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「冨岡さん、ミズキちゃんはウェディングケーキを担当するときには必ず、注文されたモチーフについて丁寧に下調べをするのよ。新郎新婦の思い出の場所だとか、好きな花だったり、飛行機なんてときもあったわ。今ミズキちゃんが打合せに参加してる式のカップルがね、水族館が思い出の場所なんですって。それで打合せの中でミズキちゃんが水族館のペア招待券をもらったんだって言ってたの。そのカップルが時間がなくて期間中に行けそうにないからって。私を誘ってくれたんだけど、私もしばらくお休みを合わせられそうにないの!」

平日の夜、突然甘露寺から電話がかかってきたと思ったら、応答した途端に圧倒的な文量と情報量が押し寄せた。
甘露寺の言わんとすることが分からず、ただ「はぁ」とだけ返したのが隣の伊黒の耳に拾われたらしく、愛想が無いとネチネチ説教が始まりそうだったところを、一切気にしない甘露寺がまた興奮気味に喋り始めたので伊黒は黙った。

「でねでね、私思うのよ、冨岡さんが行ったら素敵じゃないかって!だけど私から『冨岡さんを誘ったら?』って言っちゃうとミズキちゃんが身構えちゃうじゃない?ミズキちゃんの次のお休みがこの土曜日だからきっとその日に行くわ!あと電車に乗る前に駅ナカのカフェがあるでしょう?そこでコーヒーを飲んでから行くの、いつも。だから次の土曜日の朝10時に改札横のカフェに行ったら必ず会えるわ、もうきゅんきゅんしちゃう!」

俺はまた「はぁ」としか返せなかったわけだが、伊黒も甘露寺に圧倒されているのか、今度は説教の気配はなかった。
というかそもそも俺は甘露寺に対して彼女の親友であるソウマミズキに懸想していると申告したことはないのだが、甘露寺はもうすっかり応援モードというか、多少無理矢理にでもくっ付けてしまえという感じで事を進めているのは何故なのか。いや、正直9割5分方自覚しつつある恋なのだが。
女性のこういうところって少し恐ろしく感じることがある。

「…甘露寺が駄目なら他を誘うんじゃないのか?」

我ながら尤もな返事だった。
ただ、甘露寺は俺が乗り気と受け取ったのか何やらいっそう鼻息荒くなった。

「それなら大丈夫よぉ!ミズキちゃん『じゃぁ勿体ないけど1人で行こうかなぁ』って言ってたもの!」
「はぁ」




そして本当に来てしまう俺も俺なのだが。
本当に土曜日の午前10時、駅の改札横のカフェで、コーヒー片手にノートとスマホ画面を見比べている彼女の姿を発見した時には少々驚きを隠せなかった。

近寄ってテーブルの端をトントンと指で打つと、彼女は顔を上げて目を丸くした。

「わっ冨岡さんだ、偶然ですね!」

君の親友にお膳立てされた『偶然』なのだが、とは言えなかった。
テーブルの上を見て「…水族館か」とだけ言うと、甘露寺から事前にリークされていた内容が寸分違わず語られたのだった。そしてやはり「誰かと待ち合わせか」と問えば「勿体ないけど1人で行こうと思って」とのことだった。

「…嫌でなければ俺が行っても構わないか」
「え…でも、冨岡さんどこかにお出掛けの途中だったんじゃ…?」
「…特に目的はなかった」
「ふぅん…?あの、取材に行くので、1か所ですごーくお待たせしたり、会話しながら楽しくって感じじゃなかったりしますけど…」
「迷惑ならやめておく」

言外に相手の気遣いを強要する汚い手だとの自覚はあったが、自分がそれだけ必死になっていることの方に驚いた。案の定彼女は「迷惑だなんて」と慌てて荷物をまとめ始めた。

「じゃぁ、お付き合いいただけますか、冨岡さん」
「俺から言ったことだ」

コーヒーショップから出てきて、鞄を肩に掛け直し、彼女は改まって言った。その様子を、俺はとても好ましく感じた。




「…電車に乗ってから今更ですけど、こんな飾り気のない服装の女を連れてて恥ずかしくないですか?」

無目的に中吊り広告を眺めていると、出し抜けに彼女が言った。意図するところが分からず隣を見ると、彼女の視線は同じ車両内にいる女性たちの後姿を転々としていた。俺から見ればどれも同じように見える。
彼女は柔らかそうな白いセーターと、穴のあいていないジーンズ、適度に手入れされたスニーカーといういで立ちで、何が問題なのか心底分からない。
「何か不都合があるのか」と聞いてみると、彼女が周りをぐるりと見回した。

「だって私、遠足の子どもと大差ないですよ」
「取材に行くなら歩く想定だろう」
「そうですけど…」
「…俺は女性の機微は分からないが、その服装は清潔感があっていいと思う。人工的なにおいもしないし人を取って食いそうな爪でもない。捻挫しそうな踵の細い靴だと心配になる」

