【全員悪人】


10



 警視庁の片岡は缶珈琲を部下の繁田にやった。繁田はブラックは飲めませんのでと断り、自分の小銭で極甘ミルクセーキを買った。

 片岡は思わず仰け反った。「繁田。お前の身体はそんなもんでできてんのか?」

「はあ。牛乳飲んで大きくなったクチなんで」
「俺が牛乳飲んでなかったと思うのかよ」
「あんまり怒らないでくださいよ。カルシウム足りないんすか」

 片岡は眉根を寄せ、繁田を見上げた。自分の缶と繁田の缶を無言で交換する。繁田は名残惜しそうにミルクセーキを見たが、黙って珈琲を飲んだ。未知なる液体を一口含んで、片岡は噴いた。憮然とした繁田の顔には白いものがかかった。

「クッソ甘い。砂糖だぞコレ」
「人のヤツ取っといて……」
「ん!」
「要りませんよ。間接キスイヤですよ」
「なんだよう。俺のミルクが飲めねぇってのかよ」
「やらしい言い方やめてくださいよ。セクハラで訴えますから」

 とはいえ苦いばかりの珈琲は、繁田には飲みきれるものではなかった。片岡は交換したそれを口直しにゴクゴクと一気に飲み干す。繁田はポケットからハンカチを出し、プルタブの辺りをキュッと拭いて飲んだ。

「お前、潔癖なの」
「片岡さんのだからですよ。署長のとかだったら飲みますけど」
「オラ。どういう意味だソレ」
「勘弁してくださいよ……」

 二人揃って呼び出しをくらっているのだ。何も言わずに行ってしまう背中と缶を見比べ、繁田は溜め息を吐いて、中身の残った缶を捨てることも出来ずに片岡の後を追った。

 署長室で絞られると思っていたが、片岡のデスクに署長と課長が並んで立っている。繁田は自分の席に缶を置いた。叱責の間も片岡は笑みを絶やさず、のらりくらりと二人の上司を丸め込んでしまった。署長を宥めながら課長も席をはずした。

 繁田は気になった。山王会の石原といえば、片岡の先輩にあたる大友の組で飼われていた金庫番である。その周辺で殺しがあれば、大友自身が復讐しているという見方が正しいように思われたが――。

 繁田は大友が釈放された日のことを思い出した。まるで冷蔵庫の野菜室で半年干からびた人参のようなヤクザだった。報復に出るどころか、野良をつくのさえ二度と御免だという風に見えた。

「片岡さんが……やらせたんじゃないでしょうね」

 口をついて出た言葉は、鼻で否定された。俺のやり方をよく見ておけ、と言った片岡の傍に、課長が来た。

「片岡。命令だ。チャカとワッパを出せ」
「――どういうことですか」

 課長は恐い顔で繰り返した。そして続けた。「今度の不始末は総監の耳にも入っている。お前たちは待機しろというのが上のお達しだ」

「桜の代門しょったヤクザみたいに言わないでくださいよ。僕だって好きでやってる仕事じゃない。丸腰でやり合ったら死にますって」

 片岡は言った。繁田は課長の言う通りにした。刑事室の雑談はすべて止まり、今や片岡のデスクだけが三人芝居の舞台上となっていた。

「いいから早く言う通りにしろ。これは命令だ!」

 片岡はだらりとして、手錠を出した。三十八口径の拳銃は小柄な片岡には不釣り合いな存在感だった。課長が受け取ろうとした瞬間、片岡は激鉄を上げた。課長の頭に向けて引き金を弾く。上げては続け様に弾いた。激鉄がその度にカチンカチンと落ちる。

「弾なしで何を……」課長の笑みは引きつっていた。

 片岡は無表情に課長を見つめたまま、最後の一発は腕を垂直にして撃った。銃声と悲鳴。屈強な男たちが今更ながらに机の下に隠れた。片岡に近い繁田と課長だけは棒立ちだった。

「非常時以外でも、一発だけは入れてんすよ。いざとなったら自分で死ねるように」

 片岡は笑った。

「極道にしてみりゃ、僕らなんざオモチャ振り回してる糞ガキなんでね。暴発の始末書。要りますか」

 課長は茫然としながらも、片岡に悪態をついた。手錠だけを持って足早に退室する。狂人から逃げ遅れた繁田は、片岡が撃った方角を見た。

 繁田のデスクで吹っ飛んだミルクセーキの缶は、床で白濁をだらしなく垂らし無惨な形で果てていた。



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