【全員悪人】


16



 花菱を訪れた木村は、いつになく機嫌の悪い中田と上機嫌の西野を見比べ、気を揉んでいた。手打ちになると聞き、恐る恐る尋ねる。山王会と花菱のぶつかり合いは、表向きなかったことになるのだ。

 義兄弟の中田が顔をしかめているのは痛む脇腹のせいだったが、理解の悪い木村に対する苛立ちも確かにあった。

「なんか不満でもあるんけ」
「いえ。あの」
「大友の場所わかったら知らせよ。隠しだてしよったら只じゃおかへんぞ」

 両者に責められ木村は堪えた。舟木も石原も花菱のおかげで捕らえたものであり、木村自身は特に何もしていない。にもかかわらず組を持たせてくれるという。山王会の加藤を失脚させることができる。秤にかければ話が巧すぎると気づけたかもしれない。冷静さを失っていた。

 手打ちというのは和解の名目を取ってはいるが、端的にいえば間に入る親ヤクザに両方の実権を握らせ、監視役として傘下に置けるという意味である。関東側によるあからさまな斬り込み、それも内外での揉め事があった以上、加藤は社会的にも山王会の頭としての地位も抹消されることとなる。

 それこそ木村が望んだことだ。そのはずだった。

「おい」花菱を後にしようとした木村を、中田が引き留めた。庭先に向けて首を振り、また顔を歪ませる。

「アニキ。ああ。今回は、本当に」

「一服しに来たついでや」中田は痛みで脂汗を垂らしていた。「少し付き合え」

 二人は日本庭園の芝を踏みしめた。木村は石畳を選んだが、中田は背を丸めながら極力骨に響かぬ道を行った。煙草を出すと、木村が火を向けた。中田は三人ほどついている舎弟を指で追い払った。

「監視されとるも同然じゃ。来る日も来る日も。村瀬組もこんなんやったか」
「保育園と大学を比べるようなもんですな」

「お前も吸え」中田は一本を木村の口にくわえさせた。「両手空いとるとドスでも出されたら一環の終わりや」

「すみません」木村は逆らわなかった。

「残り二本あるから、線香がわりに」

 木村の胸ポケットに煙草の箱を入れる。目尻を揺るがせたのをじっと眺めたが、中田は煙草を掴んだ手でネクタイを弄り視線を空にやった。

 木村は度胸もあり人情も忘れぬ漢であったが、いかんともしがたい教育不足と、真の意味では骨のない無節操さがこの場合は悪い方向に働いていた。慎重さに欠ける上に退路を立たれていても自らの過ちに気づけず、たとえ気づいたとして水際でも何とかなるのではないかと明日に希望を託してしまうのだ。崖の淵にあってさえ、足元の闇に気づけずに。

 古きよき極道社会であれば、それでも重宝されただろう。現代気風の中ではそれも難しい。

 復讐の血水を搾りきった木村という男の人生に、これ以上の熱を期待するのは無謀というものであった。

「初めて会った日のこと覚えてますか」木村は沈黙を破った。「大友の兄貴の恩情にも気づかんかった俺を、中田のアニキが諭してくださった。刺されたことを黙っとったのはそいつの落とし前や、言って」

「――」
「花菱で使って貰えるんやったら、安い命ですけど残りの生涯を賭けたいと思っとります。それだけ知っといてください」

 中田は目を瞑って眉間を寄せたままだった。暫くすると、何事も聞かなかったように手をひと振りした。木村は両手を膝に置き、深々と一礼して立ち去った。

 中田は木村の小さな背中にかける言葉を考えたが、それは無理なことだった。一人の外様より十の舎弟である。特別手を下さずとも、後ろ楯を無くしたも同然の木村は何処かで命を落とすだろう。


 ――何で俺にいうんや。ド阿呆。


 煙草の煙にのせて呟いた中田の一言は、聞く者が誰もいなかった。



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