No.06
お祭り騒ぎの1日が終わると、いっそ清清しいほどあっさりといつも通りの日常が戻ってきた。生徒は皆、授業に追われ課題に追われる変わらぬ毎日。そんな中で、ハロウィンパーティを境にいくつか変わったこともある。
【小さな暗雲】
風も冷たくなったある日の朝、皆が思い思いに朝食を楽しんでいると、朝のフクロウ便がやってきた。何羽も何羽も飛び交う中、ナマエとリリーが座る席にもフクロウがやってきた。
「今日も来たわね。」
リリーが、まるで吐瀉物を見るような目つきでフクロウを見た。
「エルシー、いらっしゃい。」
ナマエは、自分の飼っている大きな雌の灰色フクロウの名前を呼ぶと、運んできた新聞を受け取った。
「いつもご苦労様。」
優しい手つきでエルシーを撫でると、エルシーは少し目を細めてから飛び立っていった。
「さて。」
新聞を椅子の背もたれのところに置き、逆に今までそこに置いてあったドラゴンの皮で出来た保護手袋をはめた。左手には呪いが漏れ出さない特殊な袋を握り締めて、フクロウの足に括り付けられている手紙を慎重に外した。それを慎重に袋の中へとしまう。4回ほど繰り返して、ようやくフクロウがいなくなった。
「ふぅ。」
溜息を1つついて、しっかりと封をする。
「やっと食事に戻れるわ。」
ナマエはそう言ってリリーに笑いかけたが、リリーは答えずに渋い顔をしていた。
「どうしたの?煮えてない豆があったの?」
気軽な調子でそう言うと、リリーはふんと鼻を鳴らしてますます険しい顔をした。
「いいえ、完璧なスープ。ねぇナマエ、がつんと言ってやりなさいよ。これじゃぁ貧乏くじだわ。ナマエは何も悪くないのに!」
ナマエは曖昧に笑っててきぱきと食事を終わらせた。
「リリー、私これを片付けるから先に行くわね。」
袋を片手に席を立とうとしたら、どこからとも無くシリウスが現れた。
「…俺が捨てとく。」
短くつぶやいてナマエの手から袋を取ったシリウスに、リリーは持っていたスプーンを置くのも忘れて怒鳴った。
「あなたのせいでしょ、シリウス!何とかしなさいよ!ナマエが可哀想じゃない!」
フクロウが運んできた呪い入りの手紙の数々は、全部シリウスに好意を寄せている女の子からだった。ハロウィンパーティの時の出来事を見た彼女たちは、嫉妬のあまりナマエを攻撃するようになったのだ。その事実にリリーは大層ご立腹だった。
「あなたが公衆の面前であんな風にナマエにちょっかい出すから!」
「リリー。」
「だってナマエ、」
ナマエは首を横に振った。
「シリウス、私大丈夫よ。皆その内あきると思うから、気にしないで。」
シリウスは顔を伏せて謝った。
「ごめん。」
「いいのよ。」
ちょっと笑ってから、ナマエは言いにくそうに手をもじもじと絡ませてシリウスを見た。
「それより、あのねシリウス、その、あんまり私に話しかけないで欲しい、の。その、人前だと、ちょっと。」
シリウスはもう一度小さな声で「ごめん。」と謝った。
「ううん、こっちこそごめんね。じゃあ、捨てるのお願い。」
ナマエはそう言うと足早に大広間を後にした。
「あなたの馬鹿げた痴情に、ナマエを巻き込まないで。」
リリーはきっぱりとそう言うとナマエを追いかけて行った。1人取り残されたシリウスは、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていたが、多くの生徒が寮に戻って行く喧騒でようやく意識を取り戻した。
「リリー、言いすぎよ。シリウスにだって悪気があったわけじゃなかったのに。」
占い学の教室へ行く廊下は長い。てってと少し急ぎ足で歩きながら、ナマエはリリーに言った。リリーはぎゅっと抱えていた鞄を握り締めたが、何も言わなかった。
「その内あきるわ。」
ナマエが言った言葉に、リリーはさっと顔を赤くして声を荒げた。
「その内その内って、もう1ヵ月以上じゃない!やってる女だって馬鹿じゃないわ!シリウスがナマエに本気だって分かってるからしつこいのよ!」
ナマエは驚いてしばらく声が出せなかった。廊下の真ん中で2人して立ち止まって、見詰め合う。
「…リリー、今なんて?」
「あの女ったらし、ナマエに恋してるのよ!」
ナマエは瞬きをして、リリーを凝視したが、とてもリリーが冗談を言っているようには見えなかった。
「まさか、そんな。」
「恋じゃないかもしれないわ。単に興味があるのかも。だけど、好意があるのは確かよ!態度を見れば分かる。」
「だからって。」
ナマエが冷静に言うと、リリーはようやく落ち着きを取り戻した。
「分かってる。全面的にシリウスが悪いわけじゃないってこと。だけどね、ナマエだって今まであいつがどんな交友関係を送ってきたか知らないわけじゃないでしょう?」
「えぇ、もちろん。」
ナマエはすぐに肯定した。
「だから、やっぱり9割くらいは彼自身の責任よ。今ナマエが迷惑を被ってるのだって。」
「…そうかもね。」
