? ひとりじゃなくてカリテスの皆でね!」
「ああ成る程」
「ひとりじゃさすがに多いわよ」
「そうでもないと思うよ?」

 残っているのはそう多くない。ただ味見程度ならそれでも十分なのかもしれないとヘパイストスは思い直した。
 アプロディテは残っているうちの一つを手にヘパイストスに差し出す。

「はい、あなたにも。あーん」
「あ…」

 開けた口に“花”が押し込まれる。唇と指先が少しだけ触れた。
 口内の温度で融けていく“花”。舌に絡み付いて鼻腔を満たす甘ったるい味。

「やっぱりチョコレートか」
「それあたしが言ったわ。材料がチョコだ、ってあなたが言ったの忘れた?」

 貴女の手からだから、別の味がするのかと思った。
 なんて思ったけれど、ヘパイストスはそうは言わずに

「だよね」

 と、至極平淡な声で答えただけだった。





<2012/02/17>



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