6(終)
「もう、なんで教えてくれなかったんですか」
「…30近い男が自分から言うことじゃないと思う」

会って挨拶の後第一声から責められた。何のことかと言うと、俺の誕生日を事前に伝えなかったことについて、だ。
伊黒が甘露寺に言われて仕方なく俺に誕生日を尋ね、報告を受けた甘露寺がミズキに教えたという図式なのだが、その会話が成されたのが2月の第2週の金曜日、折しもミズキが『今度こそ私が出すばん』と念を押して誘ってくれた食事の日だった。
伊黒は相当嫌だったらしく、放課後になってやっと俺に話し掛けてきたという具合で、そこから甘露寺、ミズキへの伝達は早かった。
俺は残業せずに帰って早く待ち合わせの場所へ行きたいばかりだったから気に留めなかったが、待ち合わせ場所に現れたミズキは大層ご立腹だった。

「せめて昨日!昨日教えてくれたら違ったんです!カービングとかグラサージュとかすれば軌道修正できたの!」
「…?何かよく分からないが、ごめん」
「今更だけど果物なら何が好きですか!」
「………ごめん、出て来ない」
「いちばんむずかしいやつ!」

前回と同じく自宅最寄り駅の近くで、今回は俺の希望でミズキの好きな店にしてもらった。
その店へ移動する間中、ミズキはまた可愛らしく怒っていた。女性の怒る様を可愛く思う日が来るとは我ながら驚いた。

小ぢんまりと落ち着いたイタリアンバルに着いた頃には彼女は少し落ち着いていて、個室ではないが他の客と適度に区切られた席に大人しく通された。横並びの席というのは少し新鮮だった。

「これ」

最初の注文を済ませるなり、ミズキは持っていた小ぶりの紙袋をとんとテーブルに乗せた。ただその表情は納得いかないといった様子だった。
俺が首を傾げていると「バレンタイン当日は会えないから先に渡しちゃいます」と補足された。

「でもお誕生日の方がウエイトがおっきいですよ。ちゃんと好きなケーキの種類とかフルーツとか聞いて、好みの感じに仕上げたかったのに」

成程、それで『昨日なら軌道修正できた』ということか。だが俺は誕生日よりバレンタインの方が嬉しいと言ったら、ミズキは怒るだろうか。

「…開けてもいいか?」
「もちろん」

紙袋を引き寄せると中に美しく包まれた箱が入っていて、俺は繊細な生まれたての生き物でも持ち上げるような気分で箱を出して、つるりとしたリボンを解いた。箱の蓋を開けると、チョコレートと洋酒がふっと香った。

「…これが嬉しい」
「あ、フルーツよりチョコレート系が好きですか?ビターな方が好き?今回は週末だしと思ってお酒を効かせてますけど、ナッツとかキャラメルとか…」
「バレンタインを嬉しいと思ったのは初めてだ」
「数えきれないくらいもらうのに?」
「ありがとう」
「喜んでもらえたならよかったです」

チョコレートを持ってきてくれる生徒たちには申し訳ないが、学校でもらうもの全てを合わせてもまだ、ミズキからもらったひとつの方が俺にとっては遥かに価値がある。ミズキはケーキの種類の話をしているが、俺には何をもらうかより誰からもらうかの方が今重要なのだ。

その後は前回同様ゆったりと食事をして、合間に酒を飲み、店員から隠れてミズキのくれたチョコレートケーキを一緒に食べた。冗談じゃなく「今まで食べたケーキで一番うまい」と言ったらミズキが「ビターでラム酒風味がお好みなんですね」と少し俺の本意とはズレたことを言った。
今回はミズキの注意が逸れている間に伝票を抜いて俺がトイレに立ち、会計をしてから席に戻るとまた彼女は大層ご立腹だった。

