1

美術の教員が産休に入る関係で、新しいのが来ることになったらしい。俺の欠席した全校集会でそれが発表されたそうで、今からその美術の授業って段になって俺はクラスメイトから初めて聞かされた。
正直美術なんて無くても生きていける代表格だし、大学受験が行手にチラつき始めた高2にとっては『路傍の花が咲きました』くらいどうでもいい話題だろうに。尤も、大学に対して夢を抱くでもなく、さっさと進学して何か資格でも取ってとっとと就職して弟妹の多い母子家庭を助けるぐらいしか当面の目的がない俺にとっては、大学受験だって所詮道端の雑草に過ぎないのだが。
美術室に向かうクラスメイトたちの特に男どもがやけに色めきだってて何なんだと思ってると、ひとりが肩を組んできた。

「そっか不死川、まだ見てないんだよな」
「何が」
「新しい美術の先生な、すっげー美人なの!」

…ハァ、美人だって所詮雑草だろォ…と思いつつ授業が始まってその新しい教員とやらが前に立つと、なるほど言われるだけあって美人だった。その女はソウマミズキと名乗った。

「まぁ美術は無くても生きていけるし、あ、美大志望の子いないよね?(「いるわけねー」の合いの手)うん、とりあえず嫌いにならないように、楽しみましょう」

にこ、と笑ったその教員に、とりあえず面倒臭いやつじゃなくて良かったと思ったのだった。

「ねーミズキちゃん先生」

授業が終わりに近付いた頃、クラスの中でも鬱陶しい類の男が声を発した。「うん?」と教員。

「裸の絵描きたいからモデルやってくれませんかぁ?」

取り巻き数人がドッと笑った。女子は白い目。教員は一瞬目をぱちくりした後、「鹿児島くん、2分待ってもらえるかな?」と。…ハァ?正気か?

「煉獄くん、折り入ってお願いが」
「何でしょう先生!」
「美術の道を志すクラスメイトのために一肌脱いでもらえないかな?君とってもガタイがいいから絵になりそう!」
「承知した!」

「いやいや承知すんな物理的に脱がされんぞォ」と一応隣にいたよしみで歯止めをかけておいた。
今度はクラスが平和なバカ笑いに沸いて、そこで終礼のチャイムが鳴った。さすが美人だけあってセクハラ紛いの絡みをあしらうのには慣れている風だ。

「あ、不死川くん」

美術室を出る手前で教員に呼び止められた。何だ面倒臭ェなという表情を隠しもしなかったのをあっちは名前を間違ったと思ったらしく、「あれ、しなずがわくん、って読み違った?」と首を傾げた。

「…何スか」
「おうち、お花屋さんって聞いたんだけど」

げ、と口の形までいっていた。確かにお袋は花屋をしてるが、自分の顔面が花屋ってガラじゃないのは重々承知している。

「…まぁ」
「来週の授業で使いたいから、700円分学校まで配達をお願いできないかな?」

そう言って教員はジップロックの袋に入った千円札を差し出した。正直やりたくない。花持って登校すんのか俺は、この顔で?
しかしこれも売上げ、と苦い感情を飲んで「花の種類は」と言った。言ったというより、吐き出した。

「季節のお花を見繕ってほしいの。色は白以外なら何でも」
「…ッス。じゃ釣り銭はこの袋に入れて」
「300円は配達代」

「ありがとう」と言って教員は手を振った。俺は軽く頭を下げて美術室を出た。
出てすぐにクラスメイトが「何の話?いーなー」とウザ絡みしてきたので金の袋をポケットに突っ込んで「別に」とあしらった。

「やっぱいい匂いとかした?すげー美人だよなぁ」
「知るかァ。腹立つわ」
「何で?可愛いじゃん」
「苦労知らずの温室育ちって感じでムカつく」

そうだ、『無くても生きていける』美術の、産休代理の腰掛け教員で、あの美人。そのうち結婚でもしていいとこに収まって、お袋みたいに花の棘や水仕事に手を傷めることもなく、平和に生きていくに決まってる。
穢れも苦しみも存じませんてな様子で朝の爽やかな風に悠々と揺れる蓮の花を連想した。腹が立つ。


1週間後、花を持った姿を知り合いに見られたくなくて、いつもより早く登校して真っ直ぐに美術室へ行った。
奥の準備室をノックすると「はーい」と呑気な声。一応挨拶をして紙袋を差し出すと、教員は笑顔で受け取ってチラッと中を確認し、「300円は配達代って言ったのに」と眉を下げた。
少し見ただけで300円分の違いが分かんのか。

「…別に」
「真面目な子だねぇ、感心感心」

『うっせぇなオバサン』とは一応言わなかったが、顔には出てただろう。
それに気付いているのかいないのか、教員はニコニコしたまま「あ、そうだ」と小ぶりなスケッチブックを手繰り寄せて開いた。

「この前の週末にね、ベランダから公園が見えてね。美しい光景だったからつい」

「げ」というのは今度は口に出ていた。スケッチブックには、小さくても見れば分かる、俺と3人の弟妹たちが描かれていた。確かに週末、チビ3人を公園に連れて行った。
あの公園の近くに住んでんのかコイツ。

「…キモ」
「素直でよろしい。でも黙って待っとく方がキモくない?これあげるね」

言うが速いかスケッチブックからそのページを切り離してクリアファイルに入れて渡してきた。勢いで受け取ってしまい「じゃあ、お花ありがとう」とにこやかに言われてしまえば突っ返すタイミングも逃して、仕方なく美術室を出た。
そのまま教室に帰ると隠すように鞄に突っ込んで、放課後までそのまま見もしなかった。

帰宅後、お袋に絵を渡すといたく感動して、家族全員で回し見することになった。その時になって初めてまじまじ見ると、なるほど教員なだけあって良く描けている。

「本当に上手ねぇ!この仕草、実弥そのもの!」
「こんな小さい絵なのに弘と就也と貞子って分かるし」
「すごーい!」

お袋は「いいもの貰っちゃったわぁ」と喜んで、何と絵はそのまま居間に飾られることになってしまった。まじかよと後悔するも後の祭り、絵はお袋が好きな画集の横に、家族写真よろしく飾られてしまった。
お袋は服も装飾品もほとんど持たないのに、その画集だけは後生大事にずっと飾ってあって、たまに開いて眺めてるのを見かける。その画集の横というとポジション的には上席だから、お袋は余程嬉しかったらしい。
…とりあえずもうあの公園には行かねェ。そう決めて、晩メシの残りを掻っ込んだのだった。

[*prev] [next#]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -