万兵衛の四十九日が済んだ翌日、和助は善次郎、お里、鶴吉を座敷へ呼んだ。「万兵衛はんが居なくなって今日で五十日。善次郎」
「へぇ」
和助はまだ年若い善次郎を見つめた。
「今日からあんさんに、井川屋の番頭になって貰いますよって。せいだい気張っておくれやす」
「旦さん……!」
善次郎は胸が詰まり、それ以上の言葉を発せなかった。「あ! はぁ!」お里は喜びを弾けさせ手を叩いた。
「十五で知り合ってから更に十五年。ようわてに着いて来てくれはりましたな。此れからも宜しゅう頼んだで」
「――へぇ! 任せておくれやっしゃ」
鶴吉は相変わらず白けた顔で着物の上から尻を掻いていたが、善次郎やお里にはどうでもいいことだった。
「うち。今日はご馳走作りますさかい。楽しみにしといてな。旦さん、善次郎はん、鶴吉はん」
その言葉に鶴吉は少しにやけた。お里の横顔をちらりと見る。
「ご馳走?」善次郎は慌てた。「そんなんええんで、お里はん。商人の三ヶ条はなんやと思っとるんでっか」
「三ヶ条……ええと」
「始末、才覚、神信心」和助は膝を叩いた。「よっしゃ。明日は天神さんに御参りに行こか!」
そういうわけで、善次郎の番頭としての最初の仕事は、墨を刷って三ヶ条を半紙に書き記すこととなった。
お里は鼻歌を歌いながら、台所に立った。米はたくさんあるのだが、ご馳走と云っても急には思いつかない。
「あ。しもた。糠味噌……」お里は独り言をいって奥に行き、目当ての材料があるか確認しに行った。
その背中を凝視する一人の男の姿に気づかず、甕の蓋を手拭いで開ける。
指で淵の部分を掬いとり、いけるわ、と息をついて皿を手にしようと振り返った時だった。
「鶴吉はん?」
「――」
「なんや、吃驚させんといて、もう」
「旦さんが休みくれはったんで、なんか手伝われへんか、思いましてな」
「ええのに、そんなん。旦さんは?」
「いまご挨拶に外出てますで。新しい番頭はんが決まったんで、得意先回りたいんやろ」
其れは急激にお里の躯を襲った。背筋をゾクッと這い上がる視線に、振り返る。
「鶴、吉」
「なんだすの」鶴吉は眼を血走らせていた。「嬉しいんでっか。旦さんもお里はんも、あんな木偶の坊に頼りきりで。わてのことは見向きもしよらん」
手首を捻られる。お里は片方の草履が脱げて、米の入った竈に腰を打ち付けた。息を詰めて痛みに耐える。
「腕、放して。叫ぶで」
「いやや。あんさん、わての女にするんや」
藁を重ねた隅っこに押しやられ、膝を割って押し倒される。お里は叫ぼうとした。しかし喉に石でも詰めたように声が出ない。
「……ッ」
「ええ女や。知っとってんで。初っぱなから。あんな爺さんになりかけの旦那捕まえて、悠々自適に暮らしたいんやろ。でも旦さんでは女の面を満足させてやれんのは、あと二十年もないわな――つまりは、わてか善次郎の青大将に期待しとるわけや」
「下種なこと云わんとって。うち、そんなん考えたり」
お里の首もとに顔を埋めた。鶴吉は真っ赤にしながら、己の股間を押しつけてゴクリと唾を飲んだ。崩れた前見頃から胸の形がはっきりとわかる。
鶴吉は悪い男ではなかった。ただとてつもなく阿呆なせいで、女というのは強く押せば何とかなるものだと思っていた。
「好きや。初めて見たときからすきや。善次郎に捕られたないんや。わかってや、お里」
「なんでそこで善次郎なん! うちはな、鶴吉」
いいかけたお里は腰骨を押さえた。鶴吉がのし掛かると鋭い痛みが増す。
「……ッ!」
「お里はん?」鶴吉は慌てた。床に血がついている。「えっ。わて、まだなんも。ど、どっか打ったんか。待っ」
待っとけよ、すぐ善次郎をと続く途中で振り返った。鶴吉は安堵した。「ああ、善次郎はん! ちゃうわ、番頭はん。大変なんだす、お里はんが――」
鶴吉は頬に重みを感じて眼を回し、昏倒した。戸口に立った善次郎が鶴吉の顔をひと薙ぎしたのをお里も見ていたが、大きくなる痛みで喘ぐばかりだった。
喋らんでええ、と善次郎の眼が無言で伝えて来ると、お里も意識を失い手がだらりとした。善次郎は袢纏にくるめたお里を抱えて、鶴吉を跨いだ。