「義勇さんまた!伝票が!ないんです!」
「そうか、誰の仕業だろうな」
「もー!!」
「ケーキはうまかったし食事も楽しかった。俺は満足してる」

後ろから俺の背中をミズキの手が叩くのも、店員が微笑ましそうに頭を下げるのも、食べ終えたケーキの空箱が紙袋でかさかさ音を立てるのも、最高に気分が良かった。

「意地でもお礼させないつもりですか、せめてなにかほしいものとかないんですかっ」

また帰路を連れ立って歩いていたところへミズキがそう言うので、思わず立ち止まって彼女の顔をまじまじと見た。もちろんほしいものなら間違いなくある。『君がほしい』と正面切って言えればどんなにいいか。ただそれを言ったが最後ミズキのセキュリティに締め出されかねないのだから黙っているしかない。
俺が急に黙り込んでじっと見ているのでミズキも不思議そうに俺を見つめ返した。曇りのない綺麗な目。媚びず、真剣で、朗らかで、温かい目。俺はこれがほしい。
これで実は結婚詐欺師だとか薬物使用の前科があるとかでない限り、俺なら『思ったのと違う』なんて思わないのに。

「………ごめん、思い浮かばない」
「いちばんむずかしいやつ!」

俺が誤魔化すとミズキはまた少し怒ったような仕草をしてから、可笑しそうに笑った。

少なくとも次はホワイトデーを口実に会えるな、と計算しながら再び歩き出した。しかしそろそろ口実を用意しなくても会えるようになりたい。
バレンタインをくれるぐらいだからある程度の信頼は得ていると思っていいだろうが、このまま『仲良し』枠に安住してしまえば永遠に恋人にはなれない。

そのまま歩いてミズキの自宅近くまで来たところで、彼女が急に立ち止まった。振り返ると彼女の目は丸く見開かれて前方を呆然と眺めていて、視線を辿るとマンションのエントランスに男がひとり立っていた。

「知り合いか?」
「…一番最近の『思ったのと違う』くんです」

声は抑え気味に会話したのだが、男はこちらに気付いて駆け寄ってきた。ミズキの表情がさらに硬くなった。男は至近距離まで来ると俺を睨み付け、続いて俺とミズキの手に指輪がないのを確認するように視線を走らせた。

「ミズキ、久しぶり」

男が一歩踏み出すとミズキが一歩下がった。

「話したいんだけど、部屋に上げてもらっていい?」
「…嫌。話すことなんてないでしょ」
「じゃあここで言うけど、恋人に戻りたいんだよ、俺がどうかしてた」
「やめてよあり得ない…もう帰って」

ミズキの拒絶の表情が目に入らないのか、男はべらべらと聞く気の起こらない未練をあれこれ喋り散らして、その内に熱が籠ってきたのかさらに一歩踏み込んでミズキに手を伸ばした。
ので、考えるより先に俺の手は男の顔を殴っていたのだった。
男は驚きのあまり尻餅をついて、その口の端には血が滲んでいた。その切れた口が「な、なん…、」と殴られた理由を求めている様子だったので、考えた末に面倒になって短くまとめた。

「つい」

俺の斜め後ろで固まっていたミズキが「ぎっ義勇さん!?」と声を上げて俺の腕を掴んだ。
続いて地面に尻をつけたままだった男が我を取り戻したのか、ふらつきながら立ち上がろうとして失敗した。そして切れた口は痛むだろうに、俺のことを交えてミズキを罵り始めた。よくもまあ今し方ヨリを戻したいと言った相手のことを罵れるものだ。

「…黙れ、お前の勝手な都合や妄想をミズキに押し付けるのはやめろ。お前がミズキを何だと思って言い寄ったのかは聞かないし興味もない。ただミズキの本当に美しいところを分かろうともしないお前がこれから彼女に纏わりつくつもりなら俺が黙っていない」

男は苦々しい顔で俺を睨み上げていた。まだ地面から尻を離せないでいるから、そんなに強く殴った覚えはないが、罵って興奮したせいで少々頭が揺れているのかもしれない。

「ミズキに話を聞いた時から言ってやりたかったことがある。阿呆じゃないのか、だが去ってくれて良かった。以上だ失せろ、そして二度と顔を見せるな」

相変わらず地面に尻をつけたままの男が、そのよく回る舌がまたべらべらと文句を吐きだしたところで、ミズキが一歩前に出て男の前にしゃがみ、視線を合わせてやった。男はさすがに黙った。

「あなたとヨリは戻しません、私に一切期待しないでください。どう思い直してくれたのか知らないけど、私はあなたの都合に合う人間には変われません。私が殴ってしまったことは、ごめんなさいね。それじゃあさようなら」

