竹中の家とわたしの家は代々のつながりがある。つながりといっても優しく紡がれたような糸ではなく、所詮は戦乱の世において最重視されるべき力と力の結びにすぎないのかもしれないが、半兵衛さまはなんだかんだでわたしをかわいがってくれていた。血はおそらく、遡っても繋がっていない。もしも強く強く混じり合っていたら、たとえばわたしがあなたの妹君などであれば、数年違えて同じ乱世に育ち、同じ病を身体で生かして、ともに死ぬことができただろうか。

「半兵衛さまの妹になりたいなあ」
「前にも聞かせたような気もするけど、君が僕の妹ならすぐに嫁に出すかな」
「かわいい子には旅をさせよと言いますからね!」
「そういうところ、京極の姫君を思い出すよ」

半兵衛さまはわたしを見もせず、眺めていた紙面へそんな言葉を投げ捨てた。そうね。妹には手を出せませんからね。そう言う意味でしょう。ウフフ。

我が父はそれなりに優秀でそれなりに平凡な武将で、お家同士の交流があった半兵衛さまとわたしは何度も顔を合わせていた。友人なのだと思っていた。幼い頃より天才の片鱗をのぞかせる彼に嫁がせ、名声の可能性を狙う父の目論見もあったのかもしれないが、竹中半兵衛といううるわしい男の隣にわたしが並ぶ図をどうも想像できなかった。なんなら人間誰でもしっくりとこない。彼には浮世離れしたうつくしさと頭脳がある。

うちには兄がいる。父のようにそれなりに優秀で平凡な武士だ。後継にはもう困らない。だからわたしはそのへんの大名にでも嫁がされて子どもを作るのかなあ、とぼんやり生きて。でもはっきりと、彼に恋をしていた。半兵衛さまという存在が、わたしにとっての恋そのものだった。
幼い頃から彼の読む兵法書を覗き込んできたのに、盤遊びでは一度も勝てたことがない。武道にこそ進まなかったがわたしは結局武家の女で、父がとても強い武将に見えていて、女だてらに父の軍師となるのが幼い頃の夢だった。邸のだれよりも戦が得意だと自負していたけれど、半兵衛さまにだけは絶対に、一度も勝てたことがないのだ。それが年の差ではなく圧倒的な才能の違いだと気付いたとき、わたしの夢は、父から彼へと変わった。彼は、絶対に手が届かないのに絶対に手にしたい、憧憬のかたまりだった。

彼が自らの残りを知って、わたしを妻に迎えたことをすこしでも悔いているなら、わたしは最期の日まで馬鹿の顔をしていたい。ひとり黄泉へ行く彼に、ついていきそうもない顔をして、彼の隣で生きていたいのだ。わたし自身が、彼の生きた証のおおきなひとつとなるために。






縁談が持ち込まれるようになったのは、軽いものも入れるならばおそらく物心もつかぬうちだ。うちのとそっちのがおおきくなったら結婚させてこれからも仲良くしようねーみたいな、逆に乙女心があるかのような約束。どうせ数年経てば立場がひっくり返るような乱世でも、大名たちは家を繋げるために必死である。
しかしわたしには確約された許嫁はいないまま適齢を迎えた。前述のとおり父は平凡に優秀だったがとびきり優秀なわけではなく、躍起になってでも繋がりたい家ではない。そして父はやはり、日に日に優れた才を輝かせる半兵衛さまに目をつけていたのではないだろうか。
けれども、気付けば半兵衛さまは稲葉山をがっつりちゃっかりと奪った天才軍師となり、竹中どころか斉藤も目ではないところに君臨した。わたしに都合のいい父の目論見も、現実味が薄れるばかりである。

そしてそんな半兵衛さまが、正室を迎えられるつもりらしいと仲のいい侍従に聞いた。俗世など視界の端にも入っていなそうなあの方が!
相手は?と必死に聞いたけれど、侍従の間でもそこまで知る者はいなかった。調べ掘り下げたが、噂話ではあるものの信憑性は確かのようで、わたしはべっこりへこんだり、誤魔化したりしてなんとか生きた。

その話を聞いてからしばらく経ったある日。偶然竹中の家へ使いがあるという家臣にひっつき倒して、わたしはひさしぶりに半兵衛さまに会いに来たのであった。どこぞの姫君とカチあっちゃったらそのときはそのときだ。家臣は焦ったり怒ったり忙しそうにしていたが、この頃のへこみっぷりには邸も気付いていたのか最後は折れてくれた。へこみを気にしてか、断り続けるわたしに諦めをつけたのか、父へ持ち込まれていた縁談もぱったりとなりを潜めている。

「半兵衛さま」

幼い頃から何度も訪れた竹中の邸はなにも変わらぬ雰囲気で、書の並ぶ私室に佇む半兵衛さまもべつに大した変化はなくて、わたしは拍子抜けした。「どうしたんだい、間抜けな顔をして」半兵衛さまは特に顔色ひとつ変えず、文机に頬杖をついて言う。

「あの、……妻、を? とるって、風の噂で聞いて」
「風に乗せた覚えはないけれど、じきにはっきり知らせることになるかな」
「も、もうここに住んでますか?」
「今はまだいないよ」

そっか、そっかあ、わたしはただ繰り返す。今はまだ。彼に会ったことで、心の中の現実味が泡立つほどの速度で増していくのがわかる。

「それだけ聞きに来たのかい? 本当は所帯もいらない気持ちだったけど、このごろ力を狙った縁談が急に増えて。そろそろ蹴る足も足りなくてね」
「だからいっそ妻をとろうと」
「まあね」

半兵衛さまはたいして大事にも捉えていないような口ぶりで、わたしから視線を外すと卓上に積まれた書物を手に取った。半兵衛さまはこの頃以前に増して戦に出られる。つるむようになった秀吉さんや慶次さんとともに邸をあけることも多いと聞き、幼少から弱いお身体が心配な限りである。おふたりとは一度ここで鉢合わせたことがあるが、なんだか色々な意味で壮大な雰囲気を持った人々だった。彼らが本気で天下人を狙うならば、半兵衛さまが妻に娶るのも、その道筋に利のある家の娘なのかなあ。秀吉さんにはもう奥方がいらっしゃるし、半兵衛さまは目的のためなら自らの俗的な感情など簡単にどこかへやってしまいそうである。せっかく本物が目の前にいるのに、なんだかそのことばっかり考えている。

うつくしい所作で筆と硯を取り出した半兵衛さまは、わたしなど気にもせずに文をしたため始める。旧知とはいえそんな扱い、心なしかいつも以上にぞんざいな気さえする。
そう思いたいだけなのだろうか。わたしの知らない女と夫婦をむすぶ彼を、今まで以上に遠い存在に思いたい。そしてそのまま、心のどこかに立ち去らせたいと。知らない女だといいなあ。知ってるときついなあ。

「……お話をしてもいいですか」
「お話をしに来たんだろう」
「それもそうですけど」
「君はいくつになっても賢くならないね」
「半兵衛さまと比べたら日ノ本には馬か鹿しかいませんけどね」

あはは、賢明な見解だ、と彼は謙遜なく軽やかに笑う。話していても筆はうつくしく紙面を滑る。戦に関わる文なのか、ここからは内容は見えないが迷いなく綴っていく。わたしは通された時に座った座布団から一歩も動けず、着物の上で掌を開いたり閉じたりした。何しにきたのかなあほんと。
半兵衛さまは聡い。お話をしに来たんだろう、なんて、その内容もきっとわかっているくせして、出会い頭にどうしたんだいなんて聞く。腹立たしい。何が腹立たしいって、何年も知り合いなのに、わたしは半兵衛さまのこと、全然わからない。掌を握ると怒りがぐるりと身体中をめぐって、おもったより勢いよく口から出た。

「半兵衛さまは……とりあえず好きでもない女をほしくもないのに嫁にすると、そういうことですか!?」
「わあ。単刀直入に言うな」

白銀のくせ毛がふわりと揺れて、仮面の奥からうつくしく澄んだ菫色がこちらを見た。相応してわたしは俯く。邸中の音が止まっている気がする。ほんと、わたしも単刀直入だと思う。思うけど、今日なにも言えずに帰ってしまったら、わたしと彼のつながりは今以上に細くなって、ふいと消えるのだ。

「別にそこまでは言っていないけどね」
「だって、わたし」
「うん」
「……わたしは! 半兵衛さまが」
「うん。最後まで泣かずに言ってごらん」

すきなのです。ずっとすきでした。喉がキリキリと詰まってうまく言えない。握り込んだ掌がぼやけている。俯いているのにどうして瞳のうるみに気付くのか。「ないて、ません」「そう?」「そう!!」息を吸い込むと、鼻がツンと痛んで息苦しい。
痛みの中に優しい香が混ざった。顔を上げると、目の前に半兵衛さまの脚。見上げた彼はめんどくさがっているかと思っていたけれど、存外楽しそうな顔をしているのでまた腹が立つ。わたし楽しくないけど!

