No.07



「待てこらー!ブラックううぅー!!」

「だーかーら、俺じゃないって!」

穏やかな休日の昼下がり、誰もがゆっくりと流れる時に身を任せて思い思いに過ごしている中、シリウスは全力疾走でアポリオン・プリングルと追いかけっこをしていた。4階の廊下を駆け抜けて、動く階段に滑るように乗り込んだ。

「お前じゃないなら誰だって言うんだー!」

プリングルはぜいぜいと息を切らせながら杖をついて走っていた。シリウスは遠ざかって行く階段にひょいっと飛び乗ってプリングルにひらひらと手を振った。

「待て、待てー!」

「じゃあね、じいさん。身体をお大事に。」



【マザー&マザー】



5階の、あまり人気の無い廊下の手前で、シリウスは念のため隠し扉の裏側に潜り込んだ。杖明かりを頼りに忍びの地図を広げて、管理人の居場所を確認する。プリングルはのろのろとした速度で自室へ戻って行くところだった。シリウスはほっとして床に腰をおろした。プリングルは一体何を勘違いしていたのか。シリウスは本当に身に覚えが無かったのだ。頭に手を当てて髪をくしゃくしゃとしてから、もう一度地図に視線を落とした。5階には本当に誰もいない。今日は授業もないし当たり前か。もう少ししたら寮に戻ろうと思っていたら、ふと、ある点に気付いた。このすぐ近くの空き教室にぽつんとあるナマエ・ミョウジの点。シリウスは、その点にどっきりした。ナマエは今1人だ。しかも、ほとんど人の出入りが無い空き教室にいる。滅多にないチャンスに心が躍り出すのを必死に押さえて、シリウスは慌てて隠し扉から出た。

ひたひたと歩いて行くと、静寂の中に微かな歌声が聞こえた。イギリス人ならマグルでも魔法使いでも誰でも知っている、有名な歌だ。

What are little boys made of?
What are little boys made of?
Frogs and snails
And puppy-dogs' tails,
That's what little boys are made of.

男の子は何で出来てるの?
男の子は何で出来てるの?
カエル カタツムリ
小犬の尻尾
そんなこんなで出来てるさ

自然に、笑みがこぼれた。そおっと閉めたドアに背をあずけて、2番を歌い始めたナマエを眺める。

What are little girls made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all that's nice,
That's what little girls are made of.

女の子は何で出来てるの?
女の子は何で出来てるの?
砂糖 スパイス
素敵な何か
そんなこんなで出来てるわ

歌い終わったと同時に、シリウスはナマエに拍手を贈る。ナマエは心底驚いたようで、物凄い勢いでシリウスを振り返るなり、見る見るうちに顔を真っ赤にさせた。

「シリウス!いつからそこに?」

「“男の子は何でできてるの?”からかな。」

「全部じゃない!聞いてたわね!」

「聞いてたよ。ナマエは歌が上手だね。」

シリウスはへらっと笑いながらナマエに近づいた。ナマエはわたわたと狼狽しながら両手で頬を覆った。

「盗み聞きなんて悪趣味よ!もうー!」

「ごめんごめん。」

ナマエが立っている窓際に一番近い机に腰をおろすと、シリウスの目線はようやくナマエと同じ高さになる。

「恥ずかしい。リリーにも聞かれたこと無かったのに!」

リリーにも無い、という言葉に、シリウスは自分でも驚くくらい喜んでいた。

「何で?上手なのに。謙遜は国民性?」

「違う!いや、そうかもしれないけど!」

「どっちだよ。」

シリウスは片手で口元を覆って笑った。ナマエはブスーっと拗ねて窓の外に顔をそむけた。

「歌が好きなの?」

「そうよ、誰かさんに聞かれさえしなきゃね!」

「ごめんって。そんなに怒るなよ。」

ナマエは頬を膨らませてぶつぶつと文句を言っていた。

「いつもここで歌ってるのか?」

「暇があるときは。いつもじゃないわ。ここなら誰も来ない…はずだったし。」

「そうなんだ。」

少しの沈黙の後、ナマエはちょっと顔を上げてシリウスを見た。

「ん?」

「その、この間はごめんなさい。シリウスが悪いわけじゃないのにね。私ったら、」

シリウスは、まさかナマエが謝ってくるとは思っていなかったので面食らった。

「いや、俺が悪かったんだ。ナマエに迷惑かけた。」

ナマエは何か言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じて頷いた。何も言わないことに決めたのだ。2人とも、これ以上この話題を続けたいとは思わなかった。


「あー、その、もう歌わないの?」

シリウスは髪に手をやりながら言った。ナマエは少し笑って身体ごとシリウスに向き直った。

「…1曲も2曲も同じだわ。リクエストある?」

「じゃぁ、6ペンスの歌を歌おう、をお願いします。」

ナマエに尋ねられると、シリウスは礼儀正しく答えた。

「知ってるの?マグルの歌でしょう。」

「マザーグースは大体全部知ってるよ。だって、」

シリウスが不自然に言葉を切ったので、ナマエは首を傾げた。

「シリウス?」

「あ、いや、俺伴奏しようか。」

シリウスは言及を避けるために話題を変えたのだが、ナマエは一瞬で目を輝かせた。

「シリウス、ピアノ弾けるの?」

予想外のリアクションに、シリウスは驚いた。

「弾けるけど…。」

「早く言ってよ!何で隠してたの。」

「いや、別に隠してたわけじゃ、」

「ねぇ、早く行きましょう!」

ナマエはシリウスの手を取って歩き出そうとした。ナマエの小さな手が、シリウスの手首のあたりをぎゅっと掴んでいる。その事実にシリウスは動揺して、挙動不審になってしまった。ナマエは凄い勢いで教室の外までシリウスを連れ出したが、ふと立ち止まってしまった。

「ナマエ?どうかした?」

「忘れてたけど、私、入学した時分に随分探したのよ、ピアノ。だけどどこにも無かったわ。」

ナマエは眉を下げて明らかに消沈した顔をした。そんなナマエを見て、シリウスはナマエにばれないように優しく微笑んだ後、ナマエの肩を突いてにやっと笑った。

「ナマエ、俺を誰だと思ってる?ホグワーツにおける悪戯仕掛人に不可能は無いんだよ。」



***



「ふへー…。」

ナマエは感動のあまり自分でも変だなぁと思う声を出してしまった。それもそのはず、シリウスに連れられてやってきた、そこに存在することすら知らなかった部屋へ足を踏み入れると、立派なグランドピアノにヴァイオリンはもちろんのこと、チェロにフルート、クラリネット、なぜかリコーダーまで、ありとあらゆる楽器が所狭しと並べられていたのだ。譜面も、交響曲からソロまで様々なものが置いてある。

「すごいだろう。」

シリウスがふふん、と笑ってナマエを見た。ナマエはシリウスにがばっと抱きつく。

「すごいすごいすごーい!何ここ?まるでパラダイスじゃないの!シリウス素敵ー!」

「ちょ、ナマエ、」

シリウスは思考回路を爆発寸前にさせながら必死でなけなしの理性を掻き集めた。

「すごいわ、ほんとに!」

ナマエは満面の笑みをたずさえてピアノに駆け寄った。シリウスはドアが閉まっているか確認するふりをして、3回も深呼吸をした。危うく間違いを犯すところだった。

「シリウス!ねぇ、この素晴らしい部屋は一体何なの?」

ナマエはピアノのそばからはしゃいだ声でシリウスに話しかけた。

「へ?あ、あー、この部屋?俺たちは“必要の部屋”って呼んでるけど。」

「必要の部屋?」

「そうだよ。この部屋の前の廊下を、必要なものを想像して歩くと、この部屋のドアが現れるんだ。」

ナマエは感心したように頷いた。

「全然知らなかった。こんな部屋があるのねー。本当に何でも揃ってるわ。」

ごそごそと譜面の棚をあさっては早速次から次へと引っ張りだした。

「ね、シリウス何でも弾ける?」

「超絶技巧とか無理だけど、まぁ大体なら。でも随分弾いてないからなー。」

シリウスは指をマッサージして温めながらナマエの斜め後ろに立った。ナマエは今日、長い髪をふわふわと大きなお団子にしている。シリウスは、ちょうど良い位置にあるそれをちょっと突っついてみたが、ナマエは気付かなかった。

