【寒天問屋】


01



「そやから、寒天の単価が上がっとるんは、しゃあおまへん言うてますやろ」善次郎は溜め息を吐いた。「あんさんも、しつこいお人だっしゃなあ」

 松葉屋の主人は入り口の框に草履を引っ掛け、転がるようにして井川屋の敷居を跨いだ。無論毎度のことで仕入れた寒天の代金を支払いに来ているのだ。虚栄心を満足させることこそが真の目的といってもよい。

 というのも松葉屋には丁稚が一名しかおらず、寒天問屋の井川屋には丁稚が三名。人手不足を節約してまで始末をつけたい理由とは、天満天神宮への寄進、銀一貫を貯めるためだったのだが。これを受けて井川屋の番頭・善次郎が「うちは倍の銀二貫を寄進するつもりだす」と宣戦布告して以来、妙なことに善次郎とは喧嘩友達のような続柄が出来てしまっていた。

 歳の差は親子ほど開きのあるふたりの男が、同じような強面に始末とは名ばかりのケチ臭い金勘定に勤しみ、額を突き合わせているのだ。初っぱなこそ敵対心であれ、そのうち妙な連帯感が出来てもこれはおかしくないことである。

 仕舞いには特に用事もないのに訪ねてくるようになった。孫のお咲は兎も角も、金魚の糞の如く様子を見に来る祖父のほうは、井川屋としては扱い兼ねているのが本音であった。

 松葉屋藤三郎は、いずれは善次郎の鼻を明かすことを何よりの楽しみにしているつもりだった。その実、彼の番頭としての能力や始末の鬼としての徹底ぶりには一目を置き敬服していた。

 そんな善次郎にある提案をしたのは、何も二ツ返事で承諾を得られると期待したからではない。藤三郎は商人としても結構な才覚の持ち主だったので、一番の目的は後に切り出す術を心得ていたのだ。

「井川屋はん。寒天の値段の引き上げはええとしまひょ。年貢も毎年あちこちでっち、高うなるのは物価の高騰だけやのうて、検問の税金を阿呆ほど取るのが原因やさかいな」
「乾物も取引先は厳しいんでっしゃろか」

 善次郎のほうも、何やらキナ臭いわと持ち前の勘の良さで警戒していた。藤三郎があのにやけ顔で揉み手をし出したら、要注意である。伊達に何十年も取引をしてきたわけではないのだ。

「勿論や。ええ乾物揃えて出すのが、先代からの習わしでしてな。わても愛情込めて松葉屋の暖簾掲げとるわけやし、弱音は吐きとうない。なんも蒔けてと言うとんやないのや。ちょっと寒天の量増やしてくだしゃりまへんか、と相談しとるだけで」

「同じ値段で?」阿呆ぬかしなさんなと善次郎はいいかけたが、喉の先で止めた。「それ、蒔けてんのと同じやないですか」

「長いつきあいでしょ」
「――あきまへん。他所を差し置いて贔屓なんぞしたら、井川屋の名前に傷がつく。あんさんだって、以前はそれで他所とあんさんとこを差別するんかゆうて、怒らはったやないですか。もし万が一そないな奉仕して、うちが松葉屋はんとこより先に暖簾降ろすことになったら、どないしはるおつもりですのん」

 来た来た、と藤三郎の目が一瞬輝いた。善次郎のほうもほれ見ィ、何か言い出す気やな、という顔になった。

 両者端から見れば金剛力士像か風神雷神のにらみ合いにしか見えなかったが、本人たちだけは互いの僅かな表情の変化を見逃さなかった。

「それはそれ、これはこれ。以前のことは誤解やったわけやしな。でもな、わては善次郎はんのことやったら高う買いますで」藤三郎はさらりといった。「幾らぐらい包んだら、うちとこ来てくれはる?」

「は?」善次郎はぽかんと口を開けた。

 不意を突かれたその様子を、遣いから戻った梅吉が見て、珍しいこともあるもんや――と首を長くして立ち聞きしようとしたが、風神さまからは冷風に等しい鋭い視線が送られたので、人のいい素直な丁稚はそそくさと退場した。

 藤三郎は繰り返した。善次郎は真意をはかりかねたが、やられてばかりいるのも癪に障ると、胸を張った。

 このとき外から帰ってきた松吉がその姿を見て、お侍の姿勢はやめいと散々自分に当たり散らしてきた番頭はんの背筋に目を見張ったが――隣の雷神さまから雷公そのものの視線を浴びると、普段は空気の全く読めない丁稚も、さすがに理解して退場した。

 善次郎はいった。


「――銀一貫では足りまへんな」



prev | next


data main top
×