冨岡義勇の場合(前)
車には人柄が出るとミズキは思う。
ミズキの通う高校で体育教師をしている幼馴染の義勇の車によく登下校で乗せてもらうのだけれど、彼は音楽も持ち込まずにカーラジオを流しっぱなしにし、飾り物も置かず、維持費の安い軽自動車を愛用している。飽くまで淡々と移動の手段として車を使っているという感じだけれど、手入れは行き届いている。

ミズキは助手席から運転中の義勇を盗み見るのが好きだった。あまり無遠慮に見ていると「気が散る」と叱られてしまうので、横目で盗み見るに留めているのだ。

ミズキはふと思い出して、膝の上の鞄から買ったばかりのリップクリームを取り出して、厚紙の台紙からプラスチックの覆いを外して中身を手の平に迎えた。冬場には気を付けていないと唇が裂けて痛い思いをすることになるので常備品なのだ。

「…また買ったのか」

ちらりと視線を動かした義勇が言った。
『そういえば前回買ったときも義勇さんの車で開けたっけ』とミズキは思い出した。

「そう、また無くしちゃったの」
「探したのか?」
「いつも上着の同じポケットに入れるようにしてるんだけど、気付いたら無くなってて。どこかで落としちゃうのかなぁ」
「気を付けろ」
「うん」

リップクリームはいつものポケットへ、包装は鞄へ仕舞った。
ミズキは珍しく義勇から口を開いたことに乗じて、横顔の唇を眺めた。彼は性格からしてリップクリームは絶対に使わないだろうけれど、乾燥している様子はなくてミズキには羨ましい限りだった。
そうしている内に学校が近付いてきた。

「…今日も帰り、乗せてやれる」
「じゃあ図書室で宿題しながら待ってるね。ありがと義勇さん」

学校の手前、ひとけのない場所で義勇は車を停めて、ミズキはシートベルトを外した。
「あのね義勇さん」とミズキは少し身体を義勇の方へ乗り出した。

「好き」
「…だから、」
「キスして」
「しない」
「冗談で言ってるんじゃないよ?」
「尚悪い。降りろ」

義勇が凄むとミズキは僅かに唇を尖らせて車から足を下ろした。車の傍に立つと屈み覗き込んで、「ごめんなさい、じゃあまた放課後に。冨岡先生」とニッコリよそ行きに笑ってからドアを閉めた。
ミズキが立ち去るのをバックミラーで見ながら義勇は眉間に皺を寄せた。ミズキの告白はこれが初めてではないし、彼女が言う通り冗談でないことも重々承知していた。そして義勇もミズキのことを悪しからず思えばこそ本当に困るのだ。
可愛く大切に思っていなければ、幼馴染とはいえこうも頻繁に車に乗せてなどやるものか。
幼い頃から義勇のことを純真に慕ってきたミズキはここ数年で急に大人びて美しくなった。
その内彼氏でも作るだろうと思っていたのに、ミズキは相変わらず子猫のように擦り寄ってくる。

バックミラーが無人になったのを確認してから、義勇は車を動かした。



放課後になって車へ呼び出したミズキは実に平然としていた。

「遅くなってすまない」
「宿題ぜんぶ出来たからむしろよかったの」
「そうか」

にこにこと機嫌良さそうにしているミズキの唇が艶々と光った。
ふたりで車に乗り込んでひとけもまばらな道を滑っていった。

学校から義勇とミズキの隣り合った自宅までは車でなら30分弱だけれど、電車を使うと歩きや待ち合わせを含めて小一時間掛かってしまう。ミズキは入学当初こそ律儀に電車で通っていたものの、義勇の車に乗ることが多くなってきて、前回定期券の更新時期で買うのを辞めてしまった。

朝とは違いお互い無言のまま慣れた道を辿り、自宅の駐車場に車を入れてエンジンを切ってから、ミズキを見て義勇は目を丸くした。黙っていると思っていたら、眠っていた。
何秒かまじまじと見詰めてから、義勇はシートに背中を戻して溜息をついた。朝から大人を掻き乱しておいて、夜には至近距離の密室で無防備に眠ってしまうとは。

ミズキは目を覚さない。
義勇はミズキの顔をちらと盗み見た。街灯に淡く照らされたミズキは少女というには大人びて、女というにはあどけなく、危うくて綺麗だった。
その時ミズキの唇が僅かに動いたのを義勇はしっかり見てしまった。声にはならない吐息のようなものが、間違いなく「ぎゆうさん」と言った。
何かが爆ぜたような感覚がして、義勇はミズキの前に身を乗り出して、静かに静かに唇を合わせた。

「…ん、ごめんなさい、寝ちゃった」
「着いてから5分も経ってない。気にするな」

ミズキが目を覚ました時、義勇は運転席で眉間に皺を寄せて腕組みをしていた。ミズキがぼんやりしている間にも義勇はさっさと車を降りてしまい、彼女も慌てて降りた。

「じゃあ、おやすみなさい。ありがとう義勇さん」
「…いや、悪かった」

目を逸らす義勇に対してミズキは目を瞬かせた。
街灯の光を受けて、義勇の唇が僅かに艶を帯びて見えた。

車の運転席から助手席の女子学生の前に身を乗り出す義勇の写真が校門に貼り出されたのは、その翌日だった。


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