「きっと大丈夫!ね、これは?」

ナマエが指差したのは、シリウスがさっき言ったマザーグースの譜面だった。

「これなら出来るよ。」

ナマエはにこにこ笑って自分からピアノのそばまで行った。

「シリウス早く!」

「分かったって。」

そう言いながらも、ナマエは先に椅子を陣取ってしまった。シリウスは苦笑いで近づいた。

「このピアノ、スタインウェイじゃない。なんて素晴しいの!」

ナマエが銘を見て驚いたように言った。

「スタインウェイか。家にあったのと一緒だ。」

「ええ!すごいわね。音楽一家なの?」

シリウスは答えずに、苦笑いを深めただけだった。ナマエは聞いてはいけなかったのかな、と思ってピアノに向かい直した。鍵盤を叩くと、きちんと調律されている音が部屋中に響いた。

「完璧ね。」

ナマエはそう言うと立ち上がってシリウスに席を譲った。シリウスが座ると、ほんのりナマエの体温が伝わってきて、また少しどぎまぎした。指のマッサージを終えて心持緊張しながら鍵盤に指を置く。適当に和音を連ねて、久しぶりに味わう鍵盤の感触を確かめた。

「久しぶりだ。」

「そう?とてもそうは見えない。」

段々楽しくなってきたシリウスは、思いつくフレーズを適当に鳴らした。ナマエは反響板の上に肘をついてうっとりとシリウスの指を眺めた。流れるようなその動きが、とても美しい。滅多に見せない真剣な顔も、いつもより魅力的に見えた。

「さ、いいよ。ナマエは?」

「チューニングして。Aで。」

シリウスはラの音を、ペダルを踏んで3オクターブで鳴らした。控えめなビブラートで伸びやかに伸ばす。

「私も久しぶり、この感じ。」

「じゃ、馴らしってことで、適当に。」

「うん。」

前奏がはじまって、ナマエはお腹に手をあてて大きく息を吸い込んだ。

Sing a song of sixpence,
A pocket full of rye;
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie.

When the pie was opened,
The birds began to sing;
Was not that a dainty dish,
To set before the king ?

The king was in his counting-house,
Counting out his money;
The queen was in the par lour,
Eating bread and honey.

The maid was in the garden,
Hanging out the clothes,
There came a little blackbird,
And snapped off her nose!!

6ペンスの歌を歌おう
ポケット一杯ライ麦と
24羽の黒ツグミ
パイに焼かれる黒ツグミ

パイを開けたら歌いだす
小鳥の歌が聞こえ出す
その1皿は特別さ
王様向けのお献立

その王様はお仕事場
せっせせっせと金勘定
お妃お部屋で甘いもの
はちみつパンにかぶりつく

メイドはお庭でお仕事さ
洗濯物の取り込み中
そこへツグミがこんにちは
メイドの鼻先ついばんだ

シリウスがゆっくり鍵盤から手をはなしたと同時に2人で大きな拍手をした。

「ブラボー、ナマエ。」

「シリウスも!あー、楽しい!こんな立派な生伴奏で歌を歌ったの初めてよ!」

「俺も、こんなに素敵な歌の伴奏をしたのは初めてだよ。」

2人でくすくす笑い合った。

「ね、もっと!」

「いいよ。次はどれ?」

「次はこれ!」



ナマエは声が嗄れるまで歌った。気付けば夕食の時間を過ぎていて、シリウスは驚いた。まったく時間が経つのが早すぎる。

「ふぁー、楽しかった!シリウス、ほんとにほんとにありがとう!」

ナマエはぎゅうっとシリウスの両手を握ってお礼を言った。こんなに楽しい時間を過ごしたのは久しぶりだった。

「俺もすごく楽しかった。なんか、弾いたーって感じで!」

「私も、歌ったーって感じ!」

ナマエの少し掠れた声が何だか可笑しくて可愛くて、シリウスは笑ってしまった。

「お腹空いたわ。」

「俺もぺこぺこだ。今何時?」

ナマエは腕を伸ばしてシリウスに腕時計を見せた。

「道理で。」

2人は適当に後片付けをして、早々に部屋を後にした。誰もいないかきょろきょろと確認してから部屋を後にした。


並んで歩きながら、シリウスはちらりとナマエを見た。もしかして、こうして歩くだけでナマエに負担をかけているのではないか、と考えた。もしかして、嫌がっているのではないかと。

「そんな顔しないでよ、シリウス。私が悪者みたいだわ。」

「あ、ごめん…。」

ナマエは鋭く見抜いていた。

「私、気にしないことにしたの。やりたい人にはやらせておけばいいわ。根も葉もない噂なんて長続きしないでしょう。」

ナマエは笑ったが、シリウスは笑えなかった。ナマエに迷惑をかけてしまった原因は間違い無くシリウスにあるが、それでも、根も葉もない噂、と表現されたのが少し悲しかったのだ。それが、とても身勝手なことだと理解していたが。

黙ってしまったシリウスを見て、ナマエは目をしばしばさせた。そして、良いことを思いついたと言わんばかりにぱっとと笑う。

「ね、もし悪いと思ってるなら、私のお願い聞いてくれる?」

シリウスは真面目な顔でナマエを見て、頷いた。

「何でも聞くよ。」

ナマエは嬉しそうに笑った。

「じゃ、またピアノ弾いてくれる?」

何がくるのかと身構えていたシリウスは、拍子抜けした。そしてすぐに顔を綻ばせた。

「それじゃあお願いにならないよ。」

「それは承諾ってこと?」

「もちろん。」

「嬉しい!」

シリウスは心の中で「俺のほうが嬉しい。」と言ってみて、そんなことを考えた自分が強烈に恥ずかしくなってしまった。

「シリウスは何歳からピアノをやってるの?」

「物心ついたときからだよ。母親に、」

シリウスは、また言葉を切った。ナマエは首を傾げる。さっきもそうだったことを思い出した。

「…話しにくいこと?」

ナマエは優しく微笑んだ。シリウスはナマエのおだんごを崩さないように注意してナマエの頭に触った。

「あのさ、知ってると思うけど、俺、家も家族も純血も大っ嫌いなんだ。」

ナマエは黙って聞いていた。じっとシリウスの横顔を見詰める。

「俺の母親って、子供を一流に育てることしか頭に無かったんだ。それがどんな意味を持つのかも分からないくせに。笑っちゃうよ。それしか生きがいを見つけられなかったんだ。でも俺は俺で子供だったし、他の世界を知らなかったから、毎日朝から晩まで勉強だの稽古だので縛り付けられても母親の期待に応えることが生きがいだったんだ。そんな考えも、まぁ、今ではこんなんだけどさ。そしたら、今まで一生懸命だったものが全部馬鹿らしくなっちゃったんだ。一番極端だったのが、母親が大好きだった音楽で、」

ナマエは驚いたように息を吸い込んだ。シリウスは少し言いよどんだが、構わず続けた。

「それで、さっきナマエと演奏するまで、ずっと避けてたんだけど、でも、」

立ち止まってナマエをクルリと振り返り、複雑な顔をしたナマエの顔を覗きこんで言った。

「やっぱり好きだった、音楽。」

「お母様に感謝ね。」

「癪だけどな。」



「ねぇシリウス、今から行ってもお夕飯にありつけないわ。」

ナマエがもう一度時計を覗き込みながら言った。

「どうしようか?」

すると、シリウスはポケットからぱっと忍びの地図を取り出した。

「さっきも言っただろ?悪戯仕掛人に不可能は無いって。」

ナマエは訳が分からない、といった顔で地図を覗き込んだ。シリウスの少し骨っぽい指の示す先を見ると、“厨房”の文字。

「場所が分かるのね?ありえない!」

「合言葉が必要なんだ。こっち。」

シリウスは梨をくすぐってナマエの手を引いた。

「足元気を付けて。」

「う、うん。」

ナマエは困惑していた。男の子にいきなり触られたのはほとんど初めてだ。勢い余って自分から触ることはあったが、それとこれとはわけが違う。にも関わらず、どきどきしてはいるが、不愉快だとか振り払いたいとこれっぽっちも思わなかったことにナマエは心底驚いていた。同時に、とても恥ずかしかった。


「お坊ちゃま、お嬢ちゃま、ようこそいらっしゃいました!」

耳を劈くような屋敷しもべ妖精たちの声に驚いて、ナマエは思わず握りっぱなしだったシリウスの手に力をこめてしまった。シリウスは驚いてナマエを見る。

「こいつら、初めて見る?」

「あ、ごめんね!うん、知ってたけど、会うのは初めて。ちょっと声に驚いちゃって。」

ナマエは焦ったように笑いながら慌てて手を離した。シリウスはかなり残念な表情を隠さずにあらわしたが、ナマエはしゃがんで屋敷しもべ妖精の観察に夢中なふりをしていたので気付かなかった。

