「んっ……」

今は俊也を前にして、声を押し殺すことしか知らない。

「遥、遥」
俊也はまるで遥の名前しか知らないかのように何度もその名前を呼ぶが、遥はその声を聞きたくはなかった。
目を背けて、両手で耳をふさいで、今交わっているのが、実兄だという事実からただ一瞬でも逃れたら、そんな思いしかなかった。

だからといってこの男が兄以外だったとしても、同じ思いに駆られるのかもしれない。
この肉体は、誰とも交われるような身体ではないのだ。誰にも見られたくないものだった。それを誰よりも知っていて、暴くのだ。

「痛い……お願いだから、俊ちゃん…早く終わって」

性交の痛みもあったし、何よりも実兄と交わっているという事実が遥を苦しめた。
いくら目を閉じて兄の顔を視界から締め出しても、その事実は変わりようがない。
だがまだ家族がいない、潤一がいないことに感謝するべきだろうか。俊也は例え隣の部屋に潤一がいても遥を抱くこともある。

「遥……可愛くないことを言うと、止めてあげられなくなる……余り俺を怒らせないでくれ」

うっすらと目を細めて、それでも微笑む兄を心底遥は恐れた。
俊也を怒らせたらどうなるか。何をしでかすか分からない。そんな危うさが兄にはあった。

初めての時のことはあまりよく覚えていない。泣いて嫌がって最後には縋りさえしたが、俊也は躊躇せずに遥を暴いた。

二回目のときは死んでやると叫んだが、俊也は口先だけだと笑い、また無理強いをした。事実、兄に抱かれる禁忌に死にたいと思ったが、そんな勇気がないのもまた事実だった。

「恐がらせたか?……俺だけの可愛い遥でいてくれるのなら、酷いことはしないよ。愛しているんだ遥」

愛しているなら、遥を本当に大事に思っているのなら、あんなことはしないはずだ。
遥の意志を無視して、好きなように蹂躙する兄の言葉など信じない。信じたくない。



「遥もっと食べろ」

あれからしばらくして帰宅した潤一と、何事もなかったかのように振舞う俊哉と三人での食事をしている。もうずっと三人だけの夕食が続いていた。潤一が学校の用事で遅くなり、その人数が減ることはあっても増えることはない。両親も揃って家族全員が揃ったことなど、遥の記憶の中には一度もなかった。だが寂しいと思ったことは一度もなかった。
その分、二人とも遥をよく構うが、仲ははっきり言って良くはない。

むしろ険悪と言って差し支えないだろう。昔はよく殴り合いのケンカをしていたが、最近ではそんなこともない。だが、両親もほとんど戻ってこないため、表面上は三人でそれなりにやっていた。

二人は口を開くと皮肉の応酬だが、それで意外と上手くいっているように思う。昔からトムとジェリーみたいだと、内心では思っていた。
性格は似ていないが、遥を構うところだけは二人共に共通していた。

俊哉に食べろと急かされても、俊哉のせいで食欲はなかった。潤一も最近余計に食の細い遥を心配していたが、原因など知るはずもない。知られたくもなかった。知られるくらいだったら死んだほうがましだった。

二人はまだ食べていたが、遥はほとんど手を付けないままだった。咎めるような視線が二人から投げ掛けられたが、遥は無視をした。
お手伝いさんが作った夕食は不味くはない。たぶん美味しいだろう。
だがさっきまで遥を抱いていた俊也と、何も知らない潤一に挟まれて食欲などでるはずもない。

「無理に食べさせることもないだろう。遥は昔から食が細いんだから」

「そうやって甘やかすから、余計に遥が甘えて食べないんだ。お前は余計なことを言うな」

「それを俊に言われたくないね、お前が一番甘やかして構っているくせに」

「甘やかすことだけしかしないお前にそれこそ言われたくないな。遥の身体のことは分かっているだろう?あいつらが頼りにならないのに、俺たちがきちんと見ていなくてどうする」

「俊ちゃんっ!」

二人とも勿論遥の体のことは知っている。たぶん、遥が幼かった頃、自分の身体が他人を違うことに気がつく前から知っていただろう。そしてこんな身体を誰よりも嫌悪していることを知っているはずなのに。

話題に出されることすら遥は嫌った。兄たちだけは自分のことを化け物を見る目で見ないで欲しかったから。何も知らないように振舞って欲しかった。

「言われたくなければ、ちゃんと食べろ。体重が落ちすぎだ、抱いても骨が当たる」

今度こそ全身から血が引いて行った。

「……俊ちゃん、」

箸を持っている手が震えるのを必死に隠す。もう一人の兄の顔を絶望に浸りながらみた。どうして俊也は自分の想いを知っていながらこんなことを言うのだろう。二人の間にあることは誰にも言わない約束なのに。

「そうなのか?今ひょっとして40kgもないんじゃないか?さすがにちょっと痩せすぎと言えば、そうだな、何キロ痩せた?」

「え?……そんなには」

気が付いてない?

