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 あの男は馬鹿だ。まさか今頃自分のしたことでも後悔をしているのだろうか。あんな消沈した面持ちのジェスなど初めて見たかもしれない。ダリヤが牢からせせら笑っても、ペンで刺そうとも顔色一つ変えなかった男が、自分の過去を調べてきたと言った。

 こんな昔の恥まで持ち出して。

 床に撒き散らしたジェスの写真の破片を憎憎しげに睨み付けると、何度も踏みつけた。昔はこんなものを喜んで集めていた。ユーシスに笑われながらも切り抜いたジェスの写真を飽きもせずに見つめ続けていたのは、ちょうどこの破った写真に写っていた頃のダリヤだ。

「ごめん、ごめん、母さん」

 ジェスが掻き集めた紙片に手を伸ばすと、復元することもなく、もっともっと粉々に破くと、最後には分解をして無にした。

 もう貴方の子だったダリヤはどこにも居ない。居るのは薄汚れた軍の狗で、目的のためなら何でもする汚らしい罪人しかいないんだ。

 写真の中で笑っていた、貴方の子はもうどこにも存在しない。

「でもこんな子どもいなかったほうが良いだろ?」

 ダリヤが母にしてしまったことは取り返しがつかないことで、どんなに悲嘆にくれようが後悔しようが決して元には戻らない。優しかったその笑顔を、ただの肉片に変えてしまった。自分の傲慢さで母に取り返しのつかない事をしてしまった。
 その後悔の念が母への懺悔に身を沈めて、身動きできなくなった。だから、ダリヤは過去の自分を捨てて、母の子どもではなくなった。こんな写真は今さら要らなかった。ジェスが今さらくれるものは何もかも必要としなくなったものばかりだ。

 後悔だって今さらだろうか。どうして、どうしてもっと昔にほんの少しでもその感情を持ってくれなかったのだろうか。

 きつくきつくシーツを握り締めて、胸の中の痛みと戦った。

 もう何も期待してはいけない。頼れるのは自分だけだと繰り返して。自分の人生は上手くいかないことばかりだったけれど、今度こそやり遂げて見せると誓って。

 どのくらいそう感慨に浸っていただろうか。突然ノックの音が聞こえた。

 ハッとしてベッドから起きると、瞬時にダリヤ・ハデスになりきった。つい先ほどまでの痛みに耐えていた表情ではなかった。

「すみません、よろしいですか?」

 ノックをして入り込んできた男は、今まで見たことのない男だった。

「見たことのない顔だな」

「今日はユーディング中将の直属の部下の方々は皆で払っていますので」

「ふうん…そっか、だから貴方が俺の見張り?」

 大抵見張りにはジェスの直属の部下が交代でついている。ここにダリヤが軟禁されていることは極秘なので、内々にしておきたかったからだろう。なのに今日全く見たことの無い軍人を見張りに立てるということは。

「ああ、ひょっとしてアンタは俺の協力者?」

「そうです。今夜は」

「ユーディング中将たちがクライスを捕らえるために出て行っただろう?」

 ダリヤがここに軟禁されていることは内々に済ませたかったはずなのに、他の部下を見張りに立てていることからそう推測がついた。

「そうです。さすが鋭いですね」

「ということはお前はユーディングの部下じゃないな、本物は殺したのか?」

 ジェスたちはダリヤのことがかなり神経質になっていたはずだ。この時期にデュースの息のかかったものを部下に加えるは思えない。

「大丈夫です。気絶させただけです。あまり騒ぎになることは避けたいですし」

 助けになど来ることはないと思っていたが。

「ですがこれ以上の協力はできません。これが精一杯です。かなり将軍はユーディング中将に力を削がれています」

「一気に潰す気かと思ったけど、勢力を削いだだけか。ユーディングは」

 ジェスなら完膚なまでに自分をはめた黒幕であるデュースを叩き潰すことなど簡単なはずだ。

「ユーディング中将は慎重な男ですよ。誤認逮捕とはいえ、一度は疑いをかけられた身。この時期に正式な証拠も無いのにそんなことを彼がするわけはありません。そうでなくてもデュース将軍との勢力は歴然としています。わざわざ危険を犯すことはない」

「そうだな……賢い男だ」

「そう。ユーディング中将は賢くて、危険な男です……貴方は自分の役割を忘れたわけではないですよね?」

 ダリヤのジェスを認める言葉に、男はダリヤがジェスの方に翻ったのかを危惧したらしい。ダリヤがジェスに近づくためにベッドを供にしていたことを知っているのだろう。

「大丈夫だ……ちゃんと覚えている。犬は主人を二人も選んだりはしないんでね。ユーディングたちよりも早くクライスを見つければ、必ず将軍閣下の下に進呈してみせるよ」

 これもダリヤに与えられた役目の一つ。ちゃんと覚えている。ジェスのように簡単に忘れるはずがない。

「それができなければ、殺せとのことです」

「了解したと伝えてくれ」

 クライスは元国家魔術師。ダリヤの前の研究所の主任だった男。デュースがさせていた違法の研究を知っている男だ。ジェス側に捕らえられてこれ以上不利な証拠をジェスに握られないためなら、殺せと言いたいのだろう。本当だったら捕らえて再び利用したいところだろうが、背に腹は変えられない。

 帝国で最も優秀な国家魔術師であったクライスを殺すことができるのはダリヤただ一人。父親と同等の力を持ち、クライスがたった一人油断または躊躇する相手と言ったら、ダリヤしか存在しなかった。少なくてもデュースにはそう思われていた。

 ダリヤは与えられた情報を元に走り出した。クライスの下へと。

「母さん……もうすぐだ。もうすぐ全てを終わりにできる」




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