「お嬢ちゃま、失礼いたしましてございました!」、

屋敷しもべ妖精がわざとらしく小さな声で話す。ナマエはにっこり笑って、「はじめまして。」と言った。

「いつもご苦労様です。」

ナマエがそう言って一番近くにいた屋敷しもべの頭にふれようとしたら、屋敷しもべは物凄い勢いで後ずさりをした。

「あ、ごめんなさい。」

ナマエが申し訳なさそうに手を引っ込めると、屋敷しもべはぐりぐりとした大きな瞳からぼろぼろと涙を流した。

「お嬢さまの御手がよごれてしまわれましてございます!」

「そんなこと、」

「滅相もございませんでした!」

その屋敷しもべ妖精はするすると妖精集りの中に消えてしまった。
そんなやり取りもほとんど無視して、シリウスは話を進めて行った。

「あのさ、俺たち夕食食べ損ねちゃって、何か寮で食べれる物が欲しいんだけど。」

「お坊ちゃまが寮で食べれる物をご所望です!」

「寮で食べれるもの!」

「寮で食べれるもの!!」

しもべ妖精たちはあっという間にキッチンに散らばった。

「ナマエも、何か食べたいものを言えば作ってくれるよ。」

シリウスの言葉を聞いて、ナマエは頷いた。

「じゃぁ私、色々なパイが食べたいわ。」

「色々なパイ!」

「色々なパイ!!」

妖精たちの掛け声がキッチン中に響き渡った。

「パイが好きなの?」

「特に好きってわけじゃないけど、なんとなく食べたくなっちゃって。」

ナマエはぺろりと舌を出して笑った。数分の後、妖精たちはバスケットにあれこれ詰め込んで持ってきた。

「本当にありがとう、とっても助かったわ。」

妖精たちは感極まった様子で畏まっていた。シリウスは無表情のまま何も言わない。

「さ、寮に戻ろうか。」

そう言っただけで、さっさと歩き出してしまった。

「…シリウスは彼らが嫌いなの?」

ナマエはぱたぱたとシリウスの隣に追いついて、尋ねた。シリウスはちょっと考えてから「別に嫌いじゃないけど、」と言った。

「けど?」

「好きでもない。」

「ふーん。」

バスケットの中からはとても美味しそうな匂いが漂ってくる。こんなに素敵な妖精たちなのに、と、ナマエは不思議に思った。



寮に戻ると、リリーが血相を変えてナマエに飛びついてきた。

「ナマエ、ナマエ、どこに行ってたの?フラリと出掛けたきり帰ってこないんだから!心配したのよ?」

今にも泣きそうな顔でナマエを抱き締める。

「ごめんね、リリー。ちょっとシリウスと喋ってたの。」

「ちょっと?シリウスと!?」

リリーは刺すようにシリウスを睨んだ。

「な、何だよ!俺は別に、」

「別に?」

「喋ってただけだよ。」

シリウスは、ナマエがなぜリリーに本当のことを言いたがらないのか不思議に思った。バスケットを持って、ソファのところへ行くと、ジェームズもリーマスもピーターもいた。皆思い思いのことをしている。

「おや、誘拐犯のお帰りだね。」

ジェームズがシリウスに席をあけながら言った。にやにやと笑っている。

「誘拐犯って何だよ。」

シリウスはジェームズを睨んだが、全く効果が無いことは知っていた。

「リリーがひっきりなしに騒いでいたんだ。『ナマエが誰かに誘拐された!』ってね。」

「冗談だろ。」

シリウスはバスケットに掛かったナプキンを取りながら笑った。笑ったが、リリーの視線が痛かったのですぐに引っ込めた。

「シリウスー、シリウスもお茶飲む?」

「飲む。」

バスケットの中には食べきれないほどのパイにサンドウィッチ、スナックなどが所狭しと入っていた。さっそくフィッシュアンドチップスを摘みながら、ナマエの方へパイを置いて、そのほかにも色々な食べ物を机の上に広げた。

