【全員悪人】


09



 心地よい程度に酒が入った者の大半は正気を保ったまま本邸を後にし、各々の事務所やホテルに引き上げた。

 一度自室に戻った西野は、指定を受けた時間より少し早めに離れに向かった。舎弟の付き添いは敷地内でも常時二人以上ついている。西野はそれを下がらせた。仲間内で集団暗殺でも企まない限り、夜半の邸内で撃たれる危険性は少ないからだ。

 花菱本邸の南東には先代が増築した建物があり、屋根だけの短い廊下で繋がっている。飾りの灯籠に火が入ることはほとんどなかったが、足元に備え付けられた人工の灯りが転々としていた。

「おい」

 縦にも横にも大きな背中が、肩を丸めたまま振り返った。お付きの舎弟を指一つで下がらせる。西野は端的に言った。

「会長の前では休戦や」
「――しばらく顔も合わせてない、口も聞いてない俺にかける言葉はないんですか」
「寂しかったで」
「……」
「居らんで困ったて、嘘つこか」
「そういうのは、もうええんです」

 西野は少し考え、声の届かぬ距離まで下がり背を向けて立っている舎弟に顎をしゃくった。

「盃やったんやな。要をお払い箱にして離したら、次の奴見つけて」

 いつもの皮肉で切り返しが来るだろう、と。予想に反して中田はカッとした。

「俺を思い通りに動かして独占したいんやったら、舎弟の前で膝まずいて靴舐めろいいはったら宜しいんや。靴でもタマでも頬張って食い千切ったるわ!」

 夜警の舎弟は目の届かない場所にいるが、新しい舎弟の立つ所までは響いただろう。

 遠くの若衆は賢明にも振り返らなかったので、西野はゆっくりと体を詰めた。後ずさるどころか一歩踏み出した中田の太い首の根を、片腕で引き下げる。左手で中田の上着を鷲掴み、耳の際に頬を当てた。硬く眉間を絞めてふうふうと息を上げ、逃げようとする脇に手を入れる。

「じっとしとれ」
「俺は飯島のように兄貴の影には徹されへん。清水のように会長の犬でおることもできんのじゃ」
「俺を。好きなんやろ」

 両手で抱えた頭に囁く。羽交い締めにした体は動きを止めたが、西野自身は自分の言葉に戸惑った。中田の返事は返らない。

 項垂れるように肩に寄りかかっている顔を覗きかけてやめた。

 澄みきった夜空に遠くの山の連なりがぼんやりと視界を覆っていた。西野は乾いた音を立てる石甃に膝をつき、頭を垂れると中田の片足を掴んだ。

「……ッ」
「柱に手ェつき」
「あほ」
「阿呆はお前や」

 膝に乗せさせた足を高々と持ち上げる。西野は泥のついた靴を自分の肩に乗せ、靴の表に唇を落とす。見上げるとそっぽを向いた横面が、暗がりでもそうとわかるほど色を変えた。しばらく待って解放した。

「タマのほうは後でな」
「――」
「腰が痛くて立たれへん。お前が助けてくれんことには、そこの舎弟に声かけるしかないで」

 太ももに片手を置いて体重をかける。一瞬ぐらりと重い上体が傾いだ。力強い腕が重力に負けそうになったその身を支えた。顔を仰げば、ついぞ見たことがないほど不安そうに開ききった目とかち合った。

「中田――」

 暗がりには元の強面が浮かんでいる。その表情に言い様のない拒絶を感じ、西野は息を吐いた。

「兄貴。時間や」

 聞き慣れた低い声は闇夜に沈んだ。



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