【全員悪人】


06



 吹かしただけの煙草の煙が顔の周辺で揺らぎ、半開きの眼差しの前で消えるのをぼんやりと見つめて、老人は頬杖をついた。

 本邸ではなくホテルの一室に身を置いて、丸二日が過ぎようとしていた。布施は分刻みで行われる日程表に添って、馬鹿らしいほどの面会を果たしている。応接間付きのファーストルームだが、息のかかる距離で応対していた。

「預り証の代わりに担保にしていた壺をヤッちまいましてね。いや、なに三百とちょっとばかしなんですが」
「ふん」
「督促に送り込んだ舎弟の指詰めるっちゅう内約で勘弁してもろたんです」
「……ふん」
「今になって先方が『あの伊万里は値がつけられん国宝級や』言い張りまして。桁を一つ上げよったんですわ」
「そりゃあ災難やったな。まあ、あっことうちは代紋も違うさかい役には立てんやろうが、考えとくで」
「会長――」

 必死の形相で一円でも多く貸し付けてもらうことを目的としているハイエナたちは、布施の吐いた煙に咳き込んだ。礼儀知らずには「出直せい」の一声で即座に追いやられる。

 要は脇で息をつめていた。後ろに組んだ両手をはずさない。手の内には本日何十度目かの役目を終えた安物のライターがある。火の点きがいいジッポに切り替えるには、一刻も早く使いきるのが得策だった。

「次!」低音で通された人物に、要は目を見張った。布施の視線を感じた相手の頬が強ばる。

 ――阪元だった。

 花菱が仕切っているシマの内外で、続けざまに小さな小競り合いが起きている。全体としてはたいした規模ではないのだが、幹部の大半が揃って仲介に出払い、それでも人手が足らず取り持ちを下から募る羽目に陥っていた。

 若頭から直々に暇を言い渡されているのは補佐の中田だけである。阪元自身も忙しいはずだ。予定を推して訪ねてくるのは対抗心からかもしれない。

 これには上の確執が原因であるらしいのだが、要はその内容を知らない。西野自身も病み上がりのため、穴を開けた自分の代わりに――組を取り仕切っていた中田に、休養を与えるつもりなのだろうと結論づけていた。

 会長一人にひよっこの自分が御伴を仰せ使うには、それ相応の事情があるのだろう。要はタッパが人並み以上にあるため、脅し役として期待された可能性もある。身長が邪魔をして反比例するように伸び悩んだ拳闘の技もだ。

 先日の失態はその期待を裏切ったことになる。痛む胃液に混じるのは、与えられた役割を充分に果たせなかったせいだ。

「会長……お願いします。貨物船の引き揚げに国が動いてくれんのは目に見えてますンや。うちが出資したら莫大なカネが」

 阪元は北大阪に事務所を構える花菱の古参幹部である。先日持って現れた資料を片手に、布施の腕を掴もうとした。

 要が間に入るより先に、布施の拳がその禿頭を直撃した。阪元は涙目になりながらも放さなかった。

「袖が千切れる。しがみつくんやったら足にせぇ」
「三。三億でっせ。円やないのです、ドルです――岡安が官僚に話を通して許可を――後は会長さえウンとおっしゃってくだすったら」
「ドルでもペソでも、どっちゃでもええわ。金塊やったらパンツ被って日銀に特攻でもしたら済む話や。断れ」

 融資先の半数は花菱の紋を見ただけでひれ伏すが、時には布施の気のない返事に呼応するように掴みかかってくる馬鹿もいる。それが内部の御座敷犬とあれば、なかなか無下にできないものであった。

 阪元は外面の良い点が買われた企業舎弟の一人で、度胸はないが一般社会との仲立に長けていた。作るといった金は作るのである。加えて下がり眉の癖に意外にも押しが強い。

「徳川の埋蔵金が出たいう話にはノッたやないですか……ホラ、取鳥会の」
「彼処の三代目には借りがあったからな。土偶しか出てこんとわかっとっても義理のある所には銭も出す」
「では、うちも」
「考えとく云うとるやろ」
「そら断りの文句や。外様の連中と一緒にせんとってください。私は……私はな」

 頼りがいのある若い衆がいれば、即座に匕首を翻しただろう。続いて阪元の媚びた笑みから出た口調は、半世紀に渡り組を率いてきた親分に対するものではなかった。

「そこまで阿呆やないので。会長」

 要は極限まで見張った阪元の目を睨みつけた。しかしいくら極道社会の窓際族とはいえ、これまで花菱を勝ち残ってきた男が相手では到底勝ち目がなかった。阪元は鼻を鳴らした。

「この坊主――中田のお手付きちゃいますんか。ウサギみたいな目ェしよる。さぞかしええ声で啼くんでしょうな」

 堪えた呻き声が聞こえた。布施は横を向いて拳で誤魔化したが、笑いを隠したのは明らかだった。おかげで要の怒りは行き場を失った。

「ウサギはほとんど鳴かへんけどな。このボンは男泣きに泣きよるで」



prev | next


data main top
×