「わたし、半兵衛さまの妹とかなら良かった!」
「は? 突然何事だい」
「妹なら、あなたが誰のものになっても、わたしはあなたの妹のまま生きていけるのに」

はあ? 変なものを見る目で半兵衛さまはわたしを見下ろしてから、嘆息して膝を折る。戦場に咲く花のようなうつくしい彼は、洒落た軍着もきっとよく似合うけれど、わたしは邸で見るゆるりとした袴姿がとてもすきだった。
「すでに僕は言うなれば、秀吉のものかな」「……えっ半兵衛さま、秀吉さんのそういうアレなの?」「君が思う角度とは違うだろうけどね」一回落ち着いたら? 座布団も敷かないで畳に座りこんだ半兵衛さまはもう一度息をついた。今の阿呆問答ですこし涙が落ち着いたことにわたしは安堵する。

「君が僕の妹ならば、そろそろ使えそうなところへ嫁に出しているかな。君の都合も、愛も、そんなものは重視しないかもしれないよ」
「でもあなたの妹ではあり続けるからいい」
「はあ……どうしてそう変な方向には積極的なんだろうね」
「なんて?」
「なんでもないよ」

三度目のため息とともにかきあげた白銀が、さらさらときれいに額へ落ちていく。崩れた前髪をかきわけた白い指が、次はわたしの頬へ近付いた。冷たい。冷たいそれが頬に沿ってまなじりを拭う。粘っていた涙が、指に押されてぽとんとひとつ落ちた。「あ、いまの、泣いた判定にしないで」「負けず嫌いだね」「武家の女ですから!」目の前で菫色が笑う。触れる彼の手は冷たくて、うつくしすぎる。都合のいい幻惑のようだ。緊張でじっとしていられず一歩膝を出すと、彼の膝にこつんと当たった。

「武人の妻に向いた性質だ」そんなことを言いながら微笑む彼は、きっと日ノ本のだれよりも聡い。どうせわたしが何をしたって、自らの思案を変えることはないし、その考えを読むことも叶わない。ならば。本音をすべて彼のてのひらに収めて帰ろう。悔いをすべてこのてのひらに送ってやろう。「向いてますよ。おすすめです。今にあなたに次ぐ軍師となって、夫の天下を支える妻になる」声に涙が混ざってうわついているけれど、半兵衛さまは微笑みを崩さず聞いてくれる。

「半兵衛さまの奥方、わたしじゃだめですか」

堰を切ったように、ぼろぼろと涙があふれた。半兵衛さまの手にも伝ったけれど、彼は払いも拭いもせずただただ受け止めて、わたしを見る。

「……うん。泣かずに言い切れたね」

ふっと、てのひらが離れた。あんなに冷たかったのに触れていた部分はしっとりと湿度を持っていて、彼の生きた感触を伝えてくる。半兵衛さま。身体も離れてしまいそうで呼び止めようとしたけれど、彼は目の前にとどまったまま、頬に触れていたのとは逆の手をわたしへ差し出した。
反射的に受け取ると、先程まで綴っていたうつくしい字が並んでいる。文を濡らさないようにあわてて自分の涙を拭う。

「文……あ、うち宛」
「そう。父君へのおつかいだよ。上手にできたらきみの願いも叶うだろう」

わたしが本音という名の縺れた愛情を乗せた手で、半兵衛さまはもう一度わたしに触れた。使いの童にするように頭を撫でる。姫君扱いには到底思えないけれど、わたしはうっかり喜んだ。
喜んでから、はたと止まる。この流れで、願いが叶う文?

「ねがいが? かなうふみ?」
「そう」
「…………え? 半兵衛さまが縁談してる相手」
「はなから君の家だね」
「は? うちどうせ兄の代も半兵衛さまについていきますよ、もっと利のあるお家があるでしょ」
「秀吉の力は、この僕が身を使って結ばないといけないほど細くないと確信している。むしろ僕たち個人には利があると思ったんだけれど」
「いやちょっと今よくわかってないです…」
「本当にきみは賢くならないね。賢さのあまり馬鹿なんだ」

今度は両側からぶにっと頬を挟まれる。座っているおかげでいつもよりも見上げずに済む半兵衛さまは、先程までの微笑みを投げ出してすこし不機嫌そうだ。至近距離に息も止まってしまい、なんなら握らされた文がくしゃりと鳴った。

「きみは、僕のことをどう思う」
「ど、……怒ってても、きれいだなあって」
「………………怒りが伝わっているなら遠回りせずに言ってくれ」
「すきです」
「そうだね。最初からそう言いに来たんじゃないのかい」

告白されて「そうだね」って返す人いる?
これは後日気付いた疑問であって、この時このさなかのわたしにはそんな余裕はない。だってすごくない? 切なく散るであろう恋心を抱いた幼気な年下を目の前にして、勘違いを笑うことも正すこともせず、いけしゃあしゃあと結婚しましょうの文を書ける人間が、はたしてこの日ノ本にどれだけいるだろうか。

「どうして最初から言ってくれないんですか!」
「僕も父君も、きみにはひとことも聞かずに話を進めているからね。いま目の前で嫌がられたらさすがの僕も文の遣いにするのが申し訳なくなるよ」
「すきなのわかってたくせにそんな訳なくない!?」
「言ってくれなかったじゃないか」
「は、半兵衛さまだってなにも言ってくれない!」

頬を挟む力が緩んで、めずらしく半兵衛さまがすっと明後日の方向を向いた。言ってから恥ずかしくなってわたしも俯く。僕たち個人に利がある、と彼は言ったが、べつに彼にとっての利がわたしのような恋情であるかはわからない。下を向くとちょっぴり変形させてしまった文と目があった。うつくしく整った宛名がわたしの姓を囁いてくる。この家から抜けて、半兵衛さまのものになれる?

先ほど彼は、所帯を持つ気がなかったと言った。どれが本心でどれがからかうための布石なのか、賢人を前にわたしごときが判断するのは難しい。ちょうど自分を好いている虫除けがすぐ近くにいたので幸運だったなあ、みたいなことかもしれない。それでもいい。
頬に残った手を、はじめてわたしから握る。冷たくて、わたしの涙で湿っていて。わたしの拗れた愛情がまんべんなく覆っているであろう、だいすきなお方の手。

「半兵衛さま、すきです」

口にすると涙が出る。この珠玉のような言葉をうむために、わたしは生まれたと思った。彼の一番を、わたしのしあわせにしたい。

「なんにでも便利にこき使ってください!」
「妻を粗雑に扱うような男に見えていたのかい」
「おそばにいられるなら何でも!」
「そういうこと、人前では言わないでくれよ。あらぬ誤解を受ける」

半兵衛さまはまた明後日の方を向きながら、握り合った手をひきよせた。彼の困った顔を見るのはめずらしくて嬉しいのに、すぐに見えなくなってしまった。強くなった香のなかで、また文がぐしゃっと鳴る。「読める程度に留めておいて」なんて笑い声が真上から降る。正直そんな余裕ない。愛を捨て置きに来たはずが、何倍もに膨れあがって飲み込みきれない。おもわず呼吸の乱れた唇を半兵衛さまが予備動作もなく食べたので、わたしの息はいよいよ止まり、半兵衛さまはけらけら笑った。

「さて。好きでもない女をとりあえず妻にする男、という評価は訂正できたかな?」
「……………改めてもよいのですか」
「もうすこし身体で示そうか」
「ッッなんで言葉で示さないかなあ!」
「えー? ふふふ」


半分ほど原型を失った文をなんとか持ち帰ったわたしは、その晩からみごとに熱を出した。数日後挨拶がてらやってきてくれた半兵衛さまは、同伴する父の前で「病むほど嫌かい、困ったね」なんて飄々と言ってのけた。知恵熱です、なんて腹立たしくて言えなかった。ちくしょう。



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