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週末、例によってミズキの部屋に押しかけて参考書を開いていた。

正直周りでここまで受験勉強してる奴なんてまだいなくて、クラスメイトからは「丸くなったと思ってたら今度はガリ勉かよ、お前何目指してんだよ」と言われた。
目指すも何も、ミズキのところに入り浸る口実に勉強してるだけだった。それでも成績はめちゃくちゃ上がった。上がり過ぎて教員からは「不死川お前志望校見直せ、もっと上行けるぞ」と言われたが変えなかった。

早く大学出て、バイトじゃなく金が稼げるようになりたい。大人になりたい。
すべて雑草だった。クラスメイトも教員も受験も大学も。棘だらけの雑草が茂る道を抜けてその先で絵を描いてるミズキのところまで最短で走っていきたいんだ、俺は。
ミズキが赴任してきたばかりの頃『美人だって所詮雑草だろ』とか思ってた自分に会う機会があればブン殴ってやりたい。

キリのいいところまで問題を解いて、凝り固まった首から背中を解そうと顔を上げて首を左右に倒した。座ったまま腰を捻って上体を窓の方へ向けた瞬間「ア゛」と変な声が出て慌てて口を押えた。
ベッドの上でミズキが寝ていた。
そういえば参考書に向かう俺の近くで軽く掃除をしたり布団を干していた気がする。干した布団を取り込んで新しいシーツを掛けて寝転んだら思わず寝落ちしたパターンだろうな、と妙に冷静を保っている頭の中の小部屋で分析した。言わずもがな頭の残りの大部分は沸騰している。
口元を手で塞いだまま何秒か経ったが、ミズキは目を開けなかった。いつもの『ダメ、ゼッタイ』が頭の中を駆け巡るが、吸い寄せられるみたいにミズキに近寄った。
ベッドの端に片膝ついて体重を掛けるとほんの少しスプリングが鳴った。
今ならまだミズキが目を覚ましても『涎垂らしてたぞ』とか何とか誤魔化せる。これ以上はダメだ、ダメだ、ダメだ、と思いつつ、半身になって眠るミズキの顔の両側に手をついて覆い被さった。慎重にそっと髪を撫でると指に柔らかく馴染んで、甘い匂いがして、頭がガンガンするぐらい興奮した。
ミズキは目を覚まさない。
身を屈めてミズキの目元に唇をつけた。甘い匂いがした。すぐそこにある艶々とした唇に喰い付いたらどんなに甘いだろうかと2秒凝視して、半ば無理矢理自分の身体をミズキから引っ剥がした。
そのまま無音の速足でトイレに入り、深く深く深く腹の底から息を吐いて頭を抱えた。
この程度の接触で下腹部が若干反応している自分に溜息しか出ない。罪悪感と情けなさにまみれながらその密室で落ち着くのを待った。

トイレから戻るとミズキがポヤっとした顔でベッドの上に座っていて、俺は危うく妙な声が出るところだった。必死に取り繕った平静でようやく「おはよ」と絞り出した。

「おはよぅ…ごめん、私寝てた?よね」

まだ夢に片足置いたままみたいな顔でミズキが俺を見た。他意は無いと信じたいが、さっき俺が無断でキスした目尻の辺りに指を遣っていて、『まさかバレた?起きてたか?』と内心冷や汗だ。

「んー…プリンだ」
「ハァ?」
「プリン食べたい。スーパー行ってくる」

一応恐る恐る胸を撫で下ろしながらまた平静を装って「俺も行く」と言うと、ミズキは急に覚醒したようで、「行こう行こう!ついでに夕飯の買い物もしてこよう!」と嬉々として財布とエコバッグを出してきた。
当たり前に俺が夕飯の時間まで部屋にいる予定になってることを嬉しくくすぐったく思いつつ、スーパーの支払いは俺がしよう、と罪悪感を誤魔化す算段を立てたのだった。



「そういや、誕生日っていつだァ?」

買って帰ったプリンに早速スプーンを入れるミズキに声を掛けると、一瞬『たんじょうびって何だっけ』みたいな顔をした。その後忘れかけてた英単語を強引に思い出したような様子で日付を言った。2週間後だった。丁度良すぎねェか。

「どうしたの?」
「お袋や妹らがミズキの誕生日会するって張り切ってんだよォ」
「えっ」

ミズキは手元のプリンの存在をすっかり忘れたようで、またお袋の弁当やクッキーを受け取った時みたいなきらきらした顔になった。以前は大袈裟なもんだと思ってたが、お袋さんの事情を知った今では少し理由が分かる。お袋さんが『あの状態』になってどれだけ経つのか知らないが、この感動っぷりを見るにまともな誕生祝いをされた最後は何年も前だろう。
ミズキがこれから迎える誕生日は全部、俺が祝ってやりたいと思った。

「いくつになるー…って、女には聞いちゃまずいんだったかァ?」
「ぜんぜん。21歳になるよ」

21。思ってたより若い。俺と4年しか違わない。何か引っ掛かるような気がして頭の中を探るとすぐに思い至った。

「…美大出て1年フリーターって言ってたよな、計算合わなくねェか?」
「先生がね、大学の中で教えられることは少ないから早く世界を見ておいでって言ってくれて。卒業しても弟子だから卒業して行けって言われて頑張って詰め込んだのと、入学前にずっと先生のところに通ってたのを単位に数えるとか、かなり無茶なことをしてくださって」
「要するに飛び級」

うんうんとミズキが頷いた。俺は謎の溜息が出た。俺が惚れたのは思ったよりすごい人間らしかった。

「美大だと途中でやりたいこと見付けて辞めちゃう人も結構いたし、普通の大学とちょっと意味合いは違うかなぁ」
「へェ…。その先生っての、世話んなったんだなァ」
「うん、実父よりお父さん」
「そりゃいいな」

俺が笑うとミズキも笑った。俺は、ミズキの周りにちゃんと優しい人間がいたことが嬉しかった。
ミズキは懐かしむように目を細めた後、心なしか寂し気に視線を流した。まぁ、頑張って飛び級までして留学の準備してた矢先にお袋さんの病気のことで諦めざるを得なかったのなら、寂しくも空しくもなるだろう。それでも、偶然の流れで就いた教職に喜びを見出せるミズキは強い。

「まァとにかく、誕生日…あー平日だな、夜空けといてくれェ。あと欲しいモン考えとけよォ」
「お誕生日会…嬉しい、不死川家の子たちなんて可愛いの…何でも買ってあげたい…」
「祝われろっつってんだろォ…あとチビ達の前で『何でも買う』とか言うなよ、財布カラにされんぞ」

俺の本気の忠告がミズキに響いたか定かじゃないが、ミズキはその場でスケジュール帳に予定を書き込んでいた。他の事務的な用件に比べて派手な文字色で、雲みたいな線で囲った強調っぷりに、ミズキの浮かれ具合を見た。心底可愛いやつだ。

「すごく嬉しい…不死川くんありがと」

そう言ってミズキは、柔らかくて少し幼く見える顔で笑った。俺の一等弱い笑顔だった。
『なんて可愛い』も『何でも買ってあげたい』もアンタのことだろ、と思った俺がどんな締まりのない顔をしてたかは、あまり考えたくない。


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