【寒天問屋】


01



 井川屋がまだ小商いをしていた頃の噺である。その日は座敷に奉公人が揃っていた。主人以下番頭、手代、丁稚がそれぞれ一名ずつの、小さな商人の店に初めての女衆を雇うこととなったのである。

「新しく入った女衆のお里だす。あんさんら、わからんことは丁寧に教えたってな」
「へぇ!」

 和助の声に返事をしたのは、手代の善次郎だけであった。丁稚の鶴吉は鼻の穴に指を入れる癖が抜けず、睨みつける善次郎の顔を見ても白けていた。

「こちらは番頭の万兵衛はん。手代の善次郎、丁稚の鶴吉だす」
「お里だす。宜しゅうお願いします」

 お里は二十と少しの若い娘だった。気っ風もよく働き者で、奉公先では重宝がられていたときく。和助は微笑んだ。

「万兵衛はんはな。わてが棒手振り担いで店もまだ持ってない頃に知り合いましてな。歳やさかい耳が遠いんだす。大声出してもわからんときは、紙に書いて見せな――お里。識字はできまっか」

「瓦版くらいは読めますけど、書くほうは覚えとる最中だす」お里は物怖じせずに応えた。「うち。学はなくとも物覚えは悪うございまへん。半年くだすったら、出来るようにしときます」

 和助は頷いた。充分である。

「ほな、善次郎。あんさん、勉強見たってくんなはれ」
「――へぇ」
「歳も近いし、訊きやすいやろ」

 善次郎は口には出さなかったが、困ったなと思った。自分は決して女子供の相手に手慣れている性質ではない。それを承知の上でお里を下につけようというのだから、和助も人が悪い。

 お里は驚きを隠せなかった。「一回りは離れとる思いましたわ。善次郎はん、幾つだす?」

 善次郎は唖然とした。隣で鶴吉が笑いを弾けさせ、膝を叩くとその音で、眠りこけていた万兵衛がびくっと眼を開けた。

「丁度三十路に足踏み入れようかというとこや」和助は云った。「嫁っ子に来てくれたら助かるんやけど。お里、どや?」
「旦さん!」
「へぇ。うち、旦さんみたいな整った人が好きだすんで。善次郎はんは顔恐いから厭だす」

 善次郎は怒りで顔を紅潮させたが、鶴吉ばかりでなく和助まで吹き出し、万兵衛が「善の字。熱あるんちゃいまっか。わての袢纏着るか」と云った。

「これでええとこもあんねんで。まあ嫁の噺は冗談やさかい、本気にせんといてな」
「旦さんはあきまへんの?」

 鶴吉がいやらしい笑い方をして前屈みになったので、善次郎はその太股をつねった。転がる鶴吉に構うものはなく、和助とお里はまっすぐ向き合っていた。

「わてとあんさんやったら、親子やで。あと十数年もしたら還暦や」和助は笑ったがお里は真剣だった。

「相手にしてもらわれへんのやったらしゃあおまへん。うち、頑張って、旦さん振り向かせて見せますんで。覚悟しとくれやす!」



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