彼女は何秒か俺の顔をぽかんとして見ていたが、やおら噴き出してくつくつと口元を押さえて笑い始めた。何故笑うのか、これも分からない。

「ごめ、なさ、ふふっ…爪とか、ふ、捻挫…っ」
「可笑しいか」
「っ、とっても。あー、やっぱり体育の先生なんだぁ」
「何だと思っていたんだ」
「お話しなければ静かな文学青年ですよ」
「国語の担当は別にいる」
「天然って言われることありません?」

心当たりから俺が黙ると彼女はまた笑った。この真意の読めない女性の笑い方というのが本当は苦手なはずが、この時は居心地の悪い思いなどまるでなく、しばらく彼女の笑うのを眺めていた。するとある時彼女がぴたりと笑うのを止めて俺に向かった目を丸くしたので、
「どうした」と聞けば「笑った」と。

「冨岡さんが笑うの、初めて見ました。笑うんだぁ」
「…本当に何だと思っていたんだ」
「ごめんなさい、だって、ずーっと涼しい顔だから」
「人並みの感情はある」
「ですよね、ごめんなさい、ふふ」

また彼女は笑ったが、不思議と小馬鹿にされたような気分にはならず、心地よい笑い方だと感じた。人の真意を酌むことは得手ではないが、本質的に淀みのある人間かそうでないかを見分けられる自負はあるからして、俺は直感的に彼女を好ましく思うのだろう。
誠実でひたむきで努力家で友人想いで、柔らかく温かい女性だ。

「そちらこそ、こんなに笑うのは初めて見る」
「そうですね、3度目にして初。お見苦しいところを」
「美しいと思う」
「へ、」
「美しいと「あ、2回目いいです」

「恥ずかしいから」と彼女は顔を覆ってしまった。
事実だろうに、心底分からん。ただ、沈黙した後の電車も居心地悪くは思わなかった。


長く電車に揺られて目的地に着いた後、混む前にと軽い昼を済ませてから水族館へ入った。彼女は新郎新婦の思い出だという目的の大水槽へ迷わず向かい、「すみませんちょっと取材に入るのでお好きにご覧になっててください!」と言ってカメラやノートを取り出した。
様々な角度から写真を撮り、何事かをノートに書き留め、またはスケッチし、通路の中央に島を作っているソファに腰掛けて水槽を眺めたり、水槽に近寄って覗き込んだり、説明書きを読み込んだりと、とにかくその取材対象に噛り付いていた。
俺はその様を壁に凭れて目で追いながら、やはりここでも手持無沙汰だとか居心地の悪さは欠片も感じなかった。熱心に動き回る彼女を眺めるのはとても楽しかったし、水族館に何を見に来たのかと問いただされれば多少答えに困りはするだろうが、ともかく俺は満足した。
小1時間ほどそうしていると、取材を終えたらしい彼女がカメラとノートを仕舞い、青く暗い中をきょろきょろとし始めた。俺を探しているのだと思えば気分が良かった。
「もういいのか」と背後から声を掛けると、少し驚いた嬉しそうな顔が振り向いた。

「すみません、ながーくお待たせして」
「いや、俺も満足している」
「よかった、水族館好きなんですねぇ」

『それはちょっと違うんだが』とは言わずにおいた。
その後の順路は流し見そこそこに抜け、ミュージアムショップをひと撫でし、休憩にカフェに入った。そこで彼女はケーキを食べたのだが、『美味しそうに』というよりは分析の目だった。どこまでも熱心だ。

帰りの電車で気付けば彼女の頭がゆらゆらとし始めたので、俺の肩を提供した。もちろん仄かな下心の元で。彼女からは自然で柔らかく甘い匂いがした。
自宅の最寄り駅に着く手前で(前回伊黒宅で会った後明らかになったのだが、俺と彼女は最寄り駅が同じだった)彼女を起こすと、枕にしていたことを平に謝られ、また自宅まで送っていった。

「今日は本当にありがとうございました。きっといいケーキにしますから!」
「きっといいものになる。これだけ熱心に取材していれば」
「ありがとう、冨岡さん」

「それじゃあまた」と言って彼女は颯爽とアパートへ入っていった。
俺は自分の方の自宅へ足を向けながら、今日一日のことを反芻していた。
清潔感のある服装、朗らかな受け答え、職業的情熱、自然で柔らかな甘い匂い。
過去に『思ったのと違う』と言って彼女から去っていったという男たちは、そもそも一体彼女を何だと思って言い寄ったものか問い質してみたい。そして阿呆じゃないのかと言ってやりたい。だが去ってくれて良かったとも。

このようにして俺は9割5分方自覚していた恋の、残り5分を埋めた。


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bkm
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