【全員悪人】


04



 手慣れていないな、と中田は感じた。

 名前を思い出そうとしたが、顔を見る限り覚えがない。回状を持って現れたのだから傘下にある組の手駒の一人だろう。

 盃が欲しいというので、本邸の共同書斎に連れ込んだ。俺を満足させたら話をつけるという条件に初めこそ抵抗したが、中田はかなりの男食いだと外では広まっている。実際は男女両方に奔放な若頭の隠れ蓑として――自分が舎弟に流させた真っ赤な嘘だ。

 覚悟をつけていたのだろう。男は気持ちを切り替えて迫ってきた。鍵をかけ忘れたことに気づいたのは、もつれこんだ後だった。

 勘違いをしたまま取引を持ちかけてくる相手には、股間を握り潰して丁重にお帰りいただく。中には組の内部でも誘いを受けることもあるが、大抵は西野がネコで屈強な中田を傍から離さないと思っている輩が多いため、後ろを狙われることは少なかった。

 西野は男の愛人をつくることだけは許さない。

 中田自身は女が好きである。男は形が好かない。仮に相手をするにしても組みしかれるなど考えられない。女の側はあらゆることが面倒だからだ。

 所詮、自分は見かけ倒し。稀に臆病な本質を見抜いて押してくる者もいるが――あの野晒しで干されたままの乾物みたいな男は今どうしているのだろう――心の隙まで入り込ませたことはない。それを許している相手は二人だけで、そのうちの一方が中田は欲しい。

 生涯手に入らぬものである。

 今度は身内の揉め事で頭を悩ませているようだが、半月ほど一言も口を聞いていない。すれ違いが続いている間に浮気心を起こさぬよう、性欲処理係を置いていく手間だけは惜しまずに。望んでいるのはそんなものではないのだが。

 中田は顔を歪め、男の髪を引っ張った。すんまへん、と言った口の端から唾液を垂らし、男は元の作業に戻った。退屈しのぎに相手をしてやって、噛み千切られては堪らない。

 先週の女は過去の女に似すぎているのがよくなかった。甘ったるい声でなついてくる女は扱いが楽なのだが、もの静かなタイプは駄目だ。必要以上に深入りすれば、のめり込んで足枷となりかねない。

 閉じていた中田の目蓋に、濡れた唇の感触が降りた。薄く目を開けると、先程と同じ謝罪の後に「泣いてはるんかと思て」といった。

「最中に余計なこと考えるなド阿呆」中田はため息を吐いた。「やるんやったらとっととやらんかい。尻剥き出して俺の腹の上乗るか俺をうつ伏せてその上に乗るか」

 明らかに傷ついた顔をしたので、中田の苛立ちは最高潮に達した。

「――いくつや」
「二十八です」
「男は初めてか」
「へぇ」
「その辺のおっさん捕まえてな、公園で励んでから次は来い。度胸は買うたるわ」

 ノックの音に男は飛び退いた。興を削がれた中田は上着から煙草を取り出して火をつけ、入れと命じた。男は背を向けて慌てて服を着込み始めた。

「失礼します」現れた舎弟は顔色ひとつ変えなかったが、状況を把握して留まるべきか逡巡した。中田が顎をしゃくると口火をきった。「先週の決済に誤りがありまして」

「若頭が媒酌についたやつか。俺も確認するから、日付順に重ねてそこ置いとけ。飯島」
「へぇ」
「しばらく事務所にこもる。会合以外での俺の枠は他の補佐か幹部に――」
「承知しました」
「それと、こいつ」
「私が仕込んでいいんでしたら相手先に連絡をつけます」

 服を着た男を部屋の外にいる舎弟に任せ、飯島は手早く書類をまとめて退室した。鍵をかけていくのを忘れない。おかげで中田は飯島が戻るまでの間、長椅子で微睡んだ。連日ろくに寝ていないからだ。

 次に目覚めると顔に覆いがしてあった。夕日が顔に当たって眩しくないような配慮がしてある。

 中田は使い勝手のよい舎弟頭の背中を見た。「幹部昇格で忙しいやろに、こんなところで俺のお目付け役しとってええんか」

 飯島は書斎の奥でファイリングした資料を確認しながら答えた。

「若頭が復帰するまでややこしいですね。しばらくは私で辛抱してください」



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