「霧野髪切っちゃうってほんと!?」
「え? あー、多分」
「もったいな!」
「だって、女々しいだろ」
「女々しい?」
「何かもったいなくて伸ばしてたけど、ここまで伸ばしたらさすがにただの女じゃないか。顔もこんなんだし」
「その髪型と顔でも男前に見えるとこが霧野の魅力だよ!」
「…かわいい男子なんか」
「わたしは好きだけどなあ」
「え、」
「かわいい男子、いいと思う」
「……あ、そっちか」
「どっち?」
「いや、なんでもない」




たしか夏のおわりの話。秋がめぐって冬になっても、霧野は結局髪を切らなかった。わたしの説得が効いたのか寒いからなのか、やっぱり名残惜しかったからなのか理由はわからない。あの時も、どうしても引き止めたくて話しかけちゃったんだよな。オタクの突発的な情熱は本当に怖いものである。

わたしが霧野を過剰に意識し始めたのは多分そのあたりからだったと思う。目の保養扱いだった彼を無意識に追い掛けるようになったのは。最初は髪ばっかり気にして、次第に霧野のぜんぶを見つめてしまっていた。
我ながら惚れた動機が意味不明だけどわたしらしくてなかなか潔い恋じゃないかな。スクールバッグとは別に持った、チョコがいっぱい入ったエコバッグが歩く度に元気よく鳴る。当の本人はがっちがちだけど。

HRが終わったとたん、クラスのサッカー部は光速で教室を出て行った。あの浜野までもが俊敏に廊下へ飛び出していたのは思い出すたびにちょっと笑える。なんでも先輩からの教えで、毎年恒例の光景なんだとか。伝説の10年前雷門もあんなことしてたのかなあ。テレビでよく見るあの人たちが雷門中を走り回って隠れる姿を想像してみる。…シュール。

無理矢理関係ないことを考えているうちに、わたしは軽やかに体育館裏へ着いてしまった。霧野の気配は感じないけど、覗き込んだ角の向こうにはピンクが見える。サッカー部は忍者養成してるんですか。

「きりの」

こそこそ声で呼び掛けると、霧野は文字通り弾かれたようにわたしを見てから「みょうじか」とアスファルトに腰を下ろした。隣に促されるのでわたしもそこに落ち着く。お互いのチョコ袋が温かみのない音を立ててやっぱりうるさい。向こうの方から速水の悲鳴がした。脚ばっかり速いからファンの子は大変そうだ。

ちょっと付き合えって言ったのは霧野なのに、本人はただ黙っている。まるで蘭ちゃんじゃない彼を前にしたわたしみたいだった。……まさしく今のわたしである。
数分経っても沈黙は破れない。伺い合うような空気に耐えきれなくて、ついにわたしはエコバックを漁った。意外とだれも来ないので二人っきりの体育館裏。結構ロマンチックなんだけどな。左を見ても霧野はわざとじゃないのってくらいこっちを見ないので、仕方なく震える声でまた名前を呼んだ。

「はい。バレンタイン」
「……え、あ、ありがとう」
「蘭ちゃんに友チョコ、みたいな感じでね、結構がんばって作ったからさ、多分おいしいと思うんだけど」

焦っているみたいにするする、どうでもいい言葉を垂れ流し。しゃべっていないと身が保たない。放課後特有のざわついた空気にむりに溶け込もうとしているわたしに、霧野は「ありがとう、なまえちゃん」とやわらかく聞き慣れた呼び名を口にした。ミッションコンプリート。軽くなったエコバックを膝に乗せて、ふうと息を吐き出す。

できた。なんだ、案外できるものだ。義理のふり。お友達のふり。
蘭ちゃんとわたし、大事なおともだちだもんね。本当のことと本当じゃないことをうまく混ぜ合わせて隠すのは片思いの基本スキル。だからせっかくチョコを渡せたのにどうしてこんなに悲しい気持ちなのか、それは考えないふりをした。

友チョコなんて義理なんてうそで、半分は蘭ちゃんの中の霧野と一緒にいたくてデートに付き合ったの。残り半分は単に女装に萌えたから。そう言えたらどんなに楽になれるだろうか。そして同時にどんなに傷つくことになるだろうか。後者を恐れて、さっきまで無駄に流暢に動いていた唇がかさかさに乾いてくっつく。
このまま友チョコを押し通せば、わたしはまた蘭ちゃんと女の子同士のデートができるのだ。欲張ってその権利すら失うのは怖かった。

「みょうじ」
「はいっ」

霧野の声に、耽っていた難しい世界から引きずり出される。見れば霧野はさっきのわたしのまねっこよろしく手元の紙袋をなにやらごそごそしていた。しかし大量だ。今は膝に乗せられて特別みたいに見えるガトーショコラも、そこに放り入れられたらすぐ埋まってしまうだろう。袋の中から引っ張り出されたのは、平たい青い箱だった。バレンタインにはめずらしい配色が目立つ。きょとんとしているであろうわたしの方に、霧野はそれを差し出した。

「はい、これ。俺から」
「…え?あ、蘭ちゃんから友チョコ?」
「チョコっていうか…とにかく、渡しておきたいもの」

わあ、わあ。なんだろう、ありがとう。エコバックからばらばらと友達にもらった小袋がこぼれるのも構わずに、わたしはそれを受け取る。一瞬もらったものを横流ししているのかと疑ってしまった自分が恨めしい。そんな訳ないじゃない。箱は軽くて何の音もしなかった。お菓子類ではないのかもしれない。
青い箱の配色はまるで男子からのホワイトデープレゼントや逆チョコのようだった。「外国の風習に乗っかってみたんだ」そうなんだ、ありがとう。

「……外国の?」

ぱちんと跳ね上がるわたしの視界に、女の子みたいにかわいい霧野が映る。外国の風習。スローモーションの唇の動き。いつものドーナツを食べる時の子どもっぽさがすっかり抜けきってしまった顔が、微笑む。

「みょうじ、聞いてほしいことがあるんだ」






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