【全員悪人】


19



 直系若中も交えた手打ちの儀式が始まった。紋付きを着た加藤はとらえどころのない顔で、書状の内容を寺の題目の如く聞いていた。これが人殺しの集団の長とはいえ、古株を蔑ろにし、舎弟を使い捨てした男の末路であった。

 要は飯島と共に、席の後方で若頭と補佐を保護する役割を担った。腹にずしりとした重みを抱え、西野の朗々とした声をなぞった。

 ――木村はどうなるのだろう。

 いずれあの男が組を持つことになるという勘は当たっていた。要は人を的確に見抜く目を買われており、自身はそのことを知らないでいた。経験不足が尾を引いて、格下げとなる瀬戸際だったわけだが――木村の口聞きがあったと清水により伝えられている。

 不安を覚えた。花菱の人間だけではない。木村に対面した誰もが感じる危うさが、ここに至って存在を大きくしていた。

 木村を消すことは補佐が赦すまい、と要は信じたかった。ふとした時に善意の覗くあの目の中に、かつて自分にもあった家族。とりわけ歳の離れた兄の面影を、中田や木村に重ねていたからだ。

 滞りなく終わった行事に、飯島が無言で指示を出した。要は花菱の若衆に襟繰りの端末でそれを伝えた。

「見送りには私が行く」飯島は囁いた。「お前は若頭について行け。もちろん補佐から命令が出たら私の指示は無視しろ」

「これで山王会は花菱の下に?」
「――そうだ。振り出しに戻っただけの話かもしれん」

 答えた飯島にもよくわからなかった。布施は気まぐれを起こすような男ではない。掌握したところで手駒にするには雑魚ばかりとなった山王会を、潰さぬことにした決断の裏には何かがあるのだろう。西野の不調が傷を残した可能性も捨てきれなかった。

 要はうなずき、それ以上は問わなかった。





 加藤は自分の身が一回り小さくなったと感じた。奪いとったもぎたての果実を味わう機会は、ほとんどなかったといってよい。僅かの天下であった。

 せめて花菱を道連れにできぬものかと考えを巡らせた時には、既に時計の残り時間は過ぎていたのだ。

 車に乗り込み、代紋入りの提灯を中からそっと見上げる。反逆を決意した日の前会長の笑みを思い出した。俺の何をも疑ってはいなかった。石原もだ。誰もが信頼を安売りしていた。極道の任侠を違える者などいないというように。

 山王会で溜め込んだ残金は移動していた。命を賭けた退職金なのだ。誰にも渡すまい。これを元手に一からやり直してもいい。まだ何名かは加藤についてきている舎弟もいる。

 しかし加藤には酷なことに、すべてを為すには歳が行きすぎていた。これは皮肉な話で、前会長は持病を引きずっていた。余命幾ばくもなかっただろう。五年が過ぎて六年の鐘を打とうとしている今、老衰を待ったほうが賢い選択だったと思ってしまう。

 加藤の実家は越後の田舎町であった。体の弱い母親の不安定な情緒に振り回され、採算の合わぬ農家の歯車となるはずの人生を大きく狂わせた。

 どの岐路に立たされても、先走り過ぎたのだ。自ら掘った墓穴に下半身を埋め込んでいる気分だった。三百六十度何処までも続いていた段々畑の先では、どちらに踏み出しても華やかな生活が待っているはずだった。そこで火をくべて畑を焼き、土を肥やして新しい者だけで自分の世界を構成する予定が、気づけば焼け野原に独りでいる。加藤は疲れきって強ばった視線を、窓の外にやった。

 それは一瞬のことだった。

 流れる行く街並みを眺めていると、生涯目にしてはいけない男の顔を見た。張りついた仮面のような笑みを加藤に向けている。黒窓の構造上、外側からは見えないのだが。


 片岡――片岡!


 鬼と目があった。呑まれた自覚など加藤にはなかったが、すべての疑問が解けたように思えたのがいけなかった。


 俺が敗けたのは花菱ではなかった。

 ――俺を嵌めたのは。

 山王会を、弱めたのは――。


 己を陥れた首魁の目を脳裏に焼き付け、加藤は声にならぬ嗚咽をもらした。



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