【全員悪人】


02)「逃げんなや」(本気でヘコむやろ)



 ひとつ昇格した若中の事務所を、西野は珍しく訪ねた。下っ端の更に下であった要の何を気に入ったのか、花菱を裏で支える者たちが妙に推してくるため熱に煽られた形である。

「井守の黒焼きは性欲つくんやで」要の飼っている生き物を見ながら西野はいった。「ボン。昇格させたこと恨んどるか。若いとキツイやろ。辞めたい時は綺麗にスパッと指落としたるから、真っ先に俺ん所来いよ。中田はアカン、半殺しで済まへんし」

「蜥蜴です」

 コミュニケーション不全世代の一言は、比較的忍耐強い西野であっても諮りづらいものがあった。

「……なんやて」
「これはトカゲです言いました。イモリは腹に毒あるし、ヤモリは買値が高いしで、トカゲにしましたんや。恩給ありがとうございました」
「もちろん体で払ってもらうんでイモリも買うたら? トカゲの尻尾どころやない。腕もいでも生えてくるとか」
「あの。若頭」
「うん?」
「肩に手ぇ置かんとってください。補佐に誤解されますんで」

 一拍置いて、ふうんと返事を返す。正面に回り込んだ。断りもなく腹を撫でた後、軽く殴りつける。中田を全治三週間に追い込んだ拳であったが、要は呻きもしなかった。一見薄い腹は鋼鉄のようである。腹筋五百は数えとるな、と西野は感心した。

 青麻を張った虫籠の中でカタカタとやる生き物を見つめる目がうっとりと緩んだので、西野は要の顔を改めて見た。

「俺、男前好かんのや。でもお前さん。舎弟の信頼だけは厚いし、解体現場での仕事率先してやっとったみたいやから、早めに出世させて扱き使うのもええかと思てな」
「――」
「もう一個あるねん。中田にちょっかい出したら鼻削ぐぞ」

 要は若い時分にボコボコにされた自分のどこが整っているのだろうと思い、鼻を無くしたらボクサーとしては楽になるかもしれないと、少し考えていった。

「若頭以外の人が口説きにかかったら返り討ちに合います。本気出した舎弟の兄さんが片タマなって朝帰り。三日後にショック死したて聞いてます」
「コッソリ塩酸漬けにしたヤツなら居る。チンコは無いけどまだ生きとるで。たぶん」

 そいつとこいつは違う者だろう。要は中田の冷酷無比な見かけを頭に思い描き、今度は命懸けでその質問をした。

「――あの人の、どこが好きなんですか」

 西野は革のソファに腰掛け、踵を膝の上に乗せた。「可愛いげのないとこ。口開くやろ、俺と目が合うやろ、眉ひそめるやろ、口閉じるやろ。なんやねんて聞いたら、鼻で笑いよんのやでアイツ。腹立つやろ」

「はぁ」

 新しくついた舎弟が顔を出したが、西野を見るとギョッとしてワァと叫び退室した。要はさすがに焦ったが、教育しとけよ、へい、の応酬だけであった。西野は存分に惚気た。

「背の高い連中は気づかんみたいやけどな。下から煽ると出目金そっくりなんや。まだアイツが堅気やった時分に、餌付けするつもりでよく呑みに誘ったりして。何回勧めても一滴もやらんから、こう、無理やり」
「……」
「飲ませたらひっくり返って。死んだようになって腹向けて寝て、真っ黒で大顔でゆらゆらしとるこの金魚。手元に欲しいな思たんや」
「ゆらゆら?」

 子供の時に流行った金魚運動マシンなど思いつき、要は一瞬で悟った。

「腰だけ揺れるからや。いくら俺でもクスリ漬けにせぇへんかったら、中田をモノにはできへんかったで。詳しく聞きたい?」
「……聞きたないです。はい」
「調教すんのに一年。組に入れるのに一年。何十年経っても、俺のために命賭けたいとまでは思わせられへん」

 要は下げていた顔を反射的に上げた。「そんな。あんなに――」

 惚れてはるのに、と続けようとしてカマをかけられたことに気づく。西野は笑みを消して、ひじ掛けを叩きながら要を眺めていた。

「シロも似たようなこと云うとったな。どこがやねん。アイツなんか俺のこと云うんか? 他の舎弟はみんな冗談やと思っとるのに、お前には話すんか。あ?」

 要は城を知らなかったが、やはり分かる者にはわかるのだと視線を逸らした。

 中田はときおり別人のように和らいだ目をする。優しく切ない郷愁を誘う眼差しの先には、いつも同じ相手がいるのだった。

「――地回りの仕事が残っていますんで」

 反抗的な態度に通常の脅迫技も忘れ、西野はあきれて口を開いた。




02) 「逃げんなや」

(本気でヘコむやろ)






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