「わぁ、美味しそう。」

ナマエは手を合わせて「いただきます。」と言ってからミートパイに手をつける。とても美味しい。

「ナマエ、夕食にも来ないし本当にどこに行ってたの?っていうか、この食べ物は何?」

「シリウスにね、厨房に案内してもらったの。そこで屋敷しもべ妖精にもらったのよ。」

ナマエの嬉しそうな声を聞いて、ジェームズは益々にやにやした。

「ふーん?」

「何だよ、その顔。」

「いやぁ、僕は生まれつきこの顔さ。」

「そうかよ。ご愁傷様。」

シリウスは投げやりにそう言うと、早々にチップスを飲み込んで、キドニーパイをつまんだ。ジェームズも、近くにあったサンドウィッチに手を伸ばす。

「リリーも食べたら?これ、きっとレモンパイよ。」

「そうね、いただくわ。」

リリーはそう言いながらもシリウスから目を離さなかった。

「おい、リリー、言いたいことがあるなら言えよ。そんな顔で睨まれたら食べにくいだろ。」

怒ったように言ったシリウスに、ナマエは首を傾げた。

「あらシリウス、おかしな事言うのね?リリーは誰かを睨んだりしないわ。」

「そうよね、ナマエ。変なシリウス。」

リリーはしてやったりという顔をして笑い、ジェームズはそのやりとりを見て笑った。

「ぶぶっ、うける!」

「このやろっ!」

「わー、ちょっ、まっ!」

シリウスはジェームズに殴りかかった。

「相変わらず仲がいいのね。」

ナマエは口いっぱいにパイを頬張りながら2人のじゃれ合いを眺めていた。

「ピーター、あなたも食べない?リーマスも。」

それぞれ本を読んでいた2人が、ナマエの声で顔を上げた。

「やあ、ありがとうナマエ。いただくよ。」

「あ、僕も。」

リーマスはブルーベリパイを、ピーターはフィッシュアンドチップスに手をつけた。しばらく4人でもぐもぐやっていると、ようやく落ち着いたシリウスとジェームズが戻ってきた。

「ったく。」

どうやら、今日はシリウスが勝ったらしい。シリウスは紅茶を一気に飲み干して、不貞腐れたようにソファに体を沈めた。

「で?本当は2人で何をしてたんだい?」

復活したジェームズが眼鏡を掛け直しながら言った。シリウスはすかさずジェームズを睨む。しかしリリーも同意したので、何もいえなかった。

「そうよ!どうしてナマエの声が嗄れてるの!」

リリーの言葉にナマエがひっと息を飲む。さすがは親友といったところだろうか。ナマエのわずかな変化にも鋭く気付いていた。ナマエはさっと顔を赤くして俯いた。

「ねぇナマエ、私にも言えないこと?」

リリーに言われて、ナマエは観念したように笑った。

「あのね、シリウスのピアノを聴いてたの。」

ナマエは自分が歌ったことを伏せて言った。

「え!シリウス、ピアノが弾けるの?」

ピーターが驚いたような感心したような声を出したので、シリウスは耳まで赤くしてしまった。恥ずかしかったのだ。

「凄く上手なのよ、ピーター。今度弾いてもらったら?」

いけしゃあしゃあと言ってのけるナマエに、シリウスはささやかな反撃に出た。

「ナマエはそれに合わせて歌ってたんだよな?声が枯れるまで。」

「え!」

今度はリリーとリーマスが同時に驚いた声を出した。ナマエはシリウスの3倍くらい赤くなって俯いてしまった。

「ナマエが?」

リリーは信じられない、といった顔でシリウスを見る。シリウスは深く頷いて見せた。

「凄く上手なんだ。今度聴かせてもらうといい。」

「シリウス、内緒の約束でしょ!」

「先に破ったのはナマエだ。」

「んん。」

怒って顔を上げたナマエだったが、二の句が継げなくなって再び俯いてしまった。羞恥から、ふるふると震えている。

「知らなかったわ、ナマエが歌を歌うなんて。」

「僕もだ。そんなに上手なら聴かせてくれればよかったのに。」

リリーとリーマスが言ったが、ナマエは首を横に振るばっかりだった。

「ねぇリリー!僕とっても良いこと思いついちゃったんだけど!」

突然、ジェームズが叫ぶように言った。皆驚いてジェームズを見る。リリーは眉間に皺を寄せてジェームズを見た。

「あら何?ジェームズ。ふざけたことなら承知しないわよ。」

シリウスはナマエにこれは睨んでいるんじゃないのかと問いたかったが、逆鱗が恐いので押し留まった。

「まぁちょっと聞いてよ!」

ジェームズはリリーにこそこそと耳打ちをする。2人が見る見るうちにリリーも笑顔になっていったので、ナマエはたまげた。いつの間に2人はこんなに仲が良くなったのだろう?それは喜ばしいことだが、こうも急展開だとついていけない。

