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昼休憩に入ってすぐ美術準備室のドアを叩いた。返事があって中に入り、その紙袋を渡すと、先生は袋の中を見て首を傾げた。

「…お袋が、先生に食べてもらえって」

朝、食卓に弁当の包みがみっつ置かれていて、ひとつは玄弥、ひとつは俺、残りひとつは誰のだと眺めていたら、皿を洗っていたお袋の背中が「それミズキちゃんに食べてもらってね」と言ったのだった。ちょっと待ていつの間にミズキちゃん呼びなんだと思いつつ鞄に紙袋と一緒に隠すように詰めて、いつも通り登校した。
受け取った先生はというと、心なしか紅潮して蝶の羽化でも見守るように弁当をまじまじと見ていた。何やら、思ったより大いに喜ばれたらしい。

「あ、ありがとう…嬉しい」

ようやく弁当から視線を上げて、はにかんだ様子で笑った。それはシャッターに絵を描く手を止めて「おかえり」と言った笑顔とも、マンションのエレベーターの中から口の形で「おやすみ」と言った笑顔とも違う、剥き出しの、幼さを感じる柔らかい笑顔だった。
俺が何も言えなくなって突っ立っている間に、彼女は待ちきれないという感じで弁当を机に出し、「不死川くんほうじ茶と緑茶どっちがいい?それかコーヒー飲める?」と電気ポットに水を入れてスイッチを押した。
そこではたと気付いて『いや別に一緒に食べようと思って来たわけじゃねェ』と言おうとして、でも自分の弁当も持ってきてる時点で言い逃れできないとも気付いた。結果、「じゃあ、コーヒー」と呟いた。

「お砂糖入れる派かな」

それは質問というよりも、よく当たる占いの結果を伝えるような響きだった。
鼻歌でも歌いそうに上機嫌な先生を眺めながら、俺はパイプ椅子に腰を下ろした。


それからというものお袋は毎日当然のように弁当をひとつ余分に作り、俺はそれを届けた。先生は何も言わずにコーヒーに砂糖を入れるようになり、パイプ椅子は当たり前にいつもの場所で俺が座るのを待つようになった。一度だけお袋が都合が付かなくて弁当なしになって(「ごめんねぇミズキちゃんにも謝っておいて」とお袋)、何故か自然な流れで購買で買っていつも通り準備室で砂糖入りのコーヒーと一緒に食べた。また弁当なしの日が急にあったら朝連絡するから、とIDをもらったが、結局弁当なしはその1回だけだった。
こうして平日毎日昼を一緒に食べ、夜は歩いてマンションまで送り、おまけみたいに週1回美術の授業を受けた。
そうしてる内にシャッターの絵は着々と完成に近付いてきていた。


「何か最近不死川丸くなったよな」

クラスメイトに突然言われ、「体重は変わんねェぞ」と返すと「天然かよ雰囲気がだよ」と畳みかけられた。自覚ねェ。そんなことより昼休みに入ったからさっさと美術準備室へ行こうと足が疼いていた。
クラスメイトを適当にあしらっていつも通り美術室まで来ると、準備室の戸口に誰かが立っていた。

「一緒に昼どうですか?近くに美味しい店があるんですよ」

国語の教員だった。ワイシャツのその背中に余程蹴りを入れてやろうかと思ったが、一応堪えておいた。…アイツは何て返事をするんだろうか、と気になったからだった。行きたいと、思ったりするんだろうか。

「ごめんなさい、先約があって」
「じゃあ明日はどうです?」
「明日も。ごめんなさい」
「えっと、じゃあ、今度夜飲みに行きませんか」

もういいだろ俺は充分我慢した、と結論して、わざと大きく「ミズキせんせェー」と声を掛けた。
国語教員が派手に肩を跳ねさせたのを睨み付けながら横を通って、花屋の店名が印刷された紙袋を机の上に置いた。

「頼まれてた花持ってきましたァ。毎度ありがとうございまーす」

『で、アンタはいつまで突っ立ってんだよ』という意思を込めて睨み付けると、教員はすごすご帰っていった。いつもの椅子がいつもの位置にあって、砂糖の入ったコーヒーから湯気が上がっているのを見ると、少し胸がすく思いがした。

「不死川くん、ありがとね」
「…別に。行きてェならお袋に断るし」
「まさか。お母さんのお弁当に勝るランチはないよ〜」

言いながら紙袋から弁当を出して、両手で顔の斜め上に掲げて惚れ惚れしたように眺めた。「大袈裟だろォ」と言いつつ俺は満足していつもの椅子に座った。
先生は早速弁当の包みを解きながら「ああいう手合いはね」と言った。

「一度誘いに乗ると次回以降が長いから、最初が肝心」
「ヘェ、辛辣」
「望み持たせるようなことはしない方がお互いの為でしょ?」
「慣れてンな、モテるだろ」
「それなり」
「それはモテる奴の言い方」

初めて夜家まで送ってったときの会話をなぞってることは、お互い表情で分かっていた。こういうじゃれ合いは、少し心地良かった。

「私、男の人ならよかったなぁ」

思いの外マジな声色に一瞬驚いて先生を見るも、いつもと変わらない上機嫌な様子で弁当の蓋を開けていて、気のせいかと自分も弁当を開けた。
「いただきます」と言う声も、箸を持つ細い手も、「今日も美味しそう」と笑う口元も、窓からの光に透ける髪も、ふとした瞬間の甘い匂いも、とてもじゃないが男にはなれそうにない。
その後は「美味しい」を連呼して弁当を食べる様を眺めながら同じ内容の弁当を食って、甘いコーヒーを飲んだ。

もうすぐ絵は完成する。
それが少し惜しい気がした。


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