さようなら、のところでミズキはにっこりと笑んで立ち上がり、男を通り過ぎて歩き出した。俺もそれを追って横に並んだ。

少し歩いてから俺が「悪かった」と一言漏らすと、ミズキは首を振った。俺の教師という職業柄、さっきの男が警察に訴えでもしたら厄介な事態になることをミズキは見越して『自分が殴った』とわざわざ男に牽制を掛けてくれた。自分から別れた元恋人にヨリを戻そうと言い寄った挙句フラれて殴られたという筋書きにされては、男も情けなくて警察に行けないだろう。
ずっと前方を見据えたままだったミズキが「義勇さん」と言った後で俺を見上げて、ニッと歯を見せて笑った。

「ありがとう。とーってもスッキリしました!」
「俺も言いたかったことが言えた」
「嬉しかったですよ」
「そうか」
「意外と気が短いところあるんですね」
「自覚してる。…幻滅するか」
「まさか!ごめんなさい、手は痛みますか?」
「そんなに強く殴っていない」

ミズキは俺の右手をちらと確認してから、両手を上げて背中を逸らし、肺に目一杯空気を吸い込んだ。

「そういえば勢いで自宅を通り過ぎてきちゃったけど、どうしよ」
「それならさっきから俺の家に向かってる」
「えっそんな急に、いいんですか?」
「勿論構わない。あと、」
「はい?」
「家に着いたら告白がしたい」

ミズキは急に立ち止まって真ん丸に見開いた目で俺を見た。
それからぽつりと「…それ、ほぼ言っちゃってませんか」と言った。違いない。

「さっきの男、出会い頭に俺とミズキの左手を確認していた。指輪でもしていれば馬鹿を言い出す前に退散してくれたかも知れない」
「あっ防犯的な意味で…すみません」
「勿論好きだから言っている」
「えっ…ぅ、わぁ…」
「迷惑ならそこのコーヒーショップにでも入るか」

オレンジ色の灯りが漏れるチェーンのコーヒーショップを指させば、ミズキが俺のコートの袖を掴んだ。
嫌われてはいないと把握した上で、元彼を追っ払ったタイミングでの発言としては、迷惑、は少し狡かったかもしれない。

「わ、私も、すきです」

今度は俺が目を丸くする番で、袖を掴むミズキに向き直ったものの、顔が伏せられていて表情が見えない。だがこの様子を見ると、たった今聞こえたミズキの発言は都合のいい聞き間違いではないらしい。高揚した。

「…いつからだ?ちなみに俺は伊黒と甘露寺の結婚式で友人スピーチを聞いた時だが」
「そ、れ初対面のとき!?」

驚いたミズキが顔を上げて、やっと目を見ることができた。俺のほしい目が俺だけを見ている。また俯かれてはかなわないと頬に手を添えると、ミズキの顔が街灯の灯りでも分かるほど赤くなった。

「まったく、両想いならもっと早く打ち明けるべきだった」

ミズキは困ったように眉を下げた。

「い、言えないですよ、男性不信みたいなこと言ったのに、素敵な人に優しくされたらコロッと好きになっちゃったなんて…幻滅されちゃうと思ってた」
「幻滅などするものか。最高に嬉しい」
「…義勇さんってけっこう喜怒哀楽はっきりですね」
「顔に出ないだけだ」

ミズキが、頬に添えていた俺の手に触れた。指の付け根の関節を柔い指先が労わるように撫でると、くすぐったいような心地いいような、堪らない気持ちがした。彼女はそのまま左手で俺の手を取って指の一本一本を交わらせ、横並びになって手を繋いだ。

「ふふー、仲良し?」
「…そうだな」

もっとさっさと恋人になってしまいたかったと思わないでもないが、手堅く進めるために必要な時間だったとも思う。ミズキが俺に対してその壁の内側に入って良しとしてくれる前に踏み入っていれば、さっきの『思ったのと違う』男と同じに思われていたかもしれないのだ。
それに、さっきの男が俺とミズキの手に指輪が無いのを見て絡んできたからこそ、俺はずっと言ってやりたかったことを口に出す機会を得た。

「時間をかけた甲斐があったよ」
「うん?」

さてこれから俺は恋人になったばかりの可愛い人を自宅に招くわけだが、がっつきすぎて『最も低い』を言われないように紳士に振舞うことが、当面の努力目標になる。少なくとも、『思ったのと違う』を言われることのないように。
結果的に実ったとはいえ少々雑になってしまった告白をどう言い直すか考えながら、幸せに浮いたような感覚の足で、自宅へ向け一歩踏み出した。


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