「ねぇリーマス?あの2人どうなってるの?」

ナマエが、にこにこしながらリリーとジェームズを見ているリーマスに尋ねた。リーマスは最後の一口を口に入れてから、ナマエに向き直った。

「利害の一致は敵対感情をも超えるんだよ、ナマエ。」

ピーターが小さく「敵の敵は味方…。」と呟いた。

「あのね、さっきの夕食のときにダンブルドア先生から発表があって、今年はクリスマスに全校でパーティをすることになったんだ。それでね、ハロウィンのときに思いのほか好評だったから、クリスマスにも寮対抗の試合をすることになったんだけど、」

「何の?」

ナマエと、乗り出してきたシリウスが同時に尋ねた。リーマスは笑って続ける。

「ダンスさ。」

「ダンス?」

「そう。各寮で代表のペアを選出して、先生方と審査員そして一般投票で、一番素敵な寮から順に点が入るってわけ。」

ナマエは頷いた。

「それがどこをどうしたらジェームズとリリーの敵対感情緩和につながるわけ?」

シリウスはじれったそうに尋ねた。

「それはね、シリウス、」

ひそひそ話を終えたジェームズが嬉々として言った。リリーも身を乗り出す。

「私とジェームズがペアを組んでグリフィンドール代表に立候補するからよ!」

「ぇええええっ!?」

ナマエとシリウスは、あまりに驚いたのでとても大きな声で叫んでしまった。周囲のグリフィンドール生は、何事かと2人を見る。ナマエは喉を痛めていたので、激しい痛みに襲われてしまった。

「ぐふっ、いっ!」

「ばっか、大声出すから!」

シリウスは慌ててナマエに水を差し出した。

「そんなに驚くことないだろう?」

「おどろくわ っ、ウッ。」

「だから叫ぶなって!」

シリウスはナマエを叱りつけてからもう1杯水を与えた。ナマエは、これが叫ばないでいられるか!という視線をシリウスに送って見せた。納得したシリウスは、これ以上ナマエに叫ばせないためにも、素早くジェームズに質問する。

「順を追って話せ。」

ジェームズは笑ってリリーの肩をたたいた。リリーはナマエを心配そうに見詰めていて、ジェームズを無視した。

「だからぁ、僕は何でもいいから目立ちたい、リリーは何が何でもグリフィンドールに点が欲しい、僕もリリーもダンスは大の得意、イコール?」

ジェームズは近くに置いてあった羽根ペンをマイクに見立てて、まるでマグルのテレビ番組の司会者のような仕草でシリウスの前に突き出した。シリウスは呆けた顔で答える。

「ペアを組んで立候補?」

「いやぁ、ご明察。お見事!」

ジェームズはぱちぱちと拍手をしてソファに座りなおした。ちゃっかり、リリーの隣だ。ジェームズのテンションに反比例して、シリウスのテンションは下がっていった。

「リリーも?」

ナマエはほとんど息の音だけでリリーに尋ねた。リリーは笑って「そうよ。」と言った。

「ジェームズとなら、身長差もちょうどいいし何より適任だわ。意見が合ったんですもの。」

「意見?」

「そうよ。誰かにグリフィンドールを任せて自分は眺めてるだけなんて、出来ないの。自分で何かしなくちゃ。」

確かに、リリーはそういう人間だ。ナマエは頷いて見せた。

「でね、ナマエも私と同じだと思うの。」

ナマエは首を傾げた。

「シリウスだって、僕と同じで目立ちたがり屋だよね?」

シリウスもナマエ同様首を傾げる。

「さっき言ってた良いことと関係あるのか?」

「大有りなんだな、これが。」

ナマエもシリウスも、何だか嫌な予感がした。

「リリー?」

ナマエは不安そうにリリーの名前を呼んだ。

「寮内オーディションに通ったら言うわ。」

ナマエとシリウスは顔を合わせる。ジェームズは「楽しみにしてて。」と言った。嫌な予感で一杯になったのは、シリウスだったか、ナマエだったか。


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