「こんにちは……ユーシス?」

 なんと声をかけたら言いかわからず、色々考えた挙句、こんなものしか出てこなかった。

「だあれ?」

 幼い声だった。先ほどジェスに叫んだのを聞いたのが初めてだったはずだが、あの時はこの少年の顔に気を取られていて、声まで気を回していられなかった。なので、今初めて聞く気分だった。

「私は……ダリヤの代わりに君を迎えに来たんだよ…ダリヤは分かるだろう?」

「どうしてダリヤがこないの?」

 そうジェスがなるべく穏やかな声を心がけていうと、ユーシスは途端に警戒したような表情をした。無理もないかと思う。この少年は研究材料として実験体扱いされていたという。ダリヤ以外の大人を警戒して当然だ。

 助けに来たジェスにさえ、警戒しきった目で見ているのだから。

「もうずっといっしょにいられるっていったのに、またいなくなっちゃったんだ。ダリヤ…うみにつれていってくれるってやくそくしたのに」

 ジェスを殺すことの代価として、ダリヤはこの少年との自由を約束されたのだろう。ジェスが生き残ったことで、ダリヤは自由をなくし、ならばこの少年だけでも助けるためであろう。自ら罪を被りに行った。

「ダリヤは…ちょっとだけ用事があって来れなくなったんだよ。すぐに会わせてあげるから」

 ユーシスの目線に合うようにしゃがみこんで、目を合わせた。大きな目が驚いたように見開かれた。ユーシスがジェスとまともに顔を合わせたのはこの瞬間が初めてだったからだ。

「あなたが…ダリヤのしょうさ?」

 小首を傾げてそう問う姿は、誰かの姿を彷彿とさせた。少しだけダリヤに似ていると思った。容貌ではなくその雰囲気が、その仕草が。

そのユーシスから出た意外な言葉『ダリヤの少佐』

「そう…だろうね。たぶん」

 あの純粋にジェスを慕っていたダリヤの記憶の一番最初にいるジェスは、まだ少佐だった内戦の頃のジェスのはずだ。だからユーシスが訊ねている『ダリヤの少佐』は間違いなくジェスのことだろう。

 曖昧に頷くと途端にユーシスは笑顔を見せた。

「ダリヤがいっていたとおりだったから、ぼくすぐにわかったよ!」

 どんな顔をしてダリヤはこのユーシスに自分のことを聞かせたのだろうか。穢れた恋物語をまさか懐かしそうに語ったわけではあるまい。ジェスはそう思ったが、ユーシスか見せる態度は、『ダリヤの少佐』に会えたことで警戒しきっていた様子が嘘のように変わった。『ダリヤの少佐』なら決して自分を傷つけたりしないと思ったのだろうか。

「けがしてる。いたくないの?」

 小さな紅葉のような手をそっと伸ばしてきて、ジェスの止血をしてある左目に手を伸ばしてきた。

「大丈夫だ…平気だよ。ダリヤは他にどんなことを話したのかな?」

 ユーシスがこれ以上脅えないように、怪我をした左目が見えない位置で、一刻も早くこの部屋から研究所から出るために、抱き上げた。ユーシスはジェスが『ダリヤの少佐』だと分かったから、脅えもせず笑顔さえジェスに向けていた。

「ダリヤは…私のことをなんて言っていたのかな?教えてくれるかい?」

「ダリヤが小さなとき、いのちをたすけてもらったっていってた。だからダリヤは、こっかまじゅつしになってしょうさのやくにたつのが、子どものころのゆめだったっていってた」

 ダリヤがこの幼い少年にジェスのことを語ったのは、父親のことも知らすことのできない子どもに、自分の起源を、父親のことをほんの少しでも知っていて欲しいと言う思いからだとは、想像もつかなかった。だが、ダリヤが一切ジェスの悪口を言わず、出会った頃のことばかりを言っていたことには気がついた。

「ダリヤね、まえにあったとき、いってたんだ。すきだってことばをどうしんじたらよかったんだって……ぼくよくわからなかったけど、たぶんしょうさのことをいってたんだ。ダリヤはしょうさのことを話すときは、いつも、いつもかなしそうなかおしてたんだよ」

「それは……私が信じてもらえるようなことをしてこなかったからだ。嘘ばかりついていたんだ……だからダリヤが悲しそうな顔をしていたのは、当然なんだよ…こんなことを言っても分からないかな?」

「うん…」

「良いよ……分からなくて」

 ここに居たことも、全部分からないまま忘れてしまえば良いと思った。辛いことばかりだっただろう。これからダリヤと二人で大事にするから、辛いことなど全部忘れてしまえば良いのだ。

「あ、お外だ!」

「初めてなのかい?……外に出るのは」

「うん」

「ユーシス、君はどうしてここに居たか分かるかい?」

 この小さな少年がどのくらい自分のことを知っているか知るため、そう訊ねた。何も知らないといいと思いながら。

「ぼくがいちどしんで、いきかえったから」

「一度死んで、生き返った?それは誰が言ったんだ?ダリヤじゃないだろう」

 ダリヤが息子にそんなことを言うはずはない。

「ダリヤはなんにもいわなかったよ。でもぼくのまわりにいた人たちが、そういっていたの。いたいはりをさして、ばけもののくせになくなっていったんだ。でもダリヤがぼくをまもってくれたよ!ぼくがないたら、もう二度とそんなことさせないってまもってくれたんだ」

 ユーシスの余りの言葉に、ジェスは言葉を失った。やはりデュースを殺して置けばよかったと思った。たった三歳でこんな目にあっていたなんて。吐き気さえした。

「だいじょうぶ、おれがまもるって。ダリヤ、そういうんだ。ぼく、ダリヤがだいすきで、ダリヤにぼくのことをきくと、ダリヤこまったかおするから……だからぼくもうなにもきかなかった。でも、ぼくずっとおもってたんだ。きっとダリヤのしょうさがぼくのおとうさんじゃないかって……しょうさがぼくのおとうさんなんでしょう?」

「ああ…そうだよ」

 他にどういう言葉はかければ良いか分からず、出てきた言葉は平凡なものだった。他にもっと言い様があるだろうとも思ったが、口に出してしまえばこの胸のうちにある激情とはかけ離れたものだった。



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