練習がおわり、お風呂と食事をすませて今は夜の自由時間。洗濯当番にてこずってやっと階段を昇る。向かうのは男子の中でも端側の部屋。
一応ノックしてからドアを開けると、風呂上がりのスエットにジャージを羽織った不動くんが待ち構えていたようにぱっとこちらを見て、また慌ててふいっと目をそらした。わかりやすいなあ。にやけそうな唇を引き結ぶ。
「…………、…おっせんだよ」
「今日洗濯当番だったから、ごめんね」
「…しらね、てかそれなら謝んな」
「そっか」
沈黙。後ろ手でドアをぱたんと閉める。部屋の造りも家具もみんな一緒だけど、不動くんの匂いでいっぱいだからわたしはこの部屋にくるのが大好きだ。
「…ふふ、不動くんってあれだよね」
「あん?」
部屋にまとめ買いしてあるポッキーを頂戴しながら(合宿中のおやつらしい)、雑誌片手に床に座っている彼を見る。反応はわたしと同じくポッキーをくわえた口だけだ。
「わんちゃんとかうさぎさんですよね」
「……は?」
いきなり何だよおまえばかじゃねえの。多分その言葉を喉の奥に飲み込んだらしい不動くんは、訝しむような目でベッドに倒れこむわたしを振り返った。ふわふわしたモヒカンも比例して跳ねる。
「狼とかならまあ百歩譲ってアリだけどよ…うさぎっておまえ」
「狼って発情期年に一度だからほんとは紳士なんだよ」
「……つまりあれね、なまえちゃんは俺が紳士じゃないと遠回しに言いたい訳ね」
いつも不機嫌そうな鋭い目に更に微妙な光を宿してわたしを見つめる碧。そんな視線にももう慣れた、わたしに向ける彼の瞳には本当の嫌悪がない。
「賢くてたすかります」
「うっぜ」
しかめ面をした不動くんが少しだけおもしろくて、サッカー雑誌を開きながらくすくす笑う。かわいいなんて言ったらきっと怒るから言わない。でも前にぽろっとこぼした時の一瞬の照れ顔はかわいかったなあ。呑気に考えながら食べるチョコレート味はいつもよりおいしい。
―――瞬間、視界が暗くなった。びっくりして反射的に、習慣的に目を閉じると、すぐ前でぱきんとポッキーが噛み折られる音。どんどん軽くなっていく。そのままおいしいチョコレートの部分を噛み進められていく感触がして、気付けばくわえていた部分すら喰らわれていた。
「…ふど、くん?」
「何回言ったら分かんだよてめーは。よそよそしく呼ぶな気持ちわりい」
唇の端についたチョコレートまで舐めとった彼の、慣れたはずの瞳が至近距離で光る。…こんな距離には慣れていない。
明王くん、すこし震えた声で紡いだ呼び声に、その瞳が笑った。
「んだよ。うさぎさんの明王くんですけど」
キス体勢のままベッドに押し倒される(開こうとしたはずの雑誌がすでにベッド上にない、完璧すぎるなにこれ)。にやにや笑っているのに少し余裕がない、……感じがした。憎たらしいいつもの笑顔とはほんの少しちがうにやつきだ。
「なぁ知ってんのおまえ、うさぎさんは万年発情期なんだぜ。なまえちゃんはどーいう意味で言ったのかなー?」
喰われたい訳?
お風呂上がりに着替えたパジャマの裾から男のわりにきれいな手が入り込む。…まさによく言う狼だなあ、なんてあほらしいことを考える余裕があるのは、もしかしたら明王くんよりわたしの方が落ち着いてるのもしれない。
「ちがうよ、わたしが言いたかったのは」
明王くんって寂しがりだねってこと!
彼の背中をとんっと軽くひとつ叩いて口にすると、わたしのお腹のあたりにいた手が止まるのを確認した。さっきよりも虚を突かれた感じの相貌で固まっている。まつげの寝癖すらわかる程の距離。年ごろなのににきびのない白い肌。
「……んだよ、それ」
はあ、とあきれた様な息を吐く。調子を狂わされて戦意喪失したのか、明王くんはわたしの首のあたりに顔を落とした。髪はくすぐったいけど暖かいからそのままにする。
「うさぎさんは寂しいと死んじゃうって言うじゃん」
そのくすぐったい髪をやさしく撫でてから、両手で意外とやわらかい頬を挟んだ。焦らすようにちょっとにやにやしてから繋げる。明王くんのまね。きっと本人は気付かない。
「わたしが遅くて寂しかったみたいだから、ふふふ」
「お前まじでうっざい」
いいから次は早く来い、このバカ。
頬の手を振り払ってちゃっかり暴言を残し、明王くんはまた顔をうずめてしまった。いかがわしかった手を今度はしっかりわたしの体に回して。
素直じゃないのに遠回しに言うこともできない所がまたかわいい、俗にいう不器用の塊。ボールの扱いはとても器用なのに。
顔を上げるに上げられなくなったのか、そのまま寝る態勢に入ったらしい明王くんの背中をまたとんとんしながら、前はこれも嫌がってたのになぁと一人でにやにやした。
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