木製の引き戸が開かれると、二十数名が一斉に立ち上がった。低い声が座敷に響き渡る。繋げられた座卓に行儀よく並んだ幹部が深く頭を垂れた。
西野は奥に重たく足を運ぶと、「会長がおいでになるまでは楽にしとったらええ」と手を下ろした。衣擦れが収まっても雑談の声が聞かれないので、目配せを受けた清水が「足崩せと親分が仰せや」と声を出し、隣の幹部と話始めた。そしてようやくヒソヒソとではあるが空気が動いた。
西野は無意識に気の休まる顔を探したが、中田を軟禁状態に置いたのは自分だということを思い出した。
謹慎の勅諚は山王会絡みの揉め事が原因である。斬られる覚悟とはいえ相談もなく行動を起こした中田に、病後の旅行先で引導を渡すことにした。反論も不服申し立てもなかった。使われた飯島のほうを咎めることもしなかった。
すれ違いは自ら作ったのだ。誰を責められることでもなかった。
「補佐が男連れ込んだ話で持ちきりです」呼び戻した西野の脇に膝を折りながら、清水が耳打ちした。「うまく躱さんと後で会長に追及されまっせ。若頭」
「――ド阿呆」低い呻きに周りが怯んだ。知らず遠巻きにしていた連中に、西野は片手を振って不機嫌の理由が彼らでないことを示した。座卓に背を向け、清水の側に体を倒す。
「俺に対する当てつけや」
「でしょうな」
「盃やったんか」
「直接聞かはったらどうですやろ。強情張らんと」
西野は笑った。鈍い光が目の奥で揺らぐのを、清水は間近で受けとめた。
「手のすくような真似しとる奴、お前も含めて何人おんねん」
「飯島から今朝がた聞いただけです。鉢合わせたんでしょう。事後やのうてよかった言うてました」
鎌をかけられたことに気づいても遅かった。飯島もまだこの場には居ないのだ。
身が縮む。暗い気持ちである。大仕事の前でも、一人の決断で退嬰するには齢を取りすぎた。あの怖い面表を目の端に入れていれば、誰が殴りかかってこようと腰を据えていられる気がするのだ。
あの男が必要だった。
「私らでは不向きや。会長に頼み込んで若頭の脇からは外してもらいますからな。向こうも解放してやってください」清水が言った。
「謹慎解いたらヤりたい放題。そんなん嫌やで。なんぼ俺でも」
「飯島の話です」
「――」
「今のはわざとちゃいます」
布施が現れると高らかな挨拶と共に、座敷は墓場の如く静まった。後ろについた人物に、西野は息を詰めた。
中田。
凝視し続けるとすれ違い際に目が合った。清水が席をずらそうとしたが、中田は脇をすり抜け座卓の反対側にいった。遅れて入ってきた飯島が最後。要は布施が座るのを手伝った後に中田の後ろについた。
「今日び呉越同舟して盃ひとつ。全員で会の発展を願おうなんぞ、わても期待しとりゃせん」布施が唐突に切り出した。「己で相応の努力もせんと羽振りのええ者ンのカスリはねて、大きい顔しとる奴には愛想が尽きとるけどな」
立ったままの舎弟たちの体が硬くなった。阪元の顔が赤くなるのを西野は見逃さなかった。
「花菱の看板しょって立つ引退襲名の席で、先代と交わした金打の盃を私は忘れとらんぞ。おい」
へい、と飯島が返答し、若衆たちが酒を運び始めた。布施は直立不動の者たちに気づき「会合とちゃう。存分に気ィゆるめ」と微笑んだ。
西野は眉をひそめた。祥月命日でもない日に布施が親睦会を開くことは珍しくない。しかし時節が時節。時期が時期である。遠方から呼び戻された幹部もいるのだ。若頭の自分が合議を受けてないことも腑に落ちない。
不審が満ちた西野の前に、布施が素知らぬ顔で煙草を置いた。西野は礼をいいながら、手の中で箱を裏返した。
――零時松の間。
火をつけるため腰を上げた清水に見えるように翳し、一吸いした煙草も彼にやった。禁煙中であることを知りつつ手渡した箱を、布施は自ら取り上げて要に渡した。会話を始めてしばらくすると、何事もなかったように灰皿には新しい煙草が置かれている。
箱のほうは二度と目にすることがなかった。
西野は注がれた酒を煽って中田を盗み見た。中田は盃に目を伏せたまま微動だにしなかった。