【全員悪人】


01



 西野が店に顔を出したのは、正午を回った頃だった。『Spring』は小さなショーパブだが表向きはダンススタジオという触れ込みである。関西の有名バーが検挙された問題の巻き込みをくらって、建て直しを迫られていた。

 義弟の春雄がオーナーだった。

 春雄は訳あって西野家の養子に出された遠い親戚である。西野と似たところは一つもなかった。細面で迫力に欠ける顔を黒々とした髭で覆い隠していた。経営も厳しいのか安物のスーツを着ているため、堅気に見えぬこともない。

「兄貴」春雄はタキシードの案内役を追っ払った。「話があるんや」

 西野もお目付け役の側近に顎をしゃくった。「俺が先じゃ。――中田の命令で動いとる舎弟のアホどもはおっ返せ。路上でクダ巻いとったジジイだけ此処に寄越すんや」
「へぇ」

 春雄は目に見えて動揺した。「中田の兄貴もご存知なんで」

 何を今さら、と西野は脇を向いて嘆息した。相棒であれば問答無用の蹴りが入るところであるが、残念ながら脚は届かない。

 店内奥のボックス席に腰を降ろした。怖いもの知らずの女たちが四方から近づいてくるが、西野は優しい顔で「今日は相手でけへんの。向こうで空けてな」と店の中でも一番高い酒を数本空けるようマネージャーに頼んだ。歓声とは裏腹に、最期の振舞い酒かもしれぬという想像で、春雄の顔は蒼白となった。無論金は春雄の懐から出るのだ。

 周辺の酒場ごと警察の監視下に置かれた店内に、拳銃を持ちこむ馬鹿はいない。だが扉前で大人しくしている新しい側近は違う。西野は指ひとつで可愛い義弟を始末させるか判断に迷った。リボルバーが火を吹いた後の面倒を考えると熟慮せざるを得ない。

「組の規定はわかっとるよな」
「ヤクには手ェ出してないで。今回の件には事情があるんや。聞いてくれ、兄さん!」

 春雄がその呼び方をすることはほとんどない。姑息にも血の繋がりの情に訴えてきたかと西野は呆れただけだった。

「自分で始末でけへんことに性懲りもなく首突っ込んで、垂れ流した後のきちゃないケツの穴はタダで拭けやと?」

 小心者は懐の膨らみをチラリと見たが、西野はその胸におしぼりを投げた。春雄はヒッと息をのんだ。

「屑にタマとられるほど落ちぶれちゃおらんで。なんで一人で来たってるかも理解できへんくらい老いぼれたんか」

 脇で縮こまっている若い男に目線を向ける。春雄の息子、辰雄だった。彼は転がるように膝をつき、額を床に擦り付けた。事情を知らぬ客が一瞬こちらを見たが、ヘルプに入った女が上手く気を逸らした。

「お、お、叔父貴ィ。堪忍してくれ。俺は親父に脅されてしゃあなしにやったんや!」
「おまえ……ッ」
「少しはマシな言い訳考えとかんかい。時間ナンボでもあったやろ。お前らが死ぬのは勝手やけど、道連れに処分される舎弟の身になってみ」

 辰雄は生唾を飲み込んだ。「俺が指詰めるから舎弟は堪忍したってください」

「アホか」西野はため息を吐いた。「先の抗争後に指人形で映画撮れるほどポンポン手元に入ってきとんねん。何処で広まったんか知らんけど俺が指マニアやて噂がな」

 西野は辰雄のほうではなく、彼の父親の野太い指に手を伸ばした。そのまま立ち上がった兄に春雄は、え? と口を開けた。近くの席で待機していた舎弟が、空のボトルを西野に手渡した。

「あ、兄貴?」コルクの代わりに指を入れられた春雄は、その先を静止しようとしたが遅かった。悲鳴はボトルを空ける歓声に遮られた。「お、折れ……!」

 体を捻る父親の腰に辰雄はしがみついた。西野は捻ったボトルを放さなかった。

「折れるかボケ。この程度で」
「頼むわ。放してくれッ。ピアノが弾けなくなるやろ!」
「そんな高尚な特技があるなんぞ聞いたこともないで」

 辰雄が涙目でいった。「放してやってや叔父貴。俺にできることやったら何でもやるから!」

 西野の眉根はお座敷犬のように垂れ下がった。辰雄は若い日の自分によく似て可愛らしい風貌をしている。欲目であることは理解していたが、仏心が一瞬顔を出した。

「二人でよう考え直せ」西野は手を放した。



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