ボールペンをちょろまかそうとした主婦が騒がしい。意見がコロコロ。レイコみたいだ。女心は秋の空。変わって曇ってキレやすい。触れすぎないようにしないと。
ただし集団になると自分の意見を持ってる人こそ難しい。流される人は柔軟性があるとも言える。軽薄なのと聞く耳があるのは違う。
12号はその点、人の話をよく聞いていた。なだめすかして丸め込む。副陪審員長だなんて言われて悪いことしたな。進行役が好きなわけじゃないのだ。意見をまとめる側が楽なだけだ。
「陪審員長。決を取りましょう」
決ばかり取ってもと言いつつ、つい数えてしまう。おや、いつの間にか形勢が危うい。有罪派が増えている。
「陪審員長――」12号がまた耳打ちしてきた。「有罪にしたほうが早く終わりますよ」
「守衛さんも言ってたじゃありませんか。早ければいいもんじゃないって」
「そんなことはどうでもいいんだ。私はね、アナタと飲みに行きたいんだ」
積極的である。見開いた目でまじまじと眺めてしまう。細い指が肩に置かれて、反対向きで口ずさむ。
「まだ休憩始まってませんよ」
「口説くのに休憩も何も関係ないでしょう。チャイムも鳴りませんし」
チャイムの代わりに悲鳴。忙しいことだ。あっちで喧嘩、そっちで和解、こっちで説得。
「いいですか。今ひとりの人の運命が僕たちの手に委ねられていて、個人的な感情抜きに話し合わなければいけない時期に来ているんです」
「うん」
「揉め事をこれ以上増やしたくない。いや、揉めていても評決が出ることなら議論する価値もあるでしょう。しかし貴方と僕は初対面。いきなり直球でこられてもコチラにも事情ってものが」
「なるほど」
「討論抜きにお答えしておきますね。迷惑です」
12号はうつむいた。言い過ぎたかな。いや僕は間違ったことは言ってない。
「わかりました。そういうことなら」
「はい」
「決をとりましょう」
――なに?
「皆さん! 陪審員長の提案で」
「ちょちょちょちょっと待って」
「すみません。無しだそうです」
何だよ、今こっちも忙しいんだよ、そっちでやってよとまた喧嘩勃発。よかった。僕や12号は蚊帳の外。しばらくはバレずに済みそうだ。
「休憩入ります」
逃げるように室内を出た。12号は追っては来ない。
「陪審員長」
「はい? ……あ」
言った矢先に主婦の人。いや主婦かどうかなんてわかりゃしないんだけど、既婚者には独身者だけにわかる独特の雰囲気がある。よくいえば落ち着き。悪くいえば諦め。
「お化粧室。一緒に行きましょう」
「は」
「女の子はひとりでトイレにいけないんですよう」
さすがに女の子という歳でもないが、僕から見れば女の子。レイコよりは年上。じゃあレイコは女の子なのかといえば、もう出会った時からしっかり『オンナ』である。
「すぐそこですよ」
「いいんです。あのね」何号さんだったか調べないと。主婦さんはいった。「私、コロコロ意見変えちゃうでしょ。ごめんなさい」
「いえ」備品さえ盗まないでくれるなら全然構わない。
「陪審員長はどうして無罪派なんですか? あ。もう着いちゃった」
「特に理由はありません。皆さんと同じで」
本当は違う。嘘には可愛いげのある嘘。そうでない嘘があって、僕のは後者だ。
「男の人って早くていいですよね。ちゃんと待っててくださいね」
一緒に帰ったらおかしな目で見られるじゃないか。この子馬鹿なのか。
律儀に待ってやって、陪審員室に入るときは少し間を開けて入った。よし。誰も気づいちゃいない。
「ずいぶん時間かかりましたねえ」12号。「隅に置けないな。首根っこ捕まえとかないと」
タイトルコールはなし。困ったことになった。