【全員悪人】


20



 加藤引退の報を聞いた布施は電話を置いた。居並ぶ若衆を振り返り順に指示を出す。討ち漏らされて生き残った一党の後始末が待っているのだ。

 城はまだ戻っていなかったが、関東に送った西野、中田両舎弟の代わりを歳のいった清水にやらすわけにはいかなかった。布施は窓際に立った。

「山王会の管理は西野に任せるつもりや」
「……会長?」
「健康が回復したら、花菱の関東進出を先導するのに中田と一緒に向こうへ渡してもええ」

 清水は答えなかった。布施は始終引退を仄めかすほど、この世界に執着を無くしている。関東進出の足掛かりとして山王会を踏み台にしようというなら、まだ先に起こる争いに興味があるということだ。

「それができればの話やけどな」

 布施は背中を見せたまま、ぽつりといった。古希を迎えた清水にはその心情が理解できた。布施には内縁の妻が一人居たが、若いうちに亡くしたきりで子供もいない。還暦を越えた西野や中田でさえ、彼にとっては一つの拠り所であり、息子のような存在だった。

 どのような形で跡目を引き継いでも、西野には荷が勝ちすぎている。中田についている舎弟は西野に対する対抗心を持っている者が多く、花菱自身が二分される可能性を秘めているのだ。

「このまま西野の下に就く者を増やす手も考えたんや」
「それはいけまへん。若頭に反目している人間を探すのが面倒になります」

 目をすがめた理由を察して、清水はそっと口を開いた。布施は頷いて答えた。

「補佐の中にも阿保が紛れとるからか」

 前会長からの古参の中には、布施と同年だが後を継ぐ立場から漏れた人間も二人ほど居た。本来なら西野か中田の位置に据えなければならぬこの人物たちは、若頭の後援者として別の雑用で忙しくさせている。

 切ることもせず上に押し上げるつもりもなく、かつての大友組がそうであったように体よく使われているのだ。布施が居なくなれば今の西野は裸も同然である。考えなければならないことは山ほどあった。

 布施は清水にいった。「うちの闘いは、こっからやで――」





 繁田は苦い顔を隠さない上司たちと、相変わらず何を考えているのか読めない片岡の笑みを見比べていた。

 片岡は繁田を誘って外に出た。車を回そうと言っても返事をしない。煙草を取り出しくわえたが、ポケットを叩く。繁田はライターを持ち歩かない。結局片岡がしがんだ煙草は、途中でポキリと折れたので繁田の胸元に入ることとなった。

「人をゴミ箱みたいに……」
「ゴミだろ」

 片岡はきょとんとしていた。いちいち相手を傷つける男である。繁田は否定しなかった。逆らうとどのような目にあうかわからない。

「お前。俺の口にキスできるか」

 逆らったほうがいい場合もある。

「……無理です」
「だよな。だったらいいんだ。車取ってこい」

 何がいいというのか。繁田は急ぎ足で従おうとした。ただ何も言わずに逃げるのは癪に触ると、つい止まった。「山本さんはキスしたんすか」

「さあなァ。俺可愛いから。したかもな」

 にやにやと待っているのだ。腹立たしかった。肩に両手をついただけで警察署前の警備の目を痛いほど感じた。屈んだ背を見上げるように片岡の顎が上向いた。繁田は顔を逸らした。

「なんだよう。やめんのかよ」
「目が怖いんすよ。とじるでしょ普通」
「童貞か。かわいそうな奴」
「片岡さん。あなた何なんすか」

 手を払われる。繁田は内心ほっとした。それも次の問いかけを耳にするまでだった。

「大友と俺。どっちだったと思う」
「どういう意味――あ、男役か女役かってことですか。おんな?」

 片岡は既婚者である。ぶち殺すぞテメェ、という返事を期待して咄嗟に答えた。しかし片岡は声もなく笑っただけだった。いつもの浮薄な表情ではない、遠い日に置いてきた想いを真似るようにそのまま瞼を落とした。

 繁田はしばしその場に立ちすくんだ。



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