「だから私は怒ってるのよ。」
予鈴が廊下いっぱいに響いた。それに遮られてナマエとリリーは会話を終了して教室へ急いだ。とにかく遅刻は御免だったからだ。
***
シリウスたち悪戯仕掛人は1時間目は空き時間だったので、適当な空き教室を見つけて自習をしていた。
「あれは痛かったね、シリウス。」
4人とも、しばらく黙って机に向かっていたが、ふとジェームズが羽根ペンを置いて顔をあげた。シリウスも同じようにする。
「どっちのこと?」
「どっちもさ、リリーもナマエも。」
「『私に話しかけないで。』『あなたの馬鹿げた痴情にナマエを巻き込まないで。』言われたときのシリウスの顔といったら!あんな顔、はじめて見たよ。」
いつの間にか手を止めていたリーマスが、からかうように言った。シリウスは机の上の羊皮紙を横へ押しやって「あー!」という声を出しながら突っ伏した。
「強烈な一撃だったね。」
「話しかけないで、だもんね。意中の女の子から。」
シリウスは力なく腕をだらんと垂らした。
「もう死にたい。」
目はまるで死んだ魚のように淀んでいる。
「死んだら2度とナマエに会えないよ。」
「それは嫌。」
ジェームズとリーマスは顔を見合わせて少し笑った。シリウスがこんな風に誰かに思いを寄せる日が来るなんて、未だに信じられない気持ちなのだ。シリウスは基本的に誰に対しても社交的で、2人にとってもとても良い友人だが、1つだけ理解出来なかったのは異性との交友関係だ。何度注意しても、それはまるで病気のように次から次へと女を渡り歩いた。1度に2人と、などという暴挙すら珍しくなかった。女が少しでも束縛するような態度を見せれば即別れたし、愛を囁けば耳を塞いだ。私が好きなの?と問われれば聞こえないふりをした。そんなシリウスが、まるで少年のように照れながら1人の女の子のことを考えるのだ。長い付き合いの2人は、それをとても嬉しく思った。だからこそ、何とか応援してあげたいわけで。
「はぁー、困った。俺は一体どうしたらいいんだろう。ってか、誰だよあんな手紙を寄越す馬鹿は。」
「君が騒いだら逆効果だよ。」
「あああー。何であんなことしちゃったんだろう!?俺って馬鹿だー…。」
「し、シリウスは馬鹿じゃないよ。」
少し離れたところでレポートをやっていたピーターが、下を向いたままぽつりと言った。
「馬鹿にならない恋なんて、恋じゃないんだから。」
「ピーター!何ていいやつなんだ!」
シリウスはぱあっと笑ってピーターを見た。リーマスは不思議そうな顔をしてピーターに尋ねた。
「え?でもそれってさ、結局馬鹿なんじゃないの?」
「あ。」
「そっか。」
再び落ち込んだシリウスに、ジェームズがとどめを刺す。
「嫌がらせの他にもう1つ副産物があるよ。真っ赤な顔したナマエが可愛いって、さっきレイブンクローのブラムが騒いでた。ブラムだけじゃないけど。」
シリウスは顔色を土気色にさせて呻いた。後悔してもしきれないらしい。
「ま、人目のないところならいいんじゃない?話しかけても。」
「うん、そうだよな。まだ嫌われたわけじゃないんだ。うん。」
シリウスはほとんど自分に言い聞かせるようにして頷いた。本当に、ただの恋する青年だ。そんな様子のシリウスににっこり笑いかけてから、リーマスはがさごそと鞄を漁って包みを取り出した。
「あ、それ。」
「日本のお菓子だよ。ハロウィンのときに食べてとっても美味しかったから、また分けてもらったんだ。」
リーマスは笑って包みを広げると小さな饅頭を1つ口に入れた。それをじっと見ていたシリウスは、急に不機嫌な表情になった。
「何?そんな顔したってあげないよ。これは僕がもらったんだから。」
しかし、シリウスは答えない。思いを巡らせるようにしてから、「ハロウィンの時って、いつ?」と尋ねた。
「えーっと、ハロウィンの次の次の日の朝かな。僕が授業に出た日だから。」
リーマスの答えを聞いて、ジェームズもはっとした顔をした。
「何で今まで気づかなかったんだろう?」
「まったくだよ、シリウス。」
「何が?」
ピーターも気になって顔を上げる。
「ナマエもリリーも、ただの一度もリーマスの事を聞いてこなかった。」
「リーマスは僕らの部屋にもパーティにもいなかったのに。」
リーマスの顔色がさっと青くなる。ピーターはまだ分からないようで「それのどこがいけないの?」と尋ねた。
「だってそうだろピーター。朝部屋にいなかったら、普通不思議に思うじゃないか。風邪でも引いたのか聞くだろう。」
「え?それじゃ…。」
「リリーもナマエも、リーマスがいない理由を知っていたかもしれないってことさ。」
ピーターの問いに、ジェームズが軽い調子で答えた。リーマスは黙っていた。皆黙り込む。
「まだそうと決まったわけじゃない。」
シリウスの声が、静かな教室にむなしく響いた。
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