【全員悪人】


05



 二軒家の小さな料亭は片方が家人専用、もう片方が客用に増築された店内だった。西野は片手にあまる舎弟を四ツ辻に配し、清水を連れて暖簾をくぐった。

「すんまへん、お客さん。今夜はもう店、……ッ」
「燗でのうてもええから酒」

 中年の板前は包丁を持ったまま、二の腕を一瞬押さえた。西野と清水を見比べ、研いでいたそれを静かに置く。苦痛の表情を的確に読んだのは清水だけだった。西野は軽い調子で言った。

「親父は」
「――」
「まだか。待たせてもらうで」

 こめかみに浮かぶ玉のような汗を振り払うように、板前は首を横にした。「――あきませんで親分さん。今夜は帰ったほうが」

「指図は受けへん。指どないした。大将にあげたんか」

 板前は答えなかった。西野は脱いだ外套を清水に渡し、座敷側に腰をおろした。板前は包帯を巻いた左手の小指を片手で隠し、身構えた。清水は西野の脇に立ったまま微動だにしなかった。

 西野は焦れて眉根を寄せた。「どのみち行くとこは決まっとる。話せ」

「つまらん女に引っ掛かりましてな。物騒な話や。払えんようになった利息分だけ、先をちょっと。包丁持つほうの手やないし」

「金で始末がつくんやったら俺ンとこ来たやろ。そんな単純な話と違うはずや」西野は薄く笑った。「吹けば飛ぶような店の経営。隣に囲った後妻。年老いた大将と契り交わした布施の会長に対する――」

 青ざめて小刻みに揺れる姿を見ていると、西野の口は自然ととじた。

「堪忍してください」
「……また来るわな」

 裏路地に面した扉が町金融専用の窓口と化していることを知っていたため、西野はため息を吐いた。寒空に震える。その肩に清水が外套をかけた。

「奥におりますで。頭が見えました」
「わかっとる」
「恩情なんぞ一文の得にもならん。早う済ませはったら宜し」
「五十過ぎても細っこいあの飯島が、今年はようけ食うとったんや。腕は確かやし、会長も深入りはするなとのお達しや。板長はもう少し游がしても――」
「中身のほうは年相応にたるんでますで。飯島の腹も」

 西野の目に映った呆れ色に清水は笑った。「組員で銭湯貸し切ったときの話で。アレと私は何も」

「アレやない男には唾つけとんのやな。嫌な趣味」






 どうして要が会長の警護に選ばれたのか、要自身も理解できないでいた。天下の花菱にはかつてベトナム戦争で上着より手軽に扱われた狙撃銃バレットM82でも、玩具のように使いこなす集団がいるのだ。自分よりよほど適任だった。

 要も存在自体は見聞きしているが、先の抗争でも誰がその人物なのかわからない。解体所には二、三の伝令が来ただけだ。

 顔の割れていない人間といっても、組織に属する者である限り誰かしらの目が存在する。見た者の口を封じることが容易にできる点では、その形容も正しいのかもしれないが、要にそこまでの気概はなかった。

 布施のガードについているのは要と戸口に立つ男だけで、要のほうは「命令を下されるまで空気に徹せ」という清水の指示を額面通りに受け取っていた。

 かつて中田に喧嘩を売ったある人間――換毛期の猫のように覇気がない例の男――に、銃を手渡したのも要だった。弾は入っていなかった。補佐も承知していた。

 見かけ倒しの理由は「怪我をするから」である。要は使い捨てのライターが似合う程度のゴミだからである。

 要は息を吐いた。奇しくも若頭がため息を吐いた頃であった。



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