【全員悪人】


07



 企業舎弟に与する三ン下の中には、神棚と虎の敷物と水牛の骨だのの祝い品と共に任された事務所で、日がな一日詐欺や恐喝、賭博の情報処理に追われる者たちが居る。

 花菱会若頭補佐の一人、阪元は花菱を支えている屋台骨を束ねるのが主な仕事だった。中田を除く補佐の中でも最下位。この夏に還暦を迎えようかという齢で、上が詰まっていては危機感が募るばかりなのだろう。

 長年仕えてきた岡安にはその不安が手に取るように理解できた。

 一回りほど上の清水は役職こそ幹部であるが、事実上最高顧問に昇格している。他の補佐から不満の声が上がってこないのには、それが引退までの秒読みであることの他にも理由があった。

 ――花菱の主治医が数年前に処分されて以来、清水以外に体の不調を診る者がいないからである。

「家紋に傷つけんと若頭をトる方法? そんなんあるかい。おとなしく宮仕えしとき」
「痛手を受けた経験からの警告ですか。センセ」

「調子のりすぎたら僕みたいになりますんやで」男は面会室のガラス板を指で叩いた。「会長はんが黙ってへんわ」

 極道社会の中で医師というのは特に注意して選ばねばならない人材である。たとえば目の前に座る梨原など格好の見本だった。医者としての腕は確かだが信用に欠けていたため、寄せ場で世話になっていた。

 注射器を空打ちして幹部を暗殺するくらいの気概があれば、生き恥晒して刑務所暮らしをする必要もなかったのだが。違法薬の売買でヘマをして、脅しをかけてきた若い衆の舌と耳を切り落とした。

 それだけなら手が滑ったで済んだ話を――落とし前というのは古来そういうものである――切り取ったブツの処分を考えあぐね、本邸の犬の餌に混ぜたのがまずかった。

 ドーベルマンは一昔前であれば番犬として重宝がられたが、躾をできる主がいてこその話である。血気盛んな舎弟に任せると、仔犬の段階で撃ち殺してしまう上に舎弟の分まで棺桶代が嵩む。気弱な舎弟に任せると、番犬としての用を成さなくなる。

 世話がかかるから犬は要らんと一蹴していた布施の考えを変えたのが、関東山王会の先々代が寄越したサチエであった。

 山王会とやり合わない約束を交わしたのは、この犬のせいではないかとまで言われたものだ。布施はともかく舎弟たちはサチエを可愛がった。犬顔の西野は言うに及ばず、中田にさえサチエはなついた。サチエは花菱のアイドルだった。

 これを間接的に殺したのが、梨原である。サチエは消化機能がろくに発達していなかった。名前に反して雄だったが、もし雌として生を受けていたら、子供を産むには帝王切開しか方法がないほど小さな犬種なのだ。耳も舌もほとんど形のまま飲み込んだ。

 サチエは翌朝、血便を撒き散らした姿で発見された。

 声を圧し殺して鼻を啜る舎弟どもを蹴散らし、布施はおもむろにドスを振りかざした。切り開いた犬の胃袋から耳の軟骨が出てきたとき、鼻を真っ赤にした西野と中田の顔つきは氷点下に達した。

 犯人がおかかえ主治医である事実に行き着いた絶望感はただならぬものだ。布施はたかが畜生一匹のために梨原を殺しはしなかったが、耳の持ち主である舎弟は解体場に送り込んだ。身内で恐喝をする阿呆を置いておけばロクなことにならぬからである。

 梨原のほうも無傷で刑務所に送られたわけではない。医者としての能力に差し障りがない箇所を切り取られての送還だった。

 雌になった梨原は「残飯係の犬もいなくなったから自分で食え」と強制された。元々だらしなく伸びきっていたくくり髪も相まって、刑務所では重宝されたに違いない。座りかたも若干横座りであった。齢のほうは清水とタメなのだがヤさぐれたロック歌手のような風貌をしている。

「わざわざ足延ばして頂いといて何の情報もありまへんけど――『大友さん』のな。西野の若頭にも宜しゅう云うといてください。体壊さん程度に食べるンやでェて」

 忠告は遅かったが、岡安は賢明にも唇を引き結んだ。西野の不在は極秘中の極秘。休養を取っていることは知る人間も限られていた。

 岡安が滑らせた口のせいで、首がとぶことになるのは梨原ではない。岡安自身なのだ。

 身の丈に合わぬことを考えれば長く生きられない。岡安は小さく頷いて看守に頭を下げ、別れの挨拶もなく席を外した。



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