安堵の余り、箸を落としてしまった。よく考えれば俊也の言葉をそこまで深く取ることは、普通はしないだろう。普通の感性の持ち主なら、聞き流す程度の物だ。

二人は遥に対するスキンシップは激しいし、特に俊也はよく遥を抱っこしたり一緒に眠ることさえあるのだから、特段変にも思わなかったのだろう。

「おじい様の誕生日までには戻しておかないと、あの人はうるさいからな」

「……そうだね」

「まだあのじいさん生きてるのか…さっさとくたばってしまえば良いのに」

遥たちの祖父の誕生日は、毎年親戚一同が集うパーティーが開かれる。祖父は一人で日本有数の企業を作り上げた経済界の重鎮だった。遥たちの父親はその祖父の二男であり、いくつか会社を任されているが、跡取りではなかった。四人の息子のうち、祖父の目にかなう者は誰もいなかったということらしい。

だがその分孫たちに期待を寄せているようだった。勿論遥にではなく、双子の兄たちにだった。

「俺も……やっぱり行かないとだめ?」

両親だけではなく、従兄弟たちや伯父たちも揃う誕生パーティーは楽しい物ではない。
潤一たちが祖父に気に入られているため、風当たりは非常に強いし、気に入られているのは潤一と俊也の2人だけで、遥はできそこないと言われるだけだ。

「できれば連れて行きたくないけど、何の理由もなく欠席するわけにもいかないからね」
「だよね…」

「俺たちの後ろにいればいい。顔見せれば、さっさと帰ればいいんだからな」

「うん……」

こんな時、俊也は昔と変わらず優しい。昔から遥を守ってくれていた。そんなところは変わらないのに、何故。何度も問いかけたが、現実が変わることはなかった。



そして遥はほとんど食べないまま自室には戻らずに、潤一の部屋に避難していた。俊哉が来るのを恐れてだ。まだ俊哉は遥を抱き抱き足らなさそうな顔をしていた。

また夜引きずり込まれることも過去の経験からあり得ないことではない。

「遥、どうした?」

「潤ちゃん、今日ここで寝て良い?」

「構わないが……俊哉が妬くぞ」

「俊ちゃんとはよく寝てるもん…」

昔から人恋しくて良く遥は潤一や俊哉と一緒に寝ることが多かった。双子はよく弟を取り合っていた。潤一は遥が俊哉から逃げるために潤一の元に訪れているのを知らず、ただ幼い頃からの習慣の延長としか思っていない。

「顔色が悪いし……どうした?最近……」

「別に…」

潤一に俊也とのことを言えるわけはない。だから誰にも言わず俊也の好きにされているのだ。
この兄に助けを求めれば、きっと助けてくれるだろう。

「病院は?定期検診そろそろじゃないか?」

「うん……明日」

「ついて行こうか?」

「ううん!……一人で行けるから」

「そうか?大丈夫か?」

「うん」

ギュッと潤一が優しく抱きしめてくれる。同じように俊也にもされるが、それはだきしめる意味が違う。潤一は純粋に遥を慰めるつもりで何の欲も感じさせない。当たり前だ。それが普通の兄弟だろう。俊也がおかしいのだ。

潤一の優しさが逆に辛かった。助けなど求められないのに、縋りたくなる。俊也から救って欲しいと。

「本当に痩せたな……潤の言うとおり骨が当たる。ちゃんと食べろよ……悔しいけど今回は潤の言ってることが正しい」

「うん……夏だから食欲が落ちているだけだよ。そろそろ涼しくなってくるから、大丈夫だって」


遥にとって潤一だけが安心できる場所だ。無関心な両親、弟を凌辱する兄。ろくな家族ではない。それでも遥の帰る場所はこの家しかないのだ。

いつまで我慢すればこの地獄のような苦しみから逃れられるのだろうか。




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