【全員悪人】


24



 木村が死んだことで関東の警察署内は荒れていたが、一人だけが物思わしげな沈黙を抱えていた。

 繁田は片岡の様子を見逃さなかった。課長は片岡に口出ししなくなってしまった。片岡は暴発で処理された拳銃の替わりを懐に納め、ギラギラと目を光らせている。就業時刻に帰れと言われたのは繁田だけだった。これ以上悪い影響を受けないようにという配慮なのかもしれないが、何もかもがもはや遅い。

 外は藤色であった。繁田は足早に警察署より二駅先の都心に向かった。地下街で飲むという選択肢は片岡に見つからない防衛策だった。

 片岡の下につくよう指示をされたのは、繁田自身の厄介払いもあったように思う。別の配属先で組事務所の配線孔に三丁の短銃を見つけたとき、上司はいい顔をしなかった。丸暴に移されたのは直後である。

 前任者の山本が死ぬまで、繁田は片岡については同じ刑事科の優秀な出世株だという認識しかなかった。改めて紹介を受けたときの興奮と緊張は忘れることができない。張り込みには不向きな自分を指名した理由を聞いても、笑って答えをはぐらかすばかりだった。

 ――あの頃に戻れば、諌めることができたのか。

 いや、自分には無理だという気がした。

 繁田は背を丸めながら線路沿いを歩いた。横を貨物列車が通りすぎる。人はまばらだが後ろを振り返る馬鹿はしない。繁田は歩調を緩めた。

 当間隔に電車の車輪が甲高い音を上げる。フェンスに埋め込まれたスチール缶など片手でもぎ取った。目前から道を塞ぐように子連れの親子が歩いてくる。それも脇で追い越し、横路に逸れて道路を渡った。

 自販機の前でポケットを探る。硬貨を入れながら数をかぞえた。紙パックの苺ミルクを押して、ピロピロピピピと音を発しながら数字を弾き出すのを待ってしゃがんだ。

 影が重なった瞬間を見計らい、手にしていた空き缶で振り向き様に脛を払った。腹に肘を叩き込んだ。痛みに呻き落とした尻を目にして、自販機に向き直り紙パックを取り出す。よりによって当たりを引いたので、もう一度同じものを押した。

 男が腰にしがみついてくるので、後ろを見向きもせず買ったばかりのソレを握り潰した。顔にかかった液体で怯んだところを左右に揺すり、膝を打ち付けた。口から上げた白い泡を掬うように頭を持ち、右の拳を顔の真ん中に入れる。

 男はかろうじて避けたが、同時に出した足のほうはまともに食らった。別の場所から上がった小さな悲鳴の方を見て、繁田は片手で警察手帳を出した。女は顔を隠しながら立ち去った。繁田は溜め息を吐いた。

「誤解されちまっただろ。てめぇのせいだぞ」繁田は自販機に男を押し付けた。「――誰の差し金だ。いいスーツ着てんな。ヤクザか。どこの組だ、ん?」

 後ろ手に固定したまま顔を明かりに照らしたが、見覚えはなかった。男の目は生きている。繁田は手錠を出そうとして逮捕権を奪われている事実を思い出した。

 気を抜いた。後頭部で頭突きを食らい、目の前が真っ白になる。男は血にまみれて折れた歯を吐き、拳銃を出した。繁田の心は冷えたが相手は撃ってこなかった。

 車が一台、静かに近づく。繁田はそちらを見た。後部座席の窓が開く。

 繁田は顔をしかめた。「アンタ……たしか、花菱の下っ端だろう」

 顔を覚えることにかけては自信があった。刑事に必要な最低限の能力というのはそれだけといっても過言ではない。

「繁田さん、ですね」飯島はいった。「手荒な真似をしたことは謝ります。ここでは目立って仕方ない。乗ってください」

 丁寧な口調に面くらったが、繁田は車に近づいて長身を屈め、窓を覗きこんだ。掴みかかってきた男のほうを指さす。

「もうちょっと強いのも用意しとけよ。今回の抗争で何人も間引かれて人手不足なんだろうけどよ」

 飯島は返事をしなかった。実質的な花菱の被害は片手指に満たない人数だった。事実を伝えれば繁田の神経を逆撫でするばかりだろう。

「鬼上司はうまくやれっていってくるけどな。俺はヤクザとつるむ気はねぇぞ。オラ。銃刀法違反でしょっぴいてやるから全員車から降りろ」

 運転席と助手席から舎弟が出てくる。繁田は拳を構えたが、飯島は制止した。

「三ン下の話相手くらいなら問題ないでしょう」

「幹部みたいなモンだろうが。広島ヤクザの連中を相手に、爺さんと遊んできたらしいじゃねぇか」繁田は首を振った。「それに知ってんだぞ。数年前、盆屋であった斬り込み。被害者の中には女賭博師も……今回の殴り込みは裏金を移動させるなんてチャチな話じゃなく、てめぇの私怨だったってわけだ。違うか、飯島さんよ」

 飯島は口の端を上げた。

「禄を食んで上にどやされながら生活してきたしがない官吏ですわ。今も昔もその点変わらへん。俺も貴方と同じや、刑事さん」

 繁田は一緒にするなといいかけたが溜め息を吐いて周りを見回し、車に乗り込んだ。



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