【全員悪人】


18



「まだ痛いか。ずいぶん顔しかめとったようやけど」

 西野は着物の上から袢纏を羽織り、同じ格好の中田と共に組の廊下を彷徨いていた。西野の言葉に中田は苦笑した。

「腹より上に乗られた膝が痛いんで。重くなりすぎや、若頭」
「成長期やねん。しゃあないやろ」
「最近、上りより下りがキツいんですわ……」
「お互い歳やで」

 根城である花菱の中心部には、会長の姿はない。株式の後始末を弁護士に任せ、府中に頭を下げに行っているのだ。

 清水が殺した一人以外は謂わば同士撃ちだったのだが、地回りのヤクザを使わず卑怯な脅迫で事態を納めようとしたことには違いない。

 重鎮二人はじゃれあった翌日、また素知らぬ顔でヨリを戻していた。たまの蹴り合い殴り合いなど昔はご挨拶だったが、どうにも後に響きやすくなってしまったのだ。

 西野は中田の顔を仰いだ。素直に謝る代わりに思いついたことをいった。

「次の集会でバリアフリー提案しよか」
「出入りがあった時に困るでしょう。花菱は入りやすいて噂になりまっせ」
「相手さんもどうせ年寄りばっかや。身内想いに感激して帰りはるわ」

 中田がちょっと驚いた表情で覗き込んでくる。西野は憮然とした。

「なんや」
「会長はああ言いましたけどな、心配してはりますで。俺は入院引き留めとるくらいやから、それほど深刻に捉えてへんけど」
「俺が死んだらお前が次の頭やもんな」
「暗殺の方法でも考えときますわ」

 金の問題が早めに片づいたおかげで、加藤や石原に手を出しやすくなったのは事実である。西野が同じことをやっても、倍はかかっていたはずだ。そしてその場で射殺された可能性が高い。布施の後ろには舎弟の復讐が待っているが、若頭一人を葬り去ったところで実害はそうないからだ。

 あと少しのところまで来て、布施は方針を変えた。今の山王会を首尾よく解体に持ち込めたとしても、古参の連中を何処が受け入れるかでまた揉める。此処等で手打ちにして仲介を買って出れば、花菱が人事を完全に把握することになるのだ。残党を手元で転がすほうが理に叶っている。

 白山と五味が訪ねて来た時点では、西野も同じ意見だった。余分な金を持たせて、あの二人を上に立たせるのは危険が伴うが――王手は目前だった。真っ直ぐしか進めぬ歩兵が邪魔なだけだ。

「加藤は自白CDの配布で終わり。木村もあの様子では自分の立場がわかっとらんようや。放っといても加藤組が始末しよるでしょう」中田は淡々といった。「後は大友が――」

「捨て駒と云えども、奥の壁まで進めば縦横無尽に動けるからな」西野は遮った。「敵陣に乗り込んできたボケは何としても処分せにゃならん。シケバリつけとけ」

「海老鯛ゆうてましたやろ」
「出世するヤツは寄せ場の匂いなんぞ嗅いだこともないもんやで。奴は目がない。降参して丸暴に助けてもろた時点で、足洗うべきやったんや」
「片岡いうヤツ、あれから耳にしてますか」

 西野は首を傾げた。自室の前で立ち塞がっている舎弟に顎をしゃくる。邪魔をせぬよう追い払い、中田を先にいれた。

「誰やったっけ」
「例の裏でごそごそしとった子鼠ですわ。シッポ掴んで引きずり出したろうと思て、木村に確認取りましてな。まだ裏がありそうやけど」

 簡素で古風な二間続きの洋室だった。中田は部屋の中央で羽織りをするりと脱ぎ落とした。西野は扉に背を預け、腕組みをして待った。

「サツと渡り合って、ええことあったか。今まで」
「損害ばっかりや。触らぬ女将に爛れなし、てなもんで」
「お上のほうでは喘がして欲しいんやろ。極道を管理出来てるっちゅう大義名分と、悪どいことなどしとりませんっちゅう奉仕精神と。組織の存在価値を知らしめたいんや。俺らと何も変わらへん。集団でないと何もでけへんからな」

 中田は帯に手をかけ、眉根を寄せた。一拍おいて溜め息を吐く。襟繰りに指を滑らせ其のまま胸元から肩を出した。上半身だけ剥き出しにして彫り物とサラシの覗く背中を向けると、西野が手首を引いて寝室に導く。

「アホは独りで乗り込んできよりますで。手を出さんでおったら、最後の最後で殺られるやもわからん」

「歩兵の弾き方、教えといたる」西野は鼻で笑った。「闇雲に矢を射った男はな、自分の策略に嵌まりよるんや。踊る阿呆に見る阿呆。狸も阿波でさんざん囃子こいたからここは静観のしどころじゃ」

 閨には暗黙の了解があった。高い位置から肉付きのよい耳許に薄い唇を寄せると、中田は静かに囁いた。

「――兄貴には負けたわ。腹太鼓鳴らしますんでな、今夜はたっぷり踊らせて」



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