※イヴ≠あなた




なんかもうここで死んでも仕方がないかなと思ったから、寝た。というよりは倒れたという言葉の方がふさわしい。この部屋が安全なのかもよく分からないまま、それでも意識を失ってしまえたところを見ると、わたしはこの変な場所に迷い込んでから相当の時間歩き続けていたようだ。心も体も限界だった。時計も電波もないここでは自分がどれだけ動いていたかも、どれだけ寝ていたかもわからない。結局やってきたイヴとギャリーに起こされて、寝呆け眼で久しぶりの人間を見たのだ。これ人間?だよね?ゲルテナの絵は独特だけれどこんな昆布は見たことがない。「痛いわよなんなの!!」ちゃんと生えてるらしい。

「なんか鍵ゲットしたら一斉に追い掛けてきてさ、出らんなくなったの。きみたちどうやって来たの?」「え?今は静かよ、部屋の外」「えっなにそれ」そんなこんなでふたりにくっついて部屋を出て、案の定寝る前と同じように追い掛けられて、金髪ロリと仲間になって。刷り込みのように彼らについて回っていたのに、今は突然ふたりに減っている。変な茨に裂かれてしまった。なんたる事態だ。


「イヴもメアリーも平気かなあ…」
「アンタも平気?顔色悪いわ」
「自分のグラフィック見てから言いなさいよ…あれ玉乗りピエロの絵で合ってる?なんかもう自分すら信用ならない」
「幻覚は見えてないみたいでよかったけど」

よくない。子どもを二人にしてしまった。こんなとち狂った場所に。一番最悪な組み合わせだ。早く再会したいけれどぶっ倒れてこっちが捕まってしまったら元も子もないし、どの部屋を何周しても前に進めない。さっきのようにいつのまにか絵が変わっていたりもしない。ちょっと休みたいわね。わたしの歩行速度が落ちたのに気付いたのか、ギャリーはそう言って絵の具玉の浮かぶ部屋の扉を開けた。

「さっき勝手に物動いてたのってさ、あれ向こうの部屋からイヴたちが動かしてたりするのかな」
「じゃあこっちのスイッチは向こうに繋がってるってこと?器用なもんだわ」

もしそれが正解なら、わたしたちは幼女組がなにかをしてくれるまで進みようがないということである。ずるりと滑るように壁にもたれて座り込んだ。
おなかすいた。どういう仕組みなのかぽっかり浮いている絵の具玉が視界に入る。グミみたいだなあ。食べたらやっぱり絵の具の味だろうか。新境地ではある。ギャリーにもらった飴はすこし前に舐めきってしまってもうない。花瓶の水はギリギリアウト、かな。

「なまえ、タバコ苦手?」
「別に。どうぞ」

短く謝ってからギャリーはポケットからつぶれたタバコを出してライターを鳴らした。慣れた手つきのそれを眺めているうちに、換気もクソもない閉鎖空間に紫煙がくゆいたゆたう。長身なギャリーが立ってわたしは座り込んでいるから煙は思ったよりも来ない。それでもいつもならうざがるところ。なのに昇って薄れていくそれは今は特に気にならなかった。むしろほっとする。現実の匂い、だ。

火気厳禁を徹底するのはもうやめたらしい美術館の一室に白いそれはふわふわ上がっていく。イヴに気を遣って今まで吸っていなかったんだろうな。この短時間で分かった彼の性格を思えばそうだろう。思いながらそっちの方へ寄った。よく嗅げばコートにもすこしタバコの残り香が染み付いている。長い足を組んだギャリーはそんなわたしを不思議そうに見下ろして「体に悪いから離れた方がいいわよ」とだけ言った。
こんな変な場所にぽーんと倒れていた変な女に寄り添っていてくれる。元々心のでかい男なのだろう。ここまで分かりやすく命の危機に晒されたら誰だって我が身を優先する。なのにギャリーはイヴは勿論、10歳も違わないわたしのことばかり優先して歩いた。いきなり来た得体も知れない男にこんなに気を許しているのは私だって同じだけど。

「大丈夫よ」ギャリーの骨張った大きな手がうつむくわたしの頭を撫でた。肉のないてのひら。こんなんじゃすぐ栄養なくなって死んじゃうよ。そう、死んじゃう。イヴもギャリーも、たぶんメアリーも平気なふりをしているだけだ。わたしがそうだから。平たい手を確保して握り返して、大きく息をついた。すこしだけ副流煙も一緒に飲み込んで。ほんと、なんで私は今日(もしかしたら一日経ってしまったかもしれない)会ったばかりの名前しか知らない男にこんなに守られているのだろう。大丈夫よ。言い聞かせるような声音で何度も繰り返すギャリーは、タバコが一本尽きても私の手を握ってくれていた。かっこいいことしてるくせに震えてるじゃない。拭った涙を払う。空気を変えよう。


「…ギャリーって、何才?なにしてるひと?心は女?ホモ?」
「心は男、ホモちがう。あとはナイショ」
「……彼女いるの?」
「ナイショ」
「なんなのよ」

長い指をぐりぐり折ったり回したりしながらわたしは不満顔を向けた。本当に栄養のなさそうな手なのに安心する。吸う前よりもすこし落ち着いたように見えるギャリーは目を細めて、でもあくまでも真面目な顔ではっきりした声を出した。

「出たら教えてあげる。さっさとみんな一緒に帰るわよ」
「…そんなの分かんないよ」
「分かって。絶対置いていかないつもりだから覚悟しなさいね」

そろそろ他の場所を見に行ってみた方がいいわね。立てる?やわらかい口調に反比例した力で軽々とわたしを立ち上がらせて、ギャリーの方からしっかり指を繋ぎ止め直してくれたのがうれしかった。もうすこし歩ける気がした。胸に溜まり切った恐怖は薄れずとも、意識を逸らすことならできる。それからイヴを見つけてお互い一目散に走りだしてしまうまで、わたしたちはずっと手を離さないままだった。一緒に出る。一緒じゃないと聞くことができない。

ギャリー、恋人はいるんですか。これがいわゆる吊り橋効果なのかな。身体は動くのに暗く霞む視界の中で思い当たる。最優先はちいさなイヴ。大丈夫、イヴは彼の前を駆けている。わたしも追い掛けているはずなのに目だけが見えなくなっていく。本物のおひさま、みんなでマカロンを食べる約束。そして聞きたい。
わたしフリーなんですけど、って。ちょっと軽いかなあ。

黒くなっていく世界に対称的な彼の白い手ばかり見えた。わたしはこれに救われたんだね。もしも一緒に迷い込んだのがギャリーじゃなかったら、わたしはそのひとのことを好きになっていたかもしれない。不安な状況で守ってもらったから好きになってしまった、ただそれだけかもしれない。でもそれでも今わたしが彼のことをこんなに「好き」なのに変わりはないの。ありがとう、ギャリー。細身な光を掴めないまま、思った。






目を開くと塗りこめられた真っ暗だった。手元に薔薇の輪郭はない。…死んだんだっけ。今何時だろう。あれから何日、何年経ったのかはもう思い出せない。タバコの匂いがした気がしてそっちに顔を寄せれば冷たいものが鼻先にぶつかった。あ、恋しい。この匂い。動かない頭は本能優先で動く。マカロンの甘い燻りよりも好き。変なの。

「…はらへったな」
「夕飯食べてないからよ」
「え」

右を見ると、胡坐をかいた長身がつぶれたままのわたしに手をのばしていた。気付かなかった。タバコの匂いは、脱ぎ捨てたコートから。「あれ…ギャリーも死んだの」「……美術館の夢でも見たのかしらこの子」一回二回わたしのつむじ辺りを叩いた手がそのまま部屋の明かりを点ける。皮膚越しに光に刺された眼球が痛んだ。そういや眼球に目薬さしたなあ、まだ夢現つの頭が醒めていく。いやな夢を見てしまった。コートから本人へ擦り寄る対象を変える。

そうだ。今日はイヴに会いに行って、そのままギャリーの家にお邪魔したのだ。彼が持っているのは初対面より背の伸びたイヴが手作りなんだよと持たせてくれたマカロンだった。これよりタバコの方が好きなんて嘘。甘い方が好き。…嘘。勝手に箱に手をつっこんで口に入れる。お母さんと一緒にがんばったのだろうか。かわいい。にやにやしているとギャリーが呆れ笑いをこぼした。


「アタシの作るディナーよりイヴのデザートが好きなのね」
「拗ねた?」
「そんな大人気なくないわよ」

横を向かれてしまうと白い肌は前髪が隠して、案外目つきの悪い表情はわからない。ギャリーは確かに年上だし、その上彼の同年代の男よりも大分大人っぽいとは思う。視界にフィルターをかけてしまっているだけだろうか。第一印象って大事。箱を置いて空いた両手を掴めば、ギャリーは「ん?夕飯作ろうか?」なんて色気もなにもない笑顔をする。吸ったばかりなのか残り香が強い。何時間も暇をさせてしまったことを心の中で詫びて、でもかけらも怒らないその優しい匂いに口付けた。

掴めなかった手は掴まれていた。だから今度はわたしが掴むと決めたのだ。支えられると人は強くずるくなる。支える責任感は人を強く脆くする。守ってもらったわたしが、次からすること。

「なまえ、ご機嫌ちゃんね」
「ギャリーのこと好きだからかな」
「……訳わかんないけどそういうとこ好きよ」

守らせてくれてありがとう。これはもう、お互いわざわざ口には出さない。薬指を見たイヴの笑顔を思い出して目を閉じる。甘い中に苦みが広がった。


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