【全員悪人】


07)「なんやねん」(ええ加減気づけや)



 初めて整理業を行ったのは、三十半ばを過ぎた飯島にとってぎりぎりの選択だった。おいそれと潰しのきく歳でないのは承知していた。足を洗いたかったのは賭博に関してだけだった。できることが他になかった。

 飯島は人畜無害そのものの高い声をしていた。人相よりも声音が買われ、督促の電話をかけるのが飯島の新しい仕事となった。

 賭博の八割は詐欺である。残りの二割は運で勝っても次の機会を伺って回収する。儲けが出ないと話にならぬ商売だからだ。字に反して信ずる者は馬鹿を見る。信じさせる者が儲ける。

 男は馬鹿だった。金は残らなかった。妻は早世していなかった。ひとり娘だけが男の拠り所であった。

「上岸さん。納付書を紛失されたのであれば御自宅に直接伺います。うちの若い者ンは気性が荒いので、わたくしが直接」
『まっ……待ってください。月末には必ず。担保の車と家になんか足します。うちには子供がいるきりなんだ。私が仕事に出ている時間じゃ』
「職場に来られては困る? 馘になれば払えるものも払えなくなると言ったのはお宅でしょう。失礼」

 受話器を置いてからが勝負である。ダイヤル式の電話が鳴り響く。剥がし損ねたセロテープでも爪で弄くりながら待つ。相手が諦める直前に受話器をとるが、優しい口調に切り替えて最後の文言を繰り返す。手元のメモ帳に書いてある台詞を読むだけなのだが、これが利いた。

「百万。いや、百二十万くらいなら用意できんことも……」
「当面はそれで構いません。では明日正午お宅に」

 もぬけの殻になることも踏まえて、見張りをつかせた。約束の時間に訪ねると、部屋はそのままで男だけが消えた。開け放した裏のベランダから下を見るまでもなく、飯島は状況を察した。遺書らしき封筒を懐にしまった。窓は閉めた。

 ランドセルを背負った娘が帰ってくるのを待って、飯島は彼女の手を引いた。娘にとっては、ときどき訪ねてきては飴をくれる親切なおじさんだった。連絡を受けた金融会社のチンピラがお約束のように部屋を荒らした。飯島は娘を車に乗せ、見張りもそのままにしてアパートを離れた。

「おじちゃん。パパは?」
「――」
「学校で作ったパンダ見せるん。粘土乾いたんよ」

 金融側の人間に渡せば酷い扱いを受けるだろう。ヤクザは孤児に優しい。預けられる先は一つしかなかった。

 花菱には五十手前で古参幹部の廻り兄弟がいた。それが次期の総長・西野一雄であることを知ったのは、盃を交わした兄弟から聞いただけだった。

「引き取るんはええけどな。代わりに何くれんねん」

 自分一人の体全部と答えたが、眼球も内臓も売ったところで二束三文になることは互いに承知していた。下っ端として使われることになった。

 賭場で働いていた者は下に見られる。飯島はそこでも余所者で、故郷の名を濁していた。田舎をからかわれたことはなかった。

「直系やないからゆうて大事にされんとかいうアホな話はないが、使えんとわかったらポイは同じやで」

 西野はまっすぐ飯島を見た。

「育てたるけ。一から」

 上岸の娘は西野の傍系に引きとられた。飯島自身が養女にしたわけではないが、気にはかけていた。優しい『西野の叔父ちゃん』は娘のお気に入りになった。飯島は遠くで彼女を見ていた。五年と立たぬうちに、渡世の垢が飯島を覆った。

 そんな折りである。万里が失踪したという連絡を受けたのは。

 こちらから手が出せないと知ったのは、借金のカタとして連れ去られたのではなく、万里自身の意思で逃げ出したからだった。父親が出入りしていた賭場を万里は訪ねた。しかしそれも相手方の計画的な犯行だった。上岸万里は完全に存在が消えてしまった。

 そして二度と西野の家には戻らなかった。

 西野家で辛く当たられていたのではない。上岸の娘は飯島を忘れていなかった。前の父親が死んだと聞かされたのは十五の夜で、彼女は飯島が手を下したのだと思い込んだ。

 飯島を目の敵にしていた人間から復讐の念を植えつけられ、利用されたのだ。再会を果たしたのは更に五年経った頃だった。万里は何の因果か賭博師の情婦になり、盆を仕切っていた。


 ――久しぶりやなあ。飯島さん。

 ――なんでじゃろ。うち。あの日作ったパンダ、よう捨てんかった。

 ――『上手いことできたな。俺はこげなもん誰からも貰たことない。お父ちゃん、喜びはるで』て、アンタが言うたから。

 ――でも、もう居らんかったんやな。

 ――西野さん家に残してきたん。まだあるようでしたら。

 ――貰てつかぁさい。


 シャブ漬けになり死にかけていたのを、斬り込みの隙を見計らい背中に背負って花菱まで連れ帰った。後のことなど考えもしなかった。二人まとめて斬られる覚悟であった。

「若頭」飯島は泣きじゃくりながら懇願した。「また育ててやってください。鉄砲玉でも何でもやります。コイツ、拾てやってください」

「死んどるで」
「そげなわけあるかい――そげな」

 西野は飯島の前にしゃがみこみ、横面を張り倒した。ごろんと転んだ自分の上に、万里の体がのし掛かる。慌てて仰向けにした口の白い泡で、何が起きたかを悟った。

 沈黙が重く垂れた。手に握られた錠剤の残りを飲み込もうとすると、また平手を受ける。口づけて青酸の名残を分けようとすると、阿呆さらすなと拳で殴られた。

「最初に買うたんはお前や。冥土にも極楽浄土にも、俺の許可なしに指ひとつ。どこにもやらん」

 万里の葬式は花菱で出した。府中のほうは格下の代紋の傘下だったこともあり、布施の会長が金で黙らせた。歳月を経て巡りめぐり報復を遂げたとき、西野が怒りを爆発させたのは――布施の命を危険にさらしたからだけではないのだろう。

「……会長と賭けたて?」

 飯島がそ知らぬ顔で「安い命ですから」と言うと、西野は眉を寄せた。




07) 「なんやねん」

(ええ加減気づけや)






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