【全員悪人】


01



 関西花菱会に激震が走ったのは、関東山王会の会長が代替わりしてから数年目のことだった。極道仁義など懐古主義も甚だしい建前ではあるが、会長に対してだけは格別の恩誼を感じている若頭西野は、事が動く前に対策を練ろうと、補佐の中田を振り返った。

「東のほうが、なんやキナ臭いわな」
「――へぇ」
「面倒なことになっとるみたいやで。会長の耳に入れる前に、手ぇ回すつもりや。ゴキブリの始末ごときで煩わせたないんでな」
「――」
「問題っちゅうたら関東。人死にも関東。表向きだけでも仲良うやれんのかいな。株取引だの何だのに手ぇつけよっても、あの連中の頭ン中はまだ昭和やで」
「おっしゃる通りで」
「まとめて捻り潰すええ機会かもわからんな。慎重にいくで」

 中田は無駄口を叩かなかった。西野は深々と息を吸って吐いた。

「大友っちゅうヤツ、知っとるか。山王会から破門されかけて生き延びたとかいう」
「指詰めて蹴りつけようとして失敗したと聞いとります。組の舎弟は全員死亡。ムショから出てきたとか」

「指?」西野は鼻で笑った。「そりゃアカンわ。指て。なんや今どき、どこの世界で指落とすアホが居るんや。だいたい本気で詫び入れる気があるんやったら、手首でも持って来んかい」

「二回で終わりまっせ」
「足首で四回やな。五回で首落とすねん。どや?」
「さあ。末端のほうが痛いでっからな。ちょいちょい切らせて楽しむっちゅう腹なんやろけど」
「でもな、目の前で落とすんやったら正直見たいわ。腕も足も見たことあるけど、指はまだ見たことあらへんねん。経験者誰か居らんかったかな」

 静かに壁際の絵のごとく微動だにしなかった事務所の若い衆十数名は、一斉に返事をしたが誰も指など詰めたことはなかった。

 中田は手を見せた。「昔まだ堅気やった頃、田舎の鎌で落としました。その後にヒョウソにも掛かりましてな。先っちょがホラ」

 西野はギョッとしてたじろいだ。「爪ついとるやんけ」

 ヤクザ者でも痛いこと怖いことを避けたい気持ちは同じである。未知なる痛みと無駄な抗争での犬死にを最も嫌うのだ。

「根っこがついとったら生えてきよります」中田は平然と云った。「右と左で指の長さ違うんで、チャカ持つときは右で」

「知らなんだ。すまなんだな。からかって」
「第一関節まで落としとったら、箔ついたんですけどな」

 西野は根っから表面上の物腰が柔らかいということもあるが、彼自身が若頭に昇格して以後、補佐についた数名の中でも中田には特別目をかけていた。極力傍に置いているのは昔馴染みであるからだ。対等に意見を交換できる貴重な相手であった。それを理解している中田自身は、にこりともせず謝罪を聞き流した。

「痛かったんやろ。舐めて直したるさかい、もっぺん指見せ」

 ぽかんと口を開けている若い奴等を連れそれぞれの側近が退室しようとしたが、それを押し留め、中田は腕を組んだ。

「その手には乗りまへんで。若頭。食いちぎる気やな」
「アニキでええがな。なんべんも言わせんとって」
「会長の指しゃぶっといたら宜しいわ兄貴」
「含みのある言い方やな。くんずほぐれつ昨夜は愉しかったわ。あの人、ああ見えてすぐアンアン泣くからな」

 中田は溜め息を吐いて、組の若いのを振り返った。

「――会長が泣き上戸やからやぞ。他言したらわかっとるやろな」
「へぇ!」

 側近が中田の凄みに堪えて大声で返事をした。西野はにっこり微笑んだ。「おまえら全員、さっきからアホか。平成入って何十年や思とるんじゃ。自衛官みたいな返事はよしなはれや」

 再度壁に反響する声に、西野は目を回した。中田は鼻に皺を寄せながら、無言の圧力を若衆にかけた。西野はその様子にまた笑った。

「いちいち脅さんでもええねん」
「頭が高いヤツは懲らしめときますんでな」
「おまえさんこそ、呑んだらその巨体でわしのこと押し潰す癖に」

 生唾を呑み込む音を聞き、中田は空中を睨み付けながら云った。

「俺が下戸やっちゅうことやぞ。これも他言したらわかっとるやろォな! ええッ?」
「へぇッ! わかっとります!」
「――せやから、兄貴がうるさい云うとるんじゃボケェカスナスッこのアホどもがぁぁぁ!」

 西野は中田の巻き舌にあきれ、用意周到にもあらかじめふさいだ耳から指を外した。

「ま。全員合わせたところで、おまえさんのドスの効いたダミ声には敵わんで」西野は続けた。「山王会の穀潰し共が動き始めたら、こっちも戦場や。つまらんとばっちり喰わんようにせんとな」

「へぇ」中田は何事もなかったようにネクタイをしめた。

「平和的に進めるにはどないしたらええやろなぁ」
「捨て駒に心当たりがあります。私と兄弟の盃を交わした木村という男が」

 西野は煙草を取り出した。火付け役より近くにいた中田がジッポを向ける。鋭い目線を無言で受け止め、西野の側近は手を後ろに回した。

「悪いやっちゃな。そうやって何人もタブらかしこんでからに、用が無うなったら袖にする気やろ。中田」

 中田は眼だけを細めた。西野は、煙草を顔ごと中田の手に近づけて火をつけると、素早くその指に音を立てて口づけた。あ。と声を出した若衆を周りのお目付け役が殴る蹴るの暴行で静まらせる。中田は目尻を一瞬揺らしたが、プイッと顔を背けた。西野はその様子を見て煙を吐き出し、ニヤッと笑った。


「あの腐れ外道どものかく吠えヅラ見たいんや。